12月15日0時5分25秒付の「『まち・ひと・しごと創生法』と地方分権(その2)」から少し時間が経ちました。
24日から26日までの三日間、第188回国会(特別会)が開かれており、初日に安倍晋三氏が内閣総理大臣に指名され、同日に第三次安倍内閣が発足しました。基本的に第二次安倍内閣と同じ陣容であるため、方針や政策に大きな変更はないものと思われます。従って、「まち・ひと・しごと創生法」に基づく地方創生政策も、余程のことがない限りは推進されるでしょう。
「地方創生と地方分権は全く別個の概念であり、両者は少なくとも部分的に対立するものではないのか。あるいは、地方創生とは、少なくとも部分的に地方分権を否定する概念ではないのか。」
これは、私が「『まち・ひと・しごと創生法』と地方分権」シリーズを書くにあたって抱き続けている疑問です。既に公布されている法律を議案の段階から読んでいますが、「第二章 まち・ひと・しごと創生総合戦略」および「第三章 都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」に置かれた諸規定を概観すると、地方分権の否定という側面が浮かび上がっているものとも読みうるのです。
ここで、「『まち・ひと・しごと創生法』と地方分権(とりあえず『その1』)」において記したことを再び掲げておきます。この法律は、国として地方を、人材を、そして仕事(雇用なども)を作り出すことが明示されています。そして、何故か平仮名で書かれている(その意味が未だによくわかりません)「まち」も「ひと」も「しごと」も客体(対象)であり、主体として位置づけられていません。つまり、地方は国の客体であって主体ではない、と言いうるのです。これがその通りであるかどうかが、私の問題意識の中にあるのです。
それでは、「まち・ひと・しごと創生法」の第二章に置かれた規定を再度掲載しておきましょう。
「第八条 政府は、基本理念にのっとり、まち・ひと・しごと創生総合戦略を定めるものとする。
2 まち・ひと・しごと創生総合戦略は、次に掲げる事項について定めるものとする。
一 まち・ひと・しごと創生に関する目標
二 まち・ひと・しごと創生に関する施策に関する基本的方向
三 前二号に掲げるもののほか、政府が講ずべきまち・ひと・しごと創生に関する施策を総合的かつ計画的に実施するために必要な事項
3 まち・ひと・しごと創生本部は、まち・ひと・しごと創生総合戦略の案を作成するに当たっては、人口の現状及び将来の見通しを踏まえ、かつ、第十二条第二号の規定による検証に資するようまち・ひと・しごと創生総合戦略の実施状況に関する客観的な指標を設定するとともに、地方公共団体の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする。
4 内閣総理大臣は、まち・ひと・しごと創生本部の作成したまち・ひと・しごと創生総合戦略の案について閣議の決定を求めるものとする。
5 内閣総理大臣は、前項の規定による閣議の決定があったときは、遅滞なく、まち・ひと・しごと創生総合戦略を公表するものとする。
6 政府は、情勢の推移により必要が生じた場合には、まち・ひと・しごと創生総合戦略を変更しなければならない。
7 第三項から第五項までの規定は、まち・ひと・しごと創生総合戦略の変更について準用する。」
この法律自体は一種の大枠あるいはプログラムを規定し、「まち・ひと・しごと創生本部」の組織法上の根拠を定めるに過ぎません。そのため、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の具体的な中身については今後の課題ということになりますが、気になる点があります。第7条が「国は、まち・ひと・しごと創生に関する施策を実施するため必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講ずるものとする」と定めるに過ぎず、既存の法律(例えば地方自治法、地方財政法、地方税法)との関連が明確にされていると読み取れないので、法律間で食い違いなどが生ずることも考えられます。あるいは、「まち・ひと・しごと創生法」が地方自治法、地方財政法、地方税法などの改正を促す効果を持つこともありうるでしょう。
1990年代からの課題である地方分権も、国の強力な推進を必要とします。パラドックスにみえるかもしれませんが、やむをえない話です。但し、主題が主題だけに、地方側の同意・合意を得る必要もあります。地方と一括りにしていますが、実際には都道府県と市町村があり、都市部、農村部など、様々な地域が存在しますから、コンセンサスの形成は容易ではありません。そのために、国の強い姿勢を必要とするのです。
ただ、これは諸刃の剣ともなりえます。政府部内での同意・合意を作り上げることも難しいですし、強い推進も方法や手段を誤れば地方分権ではなく中央集権となるからです。
今回の「まち・ひと・しごと創生法」に関して、地方側の態度がどのようなものであるのか、わからないところもありますが、ふるさと納税に熱心な地方公共団体が少なくないことからすると、支持する所は少なくないでしょう。もしかしたら、地方分権よりも高い支持率となるかもしれません。しかし、第8条から第10条まで続けて読むと、国が決定し、地方が従うという図式が浮かび上がることも否定できず、トップダウンの「地方創生」となりそうです。否、「地方創生」という言葉自体が、国が中央集権的にトップダウンで政策を決定し、地方に実行させるという意味合いを帯びているとも言いうるのです。これには、もう地方分権と言っている段階でも暇でもない、少子高齢化と地域間格差が同時に進行している状況に対処するには中央が積極的に取り組むしかない、という意図があるのでしょう。一応、第17条第1項において「まち・ひと・しごと創生本部」が「地方公共団体」などの「代表者に対して、資料の提出、意見の表明、説明その他必要な協力を求めることができる」と定めていますが、この文言からしてあくまでも主体は国であり、地方公共団体との「協議」は予定されていないと解釈することが可能です。
さしあたっては以上のところから、地方創生とは、少なくとも部分的に地方分権を否定するための概念である、と言うことができるでしょう。
ただ、次の「第三章 都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」にある第9条および第10条の表現を見ると、多少は地方分権を意識しているであろうとも思えます。再びあげておきます。
「(都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略)
第九条 都道府県は、まち・ひと・しごと創生総合戦略を勘案して、当該都道府県の区域の実情に応じたまち・ひと・しごと創生に関する施策についての基本的な計画(以下「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略」という。)を定めるよう努めなければならない。
2 都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略は、おおむね次に掲げる事項について定めるものとする。
一 都道府県の区域におけるまち・ひと・しごと創生に関する目標
二 都道府県の区域におけるまち・ひと・しごと創生に関し、都道府県が構ずべき施策に関する基本的方向
三 前二号に掲げるもののほか、都道府県の区域におけるまち・ひと・しごと創生に関し、都道府県が講ずべき施策を総合的かつ計画的に実施するために必要な事項
3 都道府県は、都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略を定め、又は変更したときは、遅滞なく、これを公表するよう努めるものとする。
(市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略)
第十条 市町村(特別区を含む。以下この条において同じ。)は、まち・ひと・しごと創生総合戦略(都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略が定められているときは、まち・ひと・しごと創生総合戦略及び都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略)を勘案して、当該市町村の区域の実情に応じたまち・ひと・しごと創生に関する施策についての基本的な計画(次項及び第三項において「市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」という。)を定めるよう努めなければならない。
2 市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略は、おおむね次に掲げる事項について定めるものとする。
一 市町村の区域におけるまち・ひと・しごと創生に関する目標
二 市町村の区域におけるまち・ひと・しごと創生に関し、市町村が講ずべき施策に関する基本的方向
三 前二号に掲げるもののほか、市町村の区域におけるまち・ひと・しごと創生に関し、市町村が講ずべき施策を総合的かつ計画的に実施するために必要な事項
3 市町村は、市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略を定め、又は変更したときは、遅滞なく、これを公表するよう努めるものとする。」
それぞれの規定から明らかなように、「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略」および「市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」の策定(および変更)ないし公表は努力義務とされています。国の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」に沿う形となる蓋然性が高いだけに、努力義務とすることによって中央集権の色彩を弱めたと解することもできます。
しかし、策定そのものが努力義務とされているとは言え、第8条に定められる国の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」と「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略」または「市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」とが矛盾するようなものであってはならないでしょう。そればかりでなく、国の戦略にない事柄について地方が独自に定めることが許されるかどうかという問題があり、今回の「まち・ひと・しごと創生法」の規定からは明確な解答を出せません。地域ごとに事情や状況が異なることからすれば、或る程度の独自性なり地方公共団体の裁量なりを認めざるをえないはずですが、どの程度の幅で認められるのかは、具体的な戦略が立てられなければわからない、というところではないでしょうか。
既に、国は税制や地方交付税を通じて、地方創生に関する具体的な方針を出しつつあります。12月25日付の日本経済新聞朝刊5面14版に掲載されている「人・仕事 地方に誘導 税優遇・交付金 柱に 地方創生で数値目標 新卒の地元就職80% 1子出産後就業55%」という記事でも取り上げられています。明らかに、国が地方を作り出し、人を作り出すのです。同日の日本経済新聞朝刊1面14版に掲載されている「ふるさと納税 拡充 政府・与党 減税額を2倍に」という記事の内容も同様です。ふるさと納税は、地方税の根幹をなす都道府県住民税および市町村住民税の存在意義を曲げるという点で望ましくない制度であり、東京都のように住民でない者に対する行政サービスを手広く行わなければならない地方公共団体にとっては「ふざけるな!」の一言で片付けてもよい制度であり、「お礼」という名のおまけなり景品なりをたくさん出してとにかく金を集めることが至上命題である勘違いしている地方公共団体を多くしかねない制度ですが、そうまでしても地方を作り出そうとしている熱意が感じられます。なお、12月25日付の朝日新聞朝刊33面12版に掲載されている「広がる出生目標 上 佐賀『出生率17年に1.71』■県職員の未婚率を公表増やせ赤ちゃん 県が婚活政策」は、佐賀県の取り組みと県民の意識などの対比がよく示されており、興味深い記事です。
なお、観点が全く別のものとなりますが、第9条および第10条において、地方公共団体による戦略の策定または変更の公表が努力義務とされている点については、評価を下げざるをえません。行政手続法第6条の例でも明らかなように、策定と公表は別物であり、策定したからには公表すべきでしょう。そうしなければ、何のために第5条で「事業者の努力」を、第6条で「国民の努力」を定め、事業者および国民に努力義務を課したのかがわからなくなります。公表を義務づけることは、住民自治の観点からも重要であり、地方分権を損なうことになりません。ここにも、国が「ひと」を客体として作り上げるという趣旨が隠されていると言えるでしょう。
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それにしても、「ふるさと」、「まち」、「ひと」、「しごと」と、最近は平仮名により表記する概念が目立ちます。法律にもおいてもそうであり、濫用されているとまでは言えないにしても多用されています。一見してわかりやすい、取っつきやすいということがあるのでしょうが、敢えてそのようにする意味がわからないこともあり、内閣法制局の方々に伺ってみたいところです。