二子玉川駅の中にある本屋で、水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)を見つけ、購入しました。今、読んでいるところです。
今の資本主義は、もう行き着くところまで行ってしまい、これ以上に成長も拡大もできない。既に自壊の段階に入っている。これまでの、たとえば日本で繰り返されてきた政策は、よくて延命治療程度の対処療法にすぎず、大きな失敗に見舞われる。
これが、水野氏の主張の骨子です。資本主義と民主主義との乖離(離反)も見事に指摘されています。また、氏は、構造改革や積極財政が無意味である、否、有害ですらあるという趣旨の主張も行い、もっと歴史に学ぶべきであるとも述べています。
大局的に物事を捉えるならば、水野氏の主張には肯けます。もっとも、いくつかの疑問も浮かびます。たとえば、日本は最も早く資本主義の限界に突き当たっているから、現在の資本主義に変わる新しいシステムを生み出す潜在的可能性という面で日本が最も優位にある、という趣旨の論述です。限界に突き当たったという部分は正しいかもしれませんが、潜在的可能性という部分にはどうなのだろうか、と思うのです。可能性があってもそれを活かすことができず、何も生み出せないのが日本ではないでしょうか。何も今に始まったことではないはずです。教訓を無視したり「臭いものに蓋をする」ことは得意ですが、新たな方向性を見つけ、それに従って進むこと、あるいは、根本的な部分で反省することは苦手である、というのが日本でしょう。少なくとも、ここ数年の政治や経済を概観すると、そう考えざるをえません。