ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

合間に行きたくなって…… 西太子堂

2014年06月21日 11時27分57秒 | 写真

 講義期間中の金曜日、私は渋谷区の常磐松で仕事をします。その帰り、田園都市線三軒茶屋駅で途中下車しました。大学院生時代には太雅堂書店などの古本屋に行くため、何度となくこの街を歩いていました。

 キャロットタワーの1階に、世田谷線の三軒茶屋駅があります。所在地は世田谷区太子堂4丁目です。1969年5月に玉川線(渋谷~二子玉川園)が廃止されるまでは渋谷~下高井戸の運行でしたが、以後はこの三軒茶屋で折り返します。全駅(停留所)が世田谷区内にあります。

 以前、世田谷線の駅は三茶パティオの辺りにありました。商店に囲まれたような小さな駅で、玉川線が廃止されたことにより、いかにも間に合わせで造られたかのような外観でしたが、それなりに味のある駅でした。交番のある交差点からすずらん通りという飲み屋街(何故か関西弁(?)で「喰うてかへんか?」と書かれた大看板が出ている)も近かったからでしょう。現在は上の写真の通りです。

 2両編成の電車は、駅を発車するとすぐに踏切を通ります。目黒、ではなくて目青不動尊としても知られる最勝寺の門前を過ぎ、右にカーブすると西太子堂に着きます。ここも世田谷区太子堂4丁目で、三軒茶屋駅から歩いても10分とかかりません。実際、300メートルくらいしか離れていないのです。但し、実際に歩くとなると、道は細く、しかも所々で曲がりくねっています。

 上の写真は下高井戸方面の乗り場です。「駅」と表示されていますが、世田谷線は軌道ですし、西太子堂には駅員が配置されていないので、停留所と表現するほうが合っています。

 なお、世田谷線の全駅には番線表示がありません。関西では番線表示(のりば番号表示)がない駅が珍しくないのですが、関東地方の大手私鉄では、一本しかホームがない駅を除けば番線表示があるのが普通です。東京都23区地域で番線表示がないのは、私の知る限り、世田谷線、都電荒川線、東京モノレールの一部の駅くらいです。

奥にキャロットタワーが見えます。その下が世田谷線の三軒茶屋駅ですから、西太子堂駅からも近いことがおわかりになるでしょう。

世田谷線の駅は、三軒茶屋駅、上町駅の三軒茶屋方面ホーム、下高井戸駅を除き、駅員が配置されておらず、改札口もありません。全線均一料金なので、改札口は不要であるとも言えます。

 この踏切の右側が太子堂4丁目で、左側は若林1丁目です。道の狭さをおわかりいただけるでしょう。世田谷線沿線では環状7号線や世田谷通りなどを除き、このような道ばかりなのですが、とくに西太子堂駅周辺の狭さと込み入り方は特筆に値するでしょう。

 駅の歴史に触れておきましょう。西太子堂駅が開業したのは1925年1月のことで、当初は西山と名乗っていました。1939年に西太子堂と改められます。玉川線に太子堂という名の電停があったことによるものでしょう(1939年に東太子堂と改められた後、程なく休止、そして廃止)。太子堂電停は国道246号線の三軒茶屋交差点と三宿交差点の間にあったそうです。

 三軒茶屋行きの300系301編成です。1964年に150形が投入されて以来、玉川線廃止を経て長らく新車が投入されていなかった世田谷線ですが、1999年に300系がデビューしました。東急らしくステンレス製の車体で(但し、鉄道線と異なってセミステンレスだそうですが)、ペコちゃんこと200形以来の連接構造です。現在は10編成あり、全て塗色が異なっています。

 301編成は、デビューからしばらくの間は緑一色で、前面にサザエさんの顔が描かれたシールを貼り付け、側面にマナー広告を貼り付けていました。2005年、200形デビュー50周年ということで現在の玉電カラーとなりました。

 三軒茶屋行き乗り場の裏の通りです。ここを歩けば三軒茶屋駅に行けますが、少しばかり遠回りです。道なりに進むと世田谷線から離れてしまうので、途中の交差点を右に曲がる必要があります。

 このような狭い道路ばかりの街を歩き回ると、ちょっとした発見があったりするもので、それはそれで楽しいのですが、今回は歩いて三軒茶屋駅に戻ることとします。

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