元々、Lost Generationはヘミングウェイ、フィッツジェラルドなどの、第一次世界大戦に従軍した経験のあるアメリカの作家たちを指した言葉です。
しかし、どこの国でも同じような意味でなければならないという必然性もないのでしょう。日本では、バブル崩壊後の「1993年から2004年ごろまで新卒の求人倍率が極めて低かった時期に社会に出た世代。第2次ベビーブームの団塊ジュニアを含む約2千万人である。朝日新聞が07年1月に同名の企画を連載し、この名が広まった。就職氷河期世代と呼ばれることも多い」と説明されています〔2019年6月17日17時30分付の「ロスジェネは『人手不足の穴埋め』 救済策に透ける打算」(https://digital.asahi.com/articles/ASM6D5WMZM6DULZU00F.html)によります〕。厳密ではないのですが、今年で33歳から48歳までの人々を指す言葉となります(就職時期などにズレがあるため)。
どうでもいいことですが、私はロスジェネのすぐ上の世代です。しかし、当時の大分大学教育学部に講師として就職したのが1997年4月なので、ロスジェネ世代に入るのかもしれません。
就職活動をしても内定を得ることが非常に難しく、不安定雇用に甘んじるしかなく、従って低賃金などに喘ぐしかないという人が多かったのです。しかし、時間が進み、少しばかり雇用情勢がよくなっても、光を当てられることもなく、表現は悪いのですが放置された世代でもあります。勿論、人は個人として自らの道を切り開いていくものであり、その努力の必要性を否定しません。しかし、問題はその努力にも限界があるということです。むしろ、日本ではその限界が多くの面に存在しているのです。
このところ、朝日新聞でこのロスジェネ世代に焦点を当てた記事が多く、切り抜いては読んだりしているのですが、私も他人事とは思えません。
一つには、先に記したように私自身の就職時期があります。1997年と言えば、消費税の税率引き上げおよび地方消費税の施行の年であり、北海道拓殖銀行の経営破綻、山一証券の廃業、この二つに象徴されるように金融機関の行き詰まりが次々に明らかになった年です。
もう一つには、引用記事に従うと私が大学の講師、助教授であった時に出会った当時の学生たちがまさにその世代であることです。
上記記事には、次のような一節があります。
「なぜ、この世代は落とし穴から抜け出せないのか。二つの理由がある。
まず挙げられるのが、非正規雇用の拡大だ。バブル崩壊後の規制緩和で派遣労働の対象職種が広げられ、正規、非正規という身分制度のような分断が労働市場に生まれた。雇用の不安定化は、その後の世代にも及んでおり、ロスジェネはその先頭走者となった。
そして最大の原因は、日本独特の雇用慣行である。新卒時の一括採用、年功序列、終身雇用は、戦後の高度成長を支えたと言われる。まっさらの若者を会社が丸抱えして職業教育を施し、労働力を確保する。右肩上がりの時代には一定の効用があっただろう。
だが、バブル崩壊後の長期不況で、この雇用システムは矛盾をあらわにする。年長世代の雇用を守ろうとする日本企業の多くは、世代間のバランスを顧みずに新規採用を絞り込んだ。その後に景気回復しても、新卒の採用が優先され、この世代は見捨てられた。」
これでは「失われた」世代でなく「捨てられた」世代と表現すべきかもしれません。しかも、次のように書かれる始末です(やはり上記記事からの引用によります)。
「表面化した問題の一つは経済への悪影響である。子どもの教育費や自宅購入などで消費が盛んなはずの40代になっても、団塊ジュニアは上の世代と比べて支出額が低く、経済成長の足かせとなっている。
人口動態への負の影響はさらに深刻だ。団塊の世代(第1次ベビーブーム)と、その子にあたる団塊ジュニアに引き続く、戦後3度目の出生数の山は生じなかった。少子化の原因は多岐にわたるものの、不安定雇用と低賃金という重しが、ロスジェネから次世代を育む力をそいだのは間違いない。
この世代が高齢化する20~30年後、日本の人口曲線は上部が膨らんだ『棺(ひつぎ)形』になる。単身で高齢化したロスジェネたちを支える現役世代はやせ細り、介護や医療を支える人手が絶対的に不足する。加えて、これからも不安定雇用が続けば、老後に生活保護を受ける人が急増するだろう。」
読んだ瞬間に「おれたちゃ数字じゃねぇんだ!」という言葉が聞こえてきそうです(むしろそう発して欲しいものです)。世の中をこのようにしたのは、当然、ロスジェネ世代ではありません。上の世代に属する経済界の連中です(少しでも責任をとられた方はおりますか? どれほどおられますか? 自己責任論の自分勝手さがうかがいしれます)。ロスジェネ世代に技術などの知恵が継承されていれば問題はなかったのですが、実際にはそうでなかった訳です。規制緩和、非正規雇用の増大……、こうした流れにより、確実に日本の技術基盤などは蝕まれています。継承されるべきものが継承されていないのです。これはJR北海道で多発した事故の際にも指摘されていたことです。何も経済的な話だけでなく、社会全般にわたる事柄です。
また、もし上記記事の通りであるとすれば、私には、人生100年時代などというような時代が来ると思えません。あるいは、到来したとしても短く終わるでしょう。何かの本で読んだのですが、社会において貧富の格差が拡大すると、平均寿命も短くなるそうです。しかも、これは貧者に限らず、富者についても同様であるとのことです。
よく人材などと言います。私がこの言葉を最初に聞いたのは1990年代になってからですが、1980年代にも使われていたかもしれません。手元の電子辞書によると、人材には「才能があり、役に立つ人。有能な人物。人才」という意味があるそうですが、今の日本で、どこまでこの意味において人材という言葉が用いられているのでしょうか。むしろ、人「材」ですから、人は材料にすぎない訳である、ということにはならないのでしょうか。手元の電子辞書によると、「材」には「才能。また、才能のある人」という意味もあるそうですが、人材の「材」には「原料。材料」程度の意味しかないでしょう。これならいくらでも人を捨てることはできます。
ロスジェネは、まさに日本が目先の経済成長の故に捨てた材です。そして、我々も早晩、捨てられることでしょう。