2月10日、青葉台に行きました。小山実稚恵さんのコンサートがフィリアホールで行われたためです。昨年中にチケットを買っていました。
そのコンサートが始まる前にブックファーストに寄ったら、ノーム・チョムスキー(寺島隆吉、寺島美紀子訳)『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』(2017年、ディスカヴァー・トゥエンティワン)を見つけたので購入しました。
今読んでいる最中ですが、その中に、次のような文があります(84頁)。
「高額な所得を得ている高度な専門家たちは、働く場所も賃金も守られています。かれらは世界中の他の人たちと競争するよう追い込まれてはいません。それどころか全く逆です。
しかも、資本は自由に移動できますが、労働者は自由に移動できません。労働者がよい賃金を求めて国外に移動することは容易なことではありません。労働者は勝手に国外に移動することはできませんが、資本にはそれができるのです。」
「ふつうの労働者は、住んでいる家もあり、養わなければならない家族もあり、身動きならない状態に置かれています。他方、金持ちや特権階級は保護されているのですから、その結果は明々白々です。かれら金持ち特権階級は、周りから認められ、実際、賞賛されているので、自由に移動もできるのです。」
これを読んでいてすぐに思い出したのが「足による投票」という話(仮説?)です。学部生時代に政治学か何かの講義で聞いた瞬間に「おかしな話だ。誰がこんなことを思い付いたのか?」という疑問が浮かんだのです。チョムスキーが意図していたかどうかはわかりませんが、彼の主張は「足による投票」の全てではないとしても半分以上を否定するものになっています。
引用したところでは「国外」となっていますが、国内であってもそう簡単に移動できないことは明らかでしょう。少なくとも、労働者が自由に「よい賃金を求めて」国内のあちらこちらへ移動し、住み良い地方自治体を自由に選択することは、それ程簡単にできる話でもありません。
逆に、自分の意思に反して移動せざるをえない場合があるでしょう。あるいは、(具体的に書けませんが)片道だけの交通費を渡されて或る所に流れざるをえず、そこへ着いたらなかなか脱することができない、ということもあります。
また、或る程度は自らの意思で居住地を選択できるとしても、個々の地方自治体に関する詳細な情報を仕入れるのは簡単なことでないのです。
日本もそうですが、世界的に貧富の格差が拡大していると言われています。日本についてはOECDから子供の貧困の問題が鋭く指摘されています(先進国とは思えないレヴェルである、と評価されているとか)。20世紀に平等の夢が大きく膨らみ、実現しようとする動きも活発化したのであるとすれば、21世紀は平等の夢が破れた時代であると考えることが妥当なのでしょう。
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