所得税は、日本の国税の中で最も重要なものの一つである。そればかりでなく、比率などに差があるとは言え、多くの国々においても基幹税の一つであり、重要な地位を占めている。所得税は、1799年、イギリスにおいて採用されたのが始まりであるが※、1891年には、当時のドイツ帝国で、総合所得税、累進税率、申告納税という現代型の所得税が誕生し※※、20世紀に入ってイギリス、アメリカ、フランスなどにおいても現代型の所得税が導入されていく※※※。
※その概要について、さしあたり、諸富徹『私たちは何故税金を納めるのか 租税の経済思想史』(2013年、新潮選書)47頁を参照。
※※但し、この時の所得税は連邦税ではなく、ドイツ帝国を構成した諸邦の税である。ドイツにおいて連邦税としての所得税が導入されたのは、ヴァイマール共和国時代初期、エルツベルガー財政改革の結果として1920年3月29日に公布されたライヒ所得税法による。この点については、拙稿「アルベルト・ヘンゼルの財政調整法理論―ドイツ財政法理論史研究序説―(一)」早稲田大学大学院法研論集81号(1997年)252頁、同「ヘンゼルの地方財政調整法制度論」日本租税理論学会編『相続税制の再検討(租税理論研究叢書13)』(2003年、法律文化社)170頁を参照。Siehe Albert Hensel, Der Finanzausgleich im Bundesstaat in seiner staatsrechtlichen Bedeutung, 1922, S. 101ff., S. 182ff.
※※※神野直彦『財政学』〔改訂版〕(2007年、有斐閣)188頁。
現代型(ドイツ型)の所得税がこれだけ世界に普及したのは、現代国家の福祉国家的発展と無関係ではあるまい。また、金子宏教授も指摘されるように、所得税が「公平負担の要請に最もよく適合して」おり、所得自体も「人の総合的担税力の標識として最もすぐれており、所得税は、基礎控除等の人的諸控除および累進税率と結びつくことによって、担税力に即した公平な税負担の配分を可能にする」こと※が、所得税の地位を高くしたのではないかと思われる。
※金子宏『租税法』〔第二十二版〕(2015年、弘文堂)183頁。
なお、所得税という場合、理論的には個人の所得に対する租税と法人の所得に対する租税の両方が存在する。アメリカなどでは、両者を所得税とする(personal or individual income tax / cooperate income tax)。これに対し、日本は、ドイツの用例にならい、個人の所得に対する租税のみを所得税(Einkommensteuer)としており、法人の所得に対する租税を法人税(Körperschaftsteuer)として区別する。この講義では、所得税、法人税のいずれも所得課税であるという前提を踏まえつつも、両者にみられる顕著な差異に着目し、第二部で所得税を、第三部で法人税を扱う。また、地方税である住民税や事業税については、第四部において解説を試みることとする。
▲付記:税制改革において目指される方向について
現在の税制改革においては、第一に所得税の累進度を低めるという方向性、第二に間接諸税(消費課税など)の比重を上げる方向性が示されている。もとより、双方はそれぞれ別個のものではあるが、往々にして重なり合うものである。とくに、近年は「広く薄く課税する」という方針が示されており、第一の方向性と第二の方向性とが密接な関連を持つものとされている。これを突き詰めれば、所得税を中心とする所得課税の全廃まで行き着くはずであるが、さすがにそこまで徹底されていない。このことが、所得(課)税の存在の大きさを印象づける。実際のところ、所得(課)税を完全に廃止し、消費課税などに移行することは不可能であろう。
もっとも、最近の税制改革の論調として、とくに給与所得控除、扶養控除、特定扶養控除、配偶者控除などの見直し(おそらくは縮小ないし廃止の方向であろう)などが検討課題とされている。また、既にスウェーデンなどで施行されている二元的所得税にも注目が集まっている。これらは、資産所得を優遇し、勤労所得へさらに租税負担を課する方向を目指すものとも言え、課税の公平性という観点からは問題が多い。とくに、二元的所得税は「ぜいたく品などに対しては軽く、必需品に対しては重く課税して、労働や資源の供給が課税によって影響されることが極力少ない租税構造(逆弾力的な租税構造)を望ましいものとして追求する議論である」最適課税論※に基づき、所得を勤労所得と資本所得とに分けた上で、勤労所得は弾力性が低いとして高い税率による累進課税の対象とし、資本所得は弾力性が高いとして低い税率による比例課税の対象とするというものである。資本の蓄積には役に立つかもしれないが、課税ベースの観点からすればどこまで「広く薄く課税する」という方針に適合するかは疑わしいし※※、結局のところは税金を「取りやすいところから取れるだけ取る」ということと変わりがなく、公平性を蔑ろにするものである、と考えるべきであろう※※※。
※宮入興一編著『現代日本租税論』(2006年、税務経理協会)66<頁[中嶋有美子、松井吉三担当]による。
※※日本の所得税は、1947年以来、総合課税制度を原則としている。しかし、後に概観するように、実際には源泉分離課税を広く導入しており、原則は半ば崩壊していると考えてよい。吉田克己『現代租税論の展開』(2005年、八千代出版)59頁が指摘するように、分離課税の下においては高所得者ほど負担が軽減される結果につながり、二元的所得税の導入と同様の結果をもたらすのである。その意味において、既に日本は少なくとも最適課税論の一部分を他国に先行して実践し、二元的所得税、またはその変形を既に導入していると考えることもできる。従って、今さら最適課税論や二元所得税の導入の是非を議論する必要性はほとんどないと評価してよいであろう。
※※※学問から離れて感覚に基づいて記すが、最適課税論の根底には労働蔑視観が存在するのではなかろうか。贅沢品には軽課、生活必需品には重課という部分にもうかがわれるが、何よりも労働から生まれる所得に重く、労働以外のものから生まれる所得に軽く課税するという点が、労働蔑視の世界観を如実に表現していると考えられるのである。プラトン、アリストテレス以来の伝統に基づく西洋哲学の思想の一部が租税論に色濃く反映されているのかもしれないが、果たして、労働蔑視観に由来する租税理論は、健全な国家および社会の育成に貢献する租税制度の構築に有用たりうるのであろうか。むしろ逆であろう。その意味において、最適課税論および二元的所得税は、根本において深刻な問題を抱える学説と評価せざるをえない。
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