ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

分倍河原駅

2023年11月22日 00時00分00秒 | 写真

今回は、東京都府中市にある分倍河原(ぶばいがわら)駅です。京王線と南武線との乗換駅で、京王電鉄が管理しています。

 この駅は、玉南電気鉄道の屋敷分(やしきぶん)駅として1925年に開業しました。翌年に会社合併によって京王電気軌道の駅となりました。ただ、この頃には現在とは異なる場所に駅が設置されていたそうです。1929年に南武鉄道との連絡のために現在の場所に移転したとのことで、同年に分倍河原に改称します。ただ、現在の府中市には分梅(ぶばい)町があるものの、「分倍」という地名はありません。分梅、分倍と表記の揺れがあったようで、新田義貞と鎌倉幕府との合戦場としては分倍河原と書かれます。

 一方、南武鉄道のほうの駅は1928年に開業しており、やはり屋敷分という名称でした。1929年に分倍河原と改称されます。1944年、南武鉄道が国有化され、1987年にJR東日本の駅となります。

 分倍河原駅にはJR東日本の駅員がいません。これは国鉄時代からのことであり、国鉄時代の南武線で国鉄職員が配置されていなかったのは分倍河原駅および八丁畷駅のみでした(JR東日本になってから川崎新町駅および浜川崎駅が無人化されています。また、小田栄駅は21世紀になってから開業した無人駅です)。

 私は学部生時代にこの駅を利用していました。勿論、乗換駅としてです。当時は改札口が一つしかなく、京王線と南武線との乗り換え改札もなかったのでした。現在は、私の知る限り、南武線の跨線橋と京王線の下りホームとの境目に乗り換え専用の自動改札があります。

 また、私の学部生時代には、京王線の急行や快速は停車したものの、特急は通過していました。当時の特急の停車駅は現在より少なく、新宿⇆明大前⇆調布⇆府中⇆聖蹟桜ヶ丘⇆高幡不動⇆京王八王子、または新宿⇆明大前⇆調布⇆府中⇆聖蹟桜ヶ丘⇆高幡不動⇆めじろ台⇆高尾⇆高尾山口でした。2001年になって、分倍河原は準特急の停車駅になりました。特急の停車駅となったのは2013年のことです。

 一方、南武線にも2011年4月から快速が運転されるようになり(正確には復活です)、分倍河原駅は快速停車駅です。この駅から快速に乗ると、上りの場合は隣の府中本町駅に停車しますが、下りの場合は終点の立川駅まで停まりません。西府駅、谷保駅、矢川駅および西国立駅は通過します。通過駅数としては分倍河原駅から立川駅までの区間が最も多いということになります(次に多いのが武蔵溝ノ口駅から登戸駅までの区間で、津田山駅、久地駅および宿河原駅は通過します)。

 それにしても、現在の京王電鉄の特急停車駅には首を傾げたくなります。京王線内の停車駅については問題がないと考えますが、京王線の北野駅から分岐して高尾山口駅に至る高尾線での停車駅がおかしいのです。特急は高尾線の各駅に停車するのですが、急行は高尾線の北野駅、めじろ台駅、高尾駅および高尾山口駅に停車し、京王片倉駅、山田駅および狭間駅は通過します。つまり、特急と急行が逆転しているのです。他の鉄道会社でも見かける千鳥停車の一種なのでしょうが、京王高尾線のように種別の逆転が見られるような例は、少なくとも私の知る限りでは存在しません(やや近いのが阪神本線の特急と快速急行ですが、これは快速急行に阪神の電車と規格が異なる近鉄の電車が使用されることによるものであり、芦屋駅と御影駅で逆転が見られる程度です)。

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