最初にお断りです。今回は「待合室」の第183回「土曜日午前中の天神界隈(その1)」(2006年9月8日〜14日掲載)および第184回「土曜日午前中の天神界隈(その2)」(2006年9月14日〜21日掲載)の再掲載です。一部を修正しましたが、内容の基本的部分を変更しておりません。
(その1)
福岡に来てまで更新作業をしているというのに、また東京の風景を取り上げるというのも妙な話なので、今回は福岡の風景を取り上げます。
決して長くはない滞在期間なのに、デジタルカメラDSC-L1を持参したということもあって、我ながら呆れるほどに何枚もの写真を撮りました。多分、全部で200枚を軽く超えます。その中には、撮影中、そしてこれまた自宅から持参した、昨年と同じVGN-S52Bに取り込んでいる間、気分が落ちこんでしまうようなものもありましたが、そうしたものは折を見て紹介するとして、今回は、福岡市中央区天神、まさに福岡市の中心です。
本当であれば天神交差点から始めるべきでしょうが、都合により、南端から始めます。交差点が「渡辺通4丁目」となっています。この交差点の手前が渡辺通4丁目ですが、交差点から、左側が天神2丁目、右側が天神1丁目です。
写真に登場する、手前から奥に伸びている道路が渡辺通です。天神を南北に貫くメインストリートとなっています。
渡辺通という名称の由来ですが、上の写真の左側に写っている建物と関係があります。但し、三越と関係があるのではありません。福岡に三越ができたのは1997年、私が大分大学に就職した年のことで、再開発事業の一環でした。この建物は西鉄が所有しており、2階が西鉄福岡駅、3階が天神バスセンターです。渡辺通の名称は、西鉄と深い関係があるのです。
通りの名前は、勿論、人名に由来します。その人物とは渡辺與八郎、西鉄のルーツの一つとなった博多電気軌道の設立者です。彼は、1910年に会社を設立し、翌年に博多駅前(この博多駅は旧駅。現在の地下鉄祗園駅付近)~天神~須崎を開業させますが、その年に急病で逝去しました。この交差点の右側にある天神南駅から福岡市営地下鉄七隈線に乗ると、次の駅が渡辺通で、路面電車のロゴマークが付けられているのは、この渡辺通の由来に忠実なものとして評価できます。
博多電気軌道は、福博電気軌道の後進である東邦電力の鉄道部門と合併し、福博電車となりました。1942年に、九州電気軌道、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道が合併し、西日本鉄道が誕生しました。福博電車は後の福岡市内線となっていますが、1979年に全廃されています。この渡辺通にも福岡市内線の路面電車が走っていました。なお、天神大牟田線は元々が九州鉄道の路線です。
意外な話かもしれませんが、福岡県内の国鉄・JRの路線には、南福岡という駅はあるのですが、福岡という駅がありません。代表駅は博多駅です。福岡と博多は、元々が全く別の町で、一緒になった時に問題が起き、市名は福岡、鉄道の代表駅の名前は博多とすることで決着がつきました。それ以来、現在に至るまで博多駅が代表駅となっています。また、市営地下鉄にも福岡という駅はありません。JR山陽新幹線および鹿児島本線との乗換駅は博多で、西鉄との乗換駅は天神です。市名の名前をつけた駅がないという点は、大阪市営地下鉄、阪急、阪神などとよく似ています(大阪市営地下鉄御堂筋線に新大阪駅がありますが)。
西鉄福岡駅は、1924年、 後に天神大牟田線となる九州鉄道の路線(当時は久留米までの)起点として開業しました。1942年、5社が合併して西鉄が誕生し(その時の本社は、今の集中講義の場所に近い西新に置かれたそうです)、同時に西鉄福岡という名称になりましたが、場所が中央区天神にあったことと、福岡市内線という路面電車の停留所が天神と名乗っていたこともあって、地元では天神駅と言われていたそうです。2001年1月1日に、それまでの大牟田線が天神大牟田線と改称されたのと同時に、西鉄福岡(天神)に改称されました。もっとも、天神は愛称であり、正式名称は西鉄福岡のままだそうです。駅でも「西鉄福岡駅」という表示があります。
天神という地名は、九州以外ではなじみが薄いのではないでしょうか。私自身、福岡の天神という地名を知ったのは大分に住み始めてからのことでした。東京の人に「博多に行った」とか「中州に行った」と言えば話が通じるのですが、「天神に行った」と言っても「どこ? それ」などと首を傾げられることが多いのです。西鉄福岡と言っても、鉄道ファン以外ではわかりません。そこで、福岡市役所のある所、などと説明したものです。余計なことを記せば、初めて福岡市営地下鉄空港線に乗った時には、天神の次の赤坂という駅名に驚いて、「おれ、東京に帰ってきちゃったのかな?」と思ったものでした。もっとも、赤坂という地名は色々な所にあるのですが。
しかし、福岡に遊びに行くにつれ、天神ばかり歩くようになりました。車で行く時など、まずは天神に目標を置いていたほどです。本当にはまってしまったという感じでして、本を買ったり、楽器を買ったりもしました。大分を離れてからも、これまで毎年、この街を歩いています。
上の写真は、渡辺通交差点から東方を見ているところです。歩いて行けば中州に行けるのですが、私は滅多に中州に行きません。天神のほうに魅力を感じているからです。私が大分に住んでいる時に大丸ができましたが、当初は博多大丸と称していました。今は大丸・福岡天神というようです。そして、地下鉄七隈線の天神南駅が見えます。天神駅とは、渡辺通の地下にある天神地下街でつながっていますが、500メートルほど離れています。
渡辺通4丁目交差点を西のほうに進み、天神大牟田線を超えます。南側は今泉、北側が天神で、すぐに警固神社が見えます。警固は「けご」と読みます。知らないと読めないのですが、最近では警固断層が有名になりました。
一旦、西鉄福岡(天神)駅の方向に目を向けます。道路のすぐ上が電車、その上は高速バスの通る場所です。西鉄福岡駅もかなり立派な駅ですが、同じビルの、西鉄福岡駅の真上にある天神バスセンターは、日本でも有数のバスターミナルでしょう。ここから、九州各地、大阪、さらには東京までのバス路線が伸びています。現在、日本最長のバス路線は、この天神バスセンターから東京の西新宿までの路線です。西鉄が運行しています。西鉄は日本最大のバス会社でもあります。
警固神社は工事中でした。そこで、警固公園に入ります。日比谷公園と同様に、地下は公共駐車場となっているのですが、公園を歩いている限り、地下に駐車場があるとは思えません。
やはり警固公園の中です。
やはり警固公園の中です。
警固公園から西鉄福岡駅・天神バスセンターを眺めます。南半分には福岡三越が入っています。東京は日本橋の三越にはほとんど入ったことがないのに、福岡に行くと入ったりするのも不思議なものです。
(その2)
2004年度より3年連続で、福岡市の西南学院大学における集中講義「税法」を担当させていただきました。9月5日に開始、9日と10日の中休みをはさんで12日に無事終了し、川崎に帰って参りました。 一昨年と昨年には台風の影響を受けましたが、今年はそれもなく、少し長めに9月1日から滞在したこともあって、総体的には楽しめたと思っています。 ただ、集中講義の二日目の未明から、少しばかりですが体調が悪くなったのは残念でしたが。
これまで、2回の更新を福岡で行いました。東京での更新となる今回は、不動前→目黒不動尊の続きにするか、天神の続きにするか迷いましたが、天神の続きにしました。なお、今回の福岡滞在ではたくさんの写真を撮っていますので、この「待合室」で何度か紹介することができるでしょう。
遠くからで少々見えにくいのですが、天使がヴァイオリンを弾いているという銅像作品です。何となく、天神に合うような気がしました。裏はソラリアプラザで、多くの専門店が入居しています。女性向けというべきでしょう。昨年の滞在中と今年、大分大学時代の卒業生たちと中を歩いていた時に、ここで九州朝日放送(KBC)の有名深夜テレビ番組「ドォーモ」のロケを見ています。卒業生たちよりも先に、私が気づきました。
少し視線を左にずらします。この写真ではわかりにくいのですが、岩田屋が奥のほうにあります。もう少し歩くと新天町、天神西通りのほうに行くことができます。午前中ですので、まだ人通りはそれほど多くありません。
警固公園は、大都市の中心部にある公園としては理想的な位置にある、と言えるかもしれません。すぐそばに西鉄福岡(天神)駅、地下鉄天神駅があり、場所としてもわかりやすいし、ちょっとした休憩の場所にもなります。待ち合わせ場所としてよいかもしれません。また、福岡発のテレビ番組(福岡県内ないし九州地区以外では見ることが難しいのですが)を見ていると、ここがよくロケの場所にもなっていることがわかります。
公園ですから、子供たちが遊べるようになっています。子供は、母親の買い物に長くつき合わされると、非常に疲れるものです。そのため、買い物帰りなどにこの公園で遊ばせるといいでしょう。但し、子供ですから、何かを買ってもらった場合は話が違ってきますが。
警固公園のすぐそばにある西鉄福岡(天神)駅の入口で、「公園通り」と名づけられています。
なお、私のホームページに設定していた掲示板「公園通り」は、ここから取った名前でも、渋谷の公園通りから取った名前でもはありません。種明かしをしますと、日本を代表するジャズ・ギタリスト、渡辺香津美氏の若き頃のアルバム「ヴィレッジ・イン・バブルズ」に1曲目として収録されている「パーク・アヴェニュー」という曲が好きで、掲示板に名前をつけようとしている時にこの曲のメロディーを思い出し、公園通りという名前にしたのでした。中学2年生の時に、武蔵小杉駅北口のレコード店(今はありません)で購入してから、何度となく聴いているアルバムでした。
天神二丁目から天神一丁目に出ようとしています。西南学院大学での集中講義期間中は、渡辺通、またはこの道路の地下にある天神地下街(今年9月で満30周年を迎えたということで、私が福岡に滞在していた時には展示などを行っていました)が一種の通勤経路になります。それ以前から、福岡に来ると必ず歩き、車で通る道路です。
交差点を横断し、次の目標であるIMS(Inter Media Stationの略。イムズといいます)が見えてきました。大分大学に勤務していた時、福岡に来ると必ずここに寄っていました。今もうちにある2台のシンセサイザーとサイレント・ヴァイオリンは、ここで購入しています。パルサーJ1Jを手放して新しい車を買おうとした時も、まずはIMSにある各社のショールームに入り、何台かの実物を見ました。当時はスバルのレガシーを買いたくて、ここで見て「やっぱりかっこいいよなあ」と思いながらも、予算が足りなくて買えなかったのでした。今年も、既にゴルフを持っているというのにショールームをまわって、当時のことを思い出したのでした。
ちなみに、この写真の真ん中に登場するニュービートルが、一時期の購入候補だった車です。デザインなどとしては、やはり、永久の名車であるビートルのほうがよいと思いますし、ビートルも購入候補でした。ビートルはフォルクスヴァーゲンによる正式な商品名でも何でもなく、ただの愛称ですが、ニュービートルは商品名です。
ようやく登場しました。天神交差点です。奥のほうに見える塔は九州朝日放送の放送塔です。天神三丁目、長浜、那の津方面ということになります。右折すると中州、博多方面、左折すると福岡城址、西新、唐津方面へ向かいます。すぐに天神橋口交差点となりますが、天神地下街はそこまで伸びています。規模から言えば横浜駅西口のダイヤモンド地下街にはかなわないでしょうが、わかりやすさと長さではひけを取らないでしょう。
IMSに入る前に、西鉄福岡(天神)駅の北口を撮影してみました。この駅は、他の私鉄のターミナル駅と比較してもかなり規模の大きな駅であると言えます。バスセンターが同居するからなのですが、京都本線・神戸本線・宝塚本線の3本が集まる阪急梅田駅であれば、これだけの規模を持っていても不思議ではないのですが、西鉄福岡(天神)駅には天神大牟田線のホームしかなく、しかも3番線までしかないのです。
IMSを出て、真東にある福岡市役所に入りました。その前には公開空地が広がっていて、その地下に駐車場があります。ジュンク堂書店福岡店は、私が大分大学に勤務していた時にオープンしました。右側にはベスト電器福岡本店が見えます。どちらにも、何度も入っています。
市役所北側の公園で見かけたものです。最初は何なのかと思ったのですが、なかなかよくできています。それにしても、何のためにこんな銅像があるのでしょうか。
この銅像を別の角度から見てみました。アルト・サックスを手にしているこのおじさん、ジャズ・プレイヤーでしょうか。いつからこの銅像があるのかわからないのですが、最近のものではないでしょうか。私が大分大学に勤務していた時に見た記憶がないのです。
この後、ジュンク堂書店福岡店で、仕事のための本2冊とブランショの「私についてこなかった男」(訳書)を買いました。「わざわざ福岡で買わなくともいいだろう」と言われるかもしれないのですが、2冊は集中講義に役立てようと思って買ったのです。ブランショの訳書は、ここで買っておかないと東京でも入手が困難になるかもしれないと思ったからです。
買い物を終えました。この日、大分大学時代のゼミ生たち、つまり卒業生たちと会う約束をしていたのですが、集合時間までかなりの余裕があったので、西鉄天神大牟田線の急行と普通電車を乗り継いで太宰府天満宮に行きました(当初から予定に入れていました)。上の写真が、私が大橋まで乗った急行電車で、今年デビューしたばかりの3000系です。3扉車ですが、中は特急用の8000系、元特急用の2000系と同じく転換クロスシートです。