Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2017年10月18日(水) 海住山寺から、山城・三上山(さんじょうさん)へ、ぶらり散歩

2017年10月19日 | 山登りの記録
■メイン写真
コスモスが咲く恭仁京跡から、三上山とオガヤ山を望む

■今回のコース
加茂駅⇒恭仁京跡→デレーケ堰堤→海住山寺→林道出合→(冒険の道)→三上山→
(かいがけの道)→棚倉駅

このところ雨の日が続いている。「秋晴れ」は、今シーズンはみられないのか。
この日は、なんとか雨が降らないとのことで、しびれを切らして山へ。

とはいっても、青空は天空のごく一部。大部分は雲に覆われている。

恭仁京跡が今回のスタート地点だ。
恭仁(くに)京は、足掛け5年だけ、都が置かれた。
740年(天平12年)の年の瀬に聖武天皇が平城京から遷都。744年(天平16年)には
難波宮へ再び遷都された。
この短い間に、国分寺・国分尼寺建立の詔(741年)、大仏造立の詔、墾田永年私財法
(743年)が出され「歴史上極めて重要な時期(木津川市観光ガイドホームページ)」と
される。



瓶原大井手用水を通る。瓶原は、「みかのはら」と読む。
すぐ近くを流れる木津川が「泉川」と呼ばれていた。
こう書けば、和歌を知る人ならすぐ思い浮かぶだろう。
「みかの原 わきて流るる泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」中納言藤原兼輔。
「新古今和歌集」恋・996、「小倉百人一首」27番に収録の有名な和歌がある。
兼輔は加茂の河畔あたりに住んでいたそうだ。



デレーケ堰堤。
明治時代のお雇い土木技師で、オランダ人で、「砂防の父」と呼ばれるデレーケが
設計した石積みの堰堤。
枯れた竹が覆いかぶさって、ちょっとフォトジェニックではなくなっていた。



山道に入って、雑木林を抜けると、海住山寺(かいじゅうせんじ)に着く。
この寺の創建は735年(天平7年)。聖武天皇が良弁僧正に命じて建立させ、
十一面観音菩薩を安置した。その後1137年に焼失したが、1208年、笠置寺の
解脱上人貞慶が草庵を結び、補陀洛山海住山寺と名づけた。



国宝の五重塔は、1214年の建立。心柱が初層で止められている珍しい構造だと
いうが、建築はまるで素人のMr.Dashには、よくわからなかった。



境内を上部に抜けると、加茂の市街が一望できる広場に出る。
大野山、鹿背山が眼下に望める。



奥へ続く山道をたどり、小尾根を越え、沢を渡渉する。
すぐに、森林公園から続く林道に合流し、しばらく林道を歩く。



冒険の道で、ふたたび山道へ。急登といってもたかが知れている。



ほんのひと登りで、三上山の山頂展望台に到着。ここも久しぶりに来た。



薄曇りなのが残念だが、金剛・生駒山系、六甲から北摂の山々、京都の愛宕山に
至るまでの超ワイドビューが待っていてくれた。

遅めのランチを手早くすませ、雨が降らないうちに下山にとりかかる。



下山は「かいがけの道」にした。いちばん最後まで山道を歩けるルートだからだ。
前半は、あれやこれやと見どころが続いたが、ここからはやや単調な尾根道。
しかしその分、雑木林の自然に視線がきちんと届く。



道中、アケビが多い。すでにほとんど落ちてしまっていたが、中にはこんなのも。



こんな大きなキノコも見つけた。



この季節に狂い咲きしているモチツツジ。



錆びた重機が草むらに眠っているあたりから、歩きやすい幅広の林道になる。



もうフユイチゴが実っていた。

後半は判断が難しい分岐が幾つか続き、真剣モードで読図しながら下山。



幸い、迷うことなく里に出て、養魚池の脇でツリガネニンジンを発見。

いろんな季節の植物が混在していたなぁ。



JR棚倉駅に無事到着。天気は持ちこたえてくれた。


※初心者から楽しめる遊山トレッキングサービスの登山教室は、「ここをクリック」!!



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2017年10月14日(土) 秋たけな... | トップ | 2017年10月24日(火) 京都府最... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

山登りの記録」カテゴリの最新記事