Mr.Dashのぶろぐ館

奈良・大阪・日本アルプスの山々が大好きな、Mr.Dashのブログです。

2019年4月4日(木) [宇陀]西山岳から、又兵衛桜をたずねる

2019年04月05日 | 山登りの記録
■メイン写真
貫禄の枝ぶり、又兵衛桜!


■今回のコース
道の駅宇陀路大宇陀→阿騎野人麻呂公園→高天原→阿紀神社→天益寺→森下家住宅→
西山岳→嬉河原分岐→経ヶ塚分岐→おご乃明神→又兵衛桜(本郷の瀧桜)→
道の駅宇陀路大宇陀


宇陀の又兵衛桜が五分咲きを迎えたとの情報を得たので、まだ登り残している西山岳と
セットで歩こうと思い立った。
短いコースではあるが、阿騎野の山里風景をじゅうぶんに楽しめ、また、西山岳への
アプローチはちょっと廃道っぽくって面白かった。



国道370号線から見た、音羽山塊の音羽山と経ヶ塚山。



復元竪穴式住居や柿本人麻呂の乗馬像がある阿騎野人麻呂公園を経て、阿紀神社のほうに
向かうと、「パワースポット高天原」と書かれた標識を見つけた。
登ることわずか3分、石段の跡が残っているそこは、阿紀神社の旧社地で、
天智天皇の第二皇女ゆかりの地だ。



阿紀神社に到着。祭神は天照大神。社殿は南向きの神明造りで、伊勢神宮と同じ
建て方という。

崇神天皇(第10代)の時代。磯城の瑞籬(みずがき)の宮殿内に天照大神と大国主命を
共に祀っていたため、あまりにも神威が強すぎると考えられ、大国主命を三輪山に、
天照大神を笠縫邑(檜原神社)に移された。
しかし、天照大神にさらにふさわしい御鎮座地を探すため、垂仁天皇(第11代)の
第二皇女・倭姫(やまとひめ)にそれを託した。
倭姫皇女は最終的に伊勢の地にたどり着くのだが、その途中、阿騎野の照巣に
社殿を建て、4年間滞在したという。
磯城瑞籬宮から当地への距離は10km強だから、最初の滞在地だったのかな。
倭姫はその後、名張、伊賀神戸、柘植などを経て伊勢に導かれる。



続いて天益寺(てんやくじ)へ。
又兵衛桜よりは小さいが、それでもかなり立派なシダレザクラがある。
阿紀神社の元神宮寺で、宇陀松山藩の第3代藩主・織田長頼(信長のひ孫)が
眼病平癒を祈願し参籠したという。
境内は1999年1月に不審火で焼失。茅葺の本堂もなくなった。



シダレザクラの枝にヒヨドリ。



松源院の前を通り、車道を横切る。
伝統的家屋が並ぶ一角は、古き良き日本の農村のたたずまいを色濃く残す。
これは明和6年(1769年)の建築、森下家住宅。もちろん、今もお住まいだ。



最奥の民家を過ぎると、簡易舗装の道は植林の中に延びる。
墓地の手前で左の作業林道に入ると、作業道が幾つも枝分かれしてややこしい。
地形図を見ながら、左の尾根が取付きやすいと考え、ルートをとる。
やがて荒れた古道に出るが、倒木のため結局は歩ける場所を選びつつ登る。



そのうち明瞭な道になり、新しい道標がついた三差路に出た。
山頂まではあと少しだ。



西山岳の山頂には、大日如来像がある。台座に寛延の銘がみられるので、
1748年~1751年のもの。植林の中で、展望がないのが残念。



先ほどの三差路に戻り、もう1つの山道をとる。
嬉河原分岐(四つ辻)で左に進むとほどなく、簡易舗装の道に出る。
長い林道歩きではあるが、おだやかな山村風景に心がおだやかになる。



ふと振り向くと、抜けるような青空と西山岳。



里に下りてきた。平日にもかかわらず、観光客がいっぱいいる。
又兵衛桜は6~7分咲きといったところか。管理料100円を支払って桜に近寄る。



又兵衛桜の名の由来は、大阪夏の陣で活躍した戦国武将・後藤又兵衛が、この地で僧と
なって余生を過ごし、この桜は、後藤家の屋敷跡にあることによる。
樹齢は300年程度とされるので、後藤又兵衛がこの桜を見たわけではない。
それにしても、純粋に美しいし、ゆるぎない自信といいうか、強い生命力を感じる。



背後には梅も植えられて華やかだ。



最後に宇陀松山地区の歴史的町並みを歩いて、道の駅宇陀路大宇陀に戻った。
道の駅には無料の足湯があってありがたい。
ぽかぽか陽気で、なんだか眠くなったので、しばらくぼーっとしていた。


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