旧大山街道は、私の散歩道でもあり、時には通勤経路ともなります。また、買い物などへ行くための道でもあります。今回は、高津駅から高津図書館まで歩いてみましょう。
二子玉川~溝の口の複々線化により、高津駅は大きく変わり、東口の改札口が新設されました。その東改札口を出たところです。上の写真ではまだ工事中ですが、現在は居酒屋の「はなの舞」が営業しています。
ここには、電車とバスの博物館の別館というべきものがあり、玉川線の人気者であったデハ200形(通称「ペコちゃん」)の204編成が置かれていました。現在、電車とバスの博物館は宮崎台駅の高架下にあり、204編成もそこにあります。
こちらが、新設された東口です。長らく、高津駅の高架下には電車とバスの博物館があり、この改札口の場所は本館と別館を結ぶ通路の出口でした。当時の入場料は大人も子どもも10円で、自動改札機が置かれ、入場券を機械に通していました。私も、高津駅にあった頃には何度も足を運んだものです。
改札口を出て、高架に並行する道路から一歩脇に入ると、御覧のように、幅の狭い道路があり、住宅地になっています。この辺りの道路は非常に入り組んでいて、しかも曲がっていてわかりにくくなっています。自動車で走ろうとすると訳がわからなくなるかもしれません。歩く際にも注意が必要です。
高津駅は二子四丁目にありますが、すぐに溝口四丁目を通ることとなります。現在はJR武蔵溝ノ口駅やノクティなどのあるところが一丁目となっているのですが、かつての溝口一番地は現在の四丁目にあります。駅前の交差点のところにあるマクドナルドの場所が、その一番地なのです。
どこかのテレビ番組にある路地裏探検のようになっていますが、田園都市線の沿線にもこんなところがあるということを示したいという訳です。
道路が複雑に入り組んでいます。高津区は、武蔵新城駅に近い千年、新作、末長の、それぞれ一部地域を除くと、ほとんどといってよいほど区画整理がなされていません。溝口もそうです。所々に、車で通行できない道路があったり、自動車では途中で行き止まりになっているという道路もあります。車の運転を上達させたかったら高津区内を走り回ると良いかもしれません。
私の小学生時代、川崎市内の小学校で使用された社会科の副読本で、区画整理が行き届いた場所の例として示されていたのが、武蔵新城駅の南口、とくに下新城で、逆として示された例が、同じ武蔵新城駅の北口から少し歩いたところにある中原区上小田中でした(そこの小学校へ、私は通っていました)。上小田中も、自動車で入り込んだら大変なことになるような箇所が多いのですが、溝口もその点では負けていないかもしれません。但し、溝口の場合はポイントとなる場所・道路さえ踏まえておけば、道に迷うようなことは少ないでしょう。
旧大山街道に出ました。高津図書館入口交差点のそばにある、タナカヤという服屋さんです。高津駅から旧大山街道にかけては、田中屋という名前の店が非常に多く、私が知る限りでも写真屋、はかり屋、葬儀屋、氷屋があります。他にもあるかもしれません。
上の写真を改めてみても、いかにも古くからある建物という感じがします。実際、この建物は明治時代に築造されています。
タナカヤの前にある案内板です。既に写真でおわかりかもしれませんが、蔵造りなのです。このような建物は、旧大山街道沿いでも非常に少なくなっており、私が知る限りでは他に灰吹屋の旧本店(高津交差点の近く)くらいしかありません。
タナカヤの斜め向かいは、工事中でした。現在はマンションが建っているはずです。奥へ進めば二子橋で、そこに至るまで、かつては古い建物が多かったのですが、最近は鉄筋や鉄骨の建物が多くなりました。それだけに、蔵造りの建物は貴重なのです。
また、この道を進むと二子二丁目公園があります。そこに大貫病院がありました。あの著名な芸術家、岡本太郎の母親である岡本かの子の生家であった所です(但し、かの子自身は東京青山の別邸で生まれています)。そのため、この辺りには岡本かの子を記念するものが点在しています。高津図書館の入口には歌碑があり、二子神社には岡本かの子文学碑があります(彫刻は岡本太郎が製作したものです)。
以前、「川崎市高津区溝口 旧大山街道散歩 その3」で国木田独歩碑を取り上げました。独歩、かの子。明治、大正の日本文学を担った人々が、この高津区に浅からぬ縁を持っていたことは、高津区に生まれ育った私にとって少しばかりの誇りでもあります。
高津図書館と同じ敷地にある溝口緑地です。入口のそばにひときわ目立つ大木があり、その下に国木田独歩碑が置かれています(http://blog.goo.ne.jp/derkleineplatz8595/d/20111104)。
右が溝口緑地、奥が高津図書館です。「川崎市高津区溝口 旧大山街道散歩 その3」でも記しましたが、ここには文教大学の付属小学校がありました。1980年代、図書館が現在の溝口三丁目から移転してきました。私のホームページに掲載している、大学院修士課程1年生の時の論文「川崎市市民オンブズマン条例についての考察」を書くために、この図書館に何度も来ました。川崎市の市政に関する資料などが置かれているからです。夏休みに利用したこともあって、受験生などで席は占領されていました。朝早く行き、開館を待つ人の列に入ったことも何度かあります。
建物の手前、写真では右側のほうに岡本かの子の歌碑があります。写真ではわかりにくいものなので、掲載は見送りました。
溝口緑地です。公園と表現するほうがよいかもしれません。もっとも、遊具らしいものはほとんどありません。
高津図書館の建物の裏です。ようやく車一台が通行できるほどの幅しかありませんので、当然、一方通行です。
この辺りにはイルミネーションがお好きな方がお住まいのようで、12月になると夜に何軒かのお宅からきれいなイルミネーションが輝きだします。クリスマス、ということなのでしょう。赤、青、黄色などの光が、この付近を照らします。最近では家庭用イルミネーションが流行っているようです。
溝の口駅周辺などでも街灯のイルミネーションがなされますが、あれは街路樹を利用するので、樹木に悪い影響を与えるのではないかと思われます。それに対し、こちらのイルミネーションは民家の壁などを利用します。
もう一度、溝口緑地です。手前の自転車などは、高津図書館を利用する人たちのものでしょう。この図書館には駐車場がないですし、道も狭いので、自動車を利用しないことをお勧めします。旧大山街道は、歩いて楽しむべきです。
高津図書館の裏の住宅地です。ここから溝口五丁目、二子一丁目にかけて、道路は複雑に入り組んでおり、軽自動車でも通行できない箇所もあります。かつては田畑が広がっていたのでしょうか。
高津図書館と高津小学校との境界の近くに、こんなものがあります。何の動物なのかわからないのですが、ラグビーボールのようなものを持っています。
高津小学校の敷地には、川崎市教育総合センターの幼児教育センターが併設されています(総合センター自体は溝口六丁目の国道246号線沿いにあります)。また、川崎市立みぞのくち保育園、地域子育て支援センターたまご、ふれあい子育てサポートセンターたまごも、高津小学校の敷地に併設されています。
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