ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

法律学の勉強の仕方(その4) 答案練習

2011年12月06日 00時22分47秒 | 法律学

 早いもので、ぼくが大学の教員となってから14年と8ヶ月が経った。教育関係の学部で7年間を過ごし、法学部に移ってから既に7年半を超えたのである。

 教員であるということで、ぼくは期末試験の出題および採点を行っている。大学によって時期は異なるが、大体、前期末試験が7月下旬(現在も9月に行われるという大学もあるかもしれない)、後期末試験が1月下旬から2月上旬にかけてであろう。試験が行われるならば、答案を読んで採点をする。

 大学の期末試験では、選択式(短答式あるいは択一式ともいう)の問題が出る場合もあるが、多くは論述式である。少なくとも法学部では圧倒的に論述式が多く出題される。

 最近では、多くの大学で試験時間が60分となっている。講義の時間は90分であるから、試験時間は「少し短いかな?」という気もするが、様々な事情もあるのであろう。ぼくが学生であった時代には、試験時間も90分であった。大分大学教育学部・教育福祉科学部に在職していた時代も同じであり、担当する講義によっては100分と設定していた。そのくらいあってもよいという気もするが、不思議なもので、90分と設定すると、過半数の学生は60分以内に解答を終える。60分と設定すると、30分から40分で終える。勿論、解答など全くしていない者も存在する。

 研究室で、あるいは自宅で採点の作業(大分時代には研究室以外の場所で採点することはほとんどなかったが)をしていると、色々な答案に出くわすものである。「文句なし!」あるいは「我が意を得たり!」という答案もある。本当に、答案に私が赤か青でそう書くこともある。そこまで行かなくとも、要点をおさえ、構成がしっかりしているものも少なくない(ただ、足りない部分があるから満点とはならない。論証不足、論拠不足などである)。

 一方、文章の構成が上手くない答案も多い。結論が先に書かれていて問題提起が最後に書かれているという、まるで順番が逆転している答案もある(逆立ちして読め、とでもいうのであろうか)。また、何が論点となっているのかが明確にされていないものもあるし、概念の意味、判例や学説の内容などを正確に記していない答案も多い。自分の意見だけを、何の論拠も示さず、主観的に、あるいは感情的に記すというものも少なくない。こちらがヒントを出していても無視されたりする。

 そうかと思えば白紙もあり、全く問題と関係のない文章が延々と続くという答案もある。古典的なところでは「美味しいカレーの作り方」を、時には御丁寧にイラスト入りで書いてくる学生もいる。校歌が記された答案もあった。これも古典的であるが、こちらの出題とは全く違うことを書く学生もいる。どうやら、予想していた問題とは違うものが出たので、自分はこれだけ勉強したのであるということを示したいのか、勝手に問題を作り変えるのである。勿論、ぼくはこれらの答案を見て、その瞬間に0点とする。文字通り、読む段階の問題ではないからである。

 とにかく、100枚、200枚という答案を読み、採点するのであるから、答案にヴァラエティがあってもおかしくはない。しかし、確かなものを感じさせる答案は本当に少ない。ポイントをしっかりとおさえ、過不足なく書けている答案というものには、滅多にお目にかかれないものである。

 この時期、採点をしていると、およそ23年前にスタートした4年間の学生生活を思い出す。その当時も今も、状況はそれほど変わってはいないのであろうが、一体、答案の作成を練習している学生は、どの程度の割合で存在するのであろう。年々少なくなっているのであろうか。

 「答案の練習?」と首を傾げる方もおられると思う。しかし、これは必要な作業である。単に期末試験を突破するために必要なのではなく、レポート、論文などを書くためにも、そして社会に出てから報告書なり何なりを書くためにも必要な作業である。文章作成の練習と思っていただければよい。実際に書かれた答案を読めば、その学生が答案の作成の練習をしているか否か、すぐにわかる。大学院入学試験でも、ろくに練習をしていないのではないかと思われる答案が散見されるだけに、2007年4月から2009年3月まで大学院法学研究科の法律学専攻主任を務め、2009年4月から2011年3月まで法学部法律学科の主任を務めたぼくとしては、答案作成の練習くらいは十分にしておいていただきたい、と申し上げておく。

 旧司法試験が行われていた時代に法学部に在籍していた学生であれば、答案練習、あるいは略して答練という言葉を耳にしたことがあるはずである(耳にしたことがないというあなたはモグリである)。そう、旧司法試験の受験生であれば、答連は常識の範疇に入る言葉であろう。司法試験予備校であれば答連講座というものがいくつも存在していた。法律学の教科書や資格試験の参考書を揃えている大型の書店であれば、司法試験の答練に関する多数の書物を目にすることができた。また、最近では少なくなったが、『演習●●法』、『答練●●法』(学陽書房から出版されていたが、今はどうなのであろうか)、『演習ノート●●法』(法学書院から出版されている)などという本を見かけることもある。余談であるが、ぼくも、2007年4月に出版された法学書院の『演習ノート租税法』の一部を担当している(2008年10月に補訂版が出版されている)。

 ぼくは1988年に中央大学法学部法律学科に入学した。ちょうど、神田駿河台から八王子市東中野に移転して10周年という年である。入学当初から司法試験受験を目指す学生が周りに多かったこともあり、自然に答案練習あるいは答連という言葉が染み付いていった。ぼくも、最初のうちは司法試験受験も考えていたし(司法試験受験団体の入室試験を受けたこともある)、同級生の影響を受けたためであろうか、何となく答案練習を行うようになった。本格的に行い始めたのは2年生になってからであり、様々な科目の論点を探し出し、それぞれの論点について答案練習を行ったものである。全てが良い結果を生み出した訳でもないが、無意味であった訳でもない。むしろ、答案練習をしなかったら、まともな答案を書くことができず、単位を得ることができない科目が続出したであろう。ちなみに、ぼくは、学部時代の成績はそれほど良くなかったが、一つとして落とした科目はない。

 環境にも恵まれていたかもしれない。中央大学多摩校舎の生協の書籍コーナー(今でも、中央大学多摩校舎へ行くと必ず寄り、何冊か買う)には、法律学の基本書(この言い方を知らない法学部生もモグリであろう)や司法試験向けの参考書が揃えられていた。その一角に『演習●●法』、『答練●●法』、『演習ノート●●法』などがあり、何冊か購入しては参考にしていた。また、たしかLEC東京リーガルマインドであったと思うが『論点ブロックカード』のシリーズもあった。

 その後、1992年4月から1997年3月までの5年間、早稲田大学大学院法学研究科で過ごしたが、早稲田大学生協、成文堂などにも演習本や答連本が揃えられていて、時折読んだりしたものである。そもそも、修士課程の入学試験に向けて、大学院入試の過去問を中心にして答案練習を重ねたし、修士論文の作成にも答案練習で得られたものを生かすことになった(勿論、指導教授であった新井隆一先生を初めとした諸先生方の厳しい指導を受けたことを忘れてはならないが)。

 ここまで書いて、まだ答案練習とは具体的にいかなるものであるかを記していなかった。答案の練習と言っても、どのようなものかがわからないかもしれないので、ここでぼくが行ってきたことを中心にして述べていこう。なお、本格的に司法試験を目指す方は、ぼくのこの文章を読んだ上で、司法試験受験参考書などをよく読んでいただきたい。ぼくは期末試験のレヴェルを中心として説明をしていくつもりである。

 今まで記したところから、答案練習は論述式試験への対策であることがおわかりであろう。選択式試験の場合には答案練習など必要ないからである。それでは、論述式試験についての答案練習をどのように行えばよいのであろうか。

 まず、問題文を読む。「当たり前のことじゃないか!」とおっしゃられるかもしれないが、その当たり前のことが大事である。何が問われているかを確認しなければならないし、その問題文から論点を探り出さなければならない。論述式であるからには、或る事項について複数の見解が存在し、それぞれ妥当性を主張しているはずである(そうでなければ論述式の問題を出す意味も答える意味もない)。何が論点であり、その論点についていかなる見解が存在するのか、その概要を把握していることを示す必要がある。

  たとえば、「日本国憲法の下において予算はいかなる法規範であると考えるべきかにつき、論じなさい」という問題文があったとする。ここで問われているのは予算のことである。そこで、予算とはそもそも何であるのか、定義を確認しておかなければならない。よく、定義すら書かれていない答案を見受けるが、これでは採点者に「本当に理解しているのだろうか?」と思わせてしまう。科目あるいは採点者によっては、定義を記すだけでも合格点を出す人もいるほどであり、それだけ重要なものなのである。

 出題の内容を確認し、定義を記したならば、次は論点である。出題者の意図はここにある。たまたま、上の問題文では「予算はいかなる法規範であると考えるべきか」という形で論点があげられている。但し、これはまだ抽象的である。何故に論点となっているかと言えば、日本国憲法には予算の法的性質に関する規定が存在しないこと、予算と法律とを区別し、それぞれの成立過程について異なる手続を規定していること(第59条、第60条、第73条第5号を参照)をあげることができる。また、諸外国の例では予算も法律の形式を採ることが多い(イギリスでは慣習法として予算が法律の形式を採るのであり、これが他のヨーロッパ諸国に広まった。例、ドイツ連邦共和国基本法第110条、アメリカ合衆国憲法第1条第9節第7号、オーストラリア連邦憲法第54条、フランス共和国憲法第47条)。しかし、日本の場合は、大日本帝国憲法が予算と法律とを区別しており、日本国憲法もこれを引き継いでいることが、予算の法的性質に関する議論が生じたことの原因の一つとなっている。できるだけ、このような背景を述べた上で論点を示せばよい。

 その上で、学説や判例の状況を示す。予算の法的性質については判例が存在しないので、学説を概観すればよいことになるが、予算行政措置説(日本国憲法の下では採りえない説なので、答案に示さなくともよいと思われる)、予算法形式説(通説)、予算法律説があり、主に予算法形式説と予算法律説とを検討していくことになるが、その前提として両説の概要を示さなければならない。

 なお、とくに判例がある場合についての設問に対する解答で、学説や判例の状況を述べて終わっている答案が多い。時間の関係なのかどうかはわからないが、中途半端である。論述式問題で出題者が最終的に尋ねたいことは、解答者がいかなる立場を採って問題を処理しているのか、ということである。学説や判例の状況が正確に示されていれば、それでも合格点になるかもしれないが、高得点には至らない。採点者にもよるが、C(可)、高くてB(良)である。

  次に両説の検討である。解答者がどちらの説に立つかを予め決めておく必要があるが、ここでは予算法形式説に立つこととしておくと、予算法律説による予算法形式説への批判と、それに対する予算法形式説からの反論を記せばよい。但し、何の根拠もないような感情的な議論であってはならない(演習でもこのような議論をやる学生がいて、時々困るが)。たとえば、憲法の構造、条文の規定の仕方、予算と法律との矛盾の問題、国会の予算修正権の広狭の問題を検討した上で、予算法律説を批判していく。ここで、論理構成、法的思考法の有無または程度が問われる。解答者の力量がよくわかる部分なのであるから、ここに重点を置けるようになっていただきたいものである。

 そして結論である。意外なことと思われるかもしれないが、結論が書かれていない答案が多いのである。これでは、採点する側としては解答者が何を考えているのか測りかねる。結論はしっかりと示していただきたい。

 一行で終わるような問題文のみならず、事例問題についても、何が問われているかを確認した上で、論点を見つけなければならない。

 ぼくが当時の大分大学教育学部に就職したばかりの1997年度に、前期末試験として次のような問題を出したことがある。

 「A(男)には、正式に婚姻関係を結んだB(女)との間にCおよびDという二人の子供がいる。一方、Aには、愛人E(女)との間にFおよびGという二人の子供がいる。ある日、Aは交通事故によって不慮の死を遂げた。そこで相続が開始されたが、Aは遺言を残しておらず、家庭裁判所により、B、C、D、F、Gは、法定相続分に従ってAの財産を相続した(なお、Eは法定相続人とならない)。しかし、法定相続分に従うと、FおよびGはCおよびDの二分の一しか相続できない。そのため、Fは不満を持ち、この法定相続分を規定する法律は憲法違反であると主張している。

 さて、あなたは、Fの主張に対してどのように考えられるでしょうか。法定相続分を規定する法律の条文を明らかにし、憲法第何条に違反する疑いがあるのかを明らかにした上で、論じて下さい。」

 この問題でも論点らしきものが登場している。ここで問われている事実を確認し、法定相続分を規定する法律の条文は民法900条であり、その第4号が「子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし、父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする」と定めているために、この規定が憲法第14条(および第24条)に違反するのではないか、ということが問われているのである。この場合、民法が法律婚主義を採用していることも確認しなければならない。法律婚主義と平等主義との間のバランスをどのように取るべきか、という問題にもつながるからである。

 上のような事例問題については、定義を記す必要がない場合もある。事例を確認した上で論点を示し、その上で判例(たいてい、事例問題は判例を題材にしている)や学説の状況を示す。学説がいくつも存在する場合には、通説と有力説を示せばよいであろう。

 以上に述べたことを、実際に文章にする。その際、構成を考えなければならない。答案のみならず、レポートでも最初から最後まで改行なしという、構成も何も無いようなものをよく見かけるが、これでは読みにくく、採点を拒否しているのかとすら思われてくる。勿論、高得点など望めない。ぼくは、こういう答案やレポート、とくにレポートについては低い得点しか与えない。そもそも文章になっていないのであるためである。

 答案練習は、答案となすべき内容を文章とする練習であるから、構成、とくに段落を活用しなければならない。序破急、起承転結という言葉を聞かれたことがあると思うが(ちなみに、ぼくは小学生高学年の時代に4コマ漫画の入門書か何かで知った)、厳密に守ることができるかどうかは別としても、いかなる文章であっても序破急、起承転結という基本構造は必要である。とくに法律学の場合は、思考方法としても身に付けておくべきであろう。答案の場合、最低でも3段構成、通常は4段構成で作成するのが望ましい。逆に、7段構成、8段構成というようなものも望ましくない。クラシック音楽で、協奏曲の多くが3楽章構成、交響曲や弦楽四重奏曲の多くが4楽章構成となっているが、これには理由がある訳である。序破急、起承転結という形になっているではないか。

 それでは、答案の場合はどのように構成すればよいであろうか。問題によって異なるかもしれないが、大体、次のような構成を常に念頭に置くとよいであろう。

 一.問題文に示されている用語の定義、その用語に関する論点の摘示

 二.論点に関する判例や学説の概要

 三.前段で示された判例や学説への検討、批判

 四.結論

 あとは、実際に問題文(できるだけ多く!)に触れ、作成してみていただきたい。書店で上に記した『演習●●法』、『答練●●法』、『演習ノート●●法』などを見つけたら、そのうちの一冊を買い、徹底的に読み込み、書き込み、分析してみるのもよい(これをぼくは「つぶす」あるいは「読みつぶす」と言っている)。当たり前のことであるが、回数を重ねることが必要である。そして、試験の直前だけ行うというのではなく、普段から、講義ノートのまとめなどという形で行うとよい。論点について理解を深めることができるからである。

 今はどうなのかわからないが、ぼくが学部生であった頃、司法試験受験生の多くがB6のカード(京大式などと言った)を持ち歩き、1枚に1つの論点として答案の例を書いていた。これがブロックカードと呼ばれるものである。ぼくは、行政法のゼミに入り、日本評論社から出版されていた『法学ガイド行政法』の内容をまとめるということでブロックカードを作った(現在は所持していない)。その後、大学院入試のために気に入ったデザインのノートを何冊か買い(勉強の合間に、気晴らしを兼ねて二子玉川などへ買いに行ったこともある)、憲法や行政法の問題について答案練習をしていた(その時のノートは現在でも保存している)。

 自分で問題文を作ってみることも必要であろう。教科書、基本書を参考にして、問題文を作ればよいのである。最初は「▲▲について論じなさい」で結構である。定評のある教科書や基本書であれば、多くの論点が明示されているし、構成もしっかりしているから解答を作成する際の参考にもなる。

 但し、断っておくが、ただ漫然と引用したり写したりしないこと。ぼくの学生時代にも多かったことであることはあるが、学生から提出されたレポートやレジュメで、ただ教科書などを引用しただけのものがあまりに多いので辟易する。それでは何の勉強にもならない。「何故そのように書かれているか?」、「どのような主張であり、どのような構成で書かれているのか」ということをよく見極める必要がある。

 そして、これはぼくの学生時代を振り返っての反省にもなるが、答案練習を独りだけでしても、よほどの実力がある人でなければ、自分が書いた文章の良し悪しを判断することが難しい。そこで、友人同士で読み合い、あるいは教員に読んでもらうとよい(だからと言って、試験直前にぼくの研究室に駆け込まれても困ります。念のため)。他人の目で読んでもらうと、書いた本人が気付かなかった誤りなどが判明することが多い。ゼミに参加している学生同士などで、答案練習会でもやってみるとよいと思っている。

 あれこれと書いてきたが、参考になったであろうか。ともあれ、文章なるものはまず書いてみることである。実際に手を動かしてみなければ、頭に浮かんだことであっても表現することはできない。

  (以上は、2008年1月28日、私のサイトに設けていた「雑記帳VGM」に掲載し、2010年3月30日、修正の上で「雑記帳Mein Notizbuch」に再掲載したものです。)


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