ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

東急大井町線途中下車(11) 中延駅

2015年09月04日 08時00分00秒 | まち歩き

 戦前に、大井町線では急行が運転されていました。詳しいことはわかりませんが、荏原町駅を出ると大井町駅まで停車しないという形態であったようです。しかし、1936(昭和11)年に廃止されました。

 大井町線は、1963(昭和38)年に田園都市線と改められます。1966(昭和41)年に溝の口~長津田が開業します。その2年後、1968(昭和43)年、つくし野駅の開業の後、朝、しかも上り電車のみですが快速(通勤快速と称されたそうです)が運転されます。しかし、この快速は二子玉川園(当時)~つくし野だけが快速運転であり(停車駅は、つくし野、長津田、青葉台、たまプラーザ、鷺沼、溝の口、二子玉川園)、大井町~二子玉川では各駅に停車していました(その後、すずかけ台、南町田、つきみ野が開業します)。結局、この快速は、1979年、大井町~二子玉川が再び大井町線と名称を改められるとともに消滅します(田園都市線・新玉川線の快速は1996年、すなわち平成8年まで残りました)。

 2008(平成20)年3月28日、大井町線に急行が復活します。当初は大井町~二子玉川で、2009(平成21)年7月11日から大井町~溝の口となります。また、土休日には大井町~長津田(一部は中央林間→大井町)でも運転されます。大井町線内の停車駅は大井町、旗の台、大岡山、自由が丘、二子玉川、溝の口で、いずれも他路線との乗換駅です。池上線、目黒線、東横線および田園都市線を連絡するとともに、乗換駅同士の短絡を意図するものと言えます。

 しかし、よく見ると例外があることがわかります。つまり、他路線との乗換駅であるにもかかわらず、急行が通過する駅が存在するのです。それが、今回取り上げる中延駅です。都営浅草線との乗換駅で、同線に乗れば新橋、東銀座、浅草、さらに京成線の京成佐倉、さらに成田空港にも行くことができるのですが、泉岳寺止まりが多いことも事実です。大井町線の他の乗換駅と比べて、あまり利便性が高くないと評価することもできるでしょう。

 どの路線でも、高架下には独特の表情、あるいは雰囲気があります。ここは大井町線の中延駅のそば、荏原町駅方面で、このように自動車は通行不能という細い道、すぐそばには木造の住宅が建ち並んでいます。

 実は、荏原町駅からほぼ大井町線に沿うように歩いてきました。狭い幅の道路が入り組んでいますので、少々わかりにくいのですが、大井町線を目印に歩けば見当は付きます。

 旗の台駅は(東側が)高架、荏原町駅は地上にありますが、中延駅は高架となっています。しかし、戸越公園駅は地上にあり、下神明駅は高架です。大井町駅から旗の台駅構内まで、起伏が激しい土地ではないのですが、大井町線は高架を走ったり地上に降りたりします。戦前から旧荏原区内には住宅地が拡がっていたために、このようになったのでしょうか。中延駅が高架化されたのは、1957(昭和32)年のことです。この駅だけが高架化された理由は、後に記します。

 大井町線に沿うように歩いてきましたが、常にそのように歩ける訳ではありません。駅の西端で左に曲がり、ブックオフ中延駅前店のそばに出ますと、荏原中延駅付近まで伸びるアーケード街に出ます。そこは後に歩きますので、まずは駅に出ることとしましょう。上の写真にある交差点を右に曲がればよいのです。

 中延駅に到着しました。OM04、所在地は中延四丁目です。1927(昭和2)年7月に開業しました。

 先に記したように都営浅草線との乗換駅ですが、急行は通過します。2014年度の乗降人員は21903人で、2013年度よりも増えています。浅草線の駅のほうは28819人です(東京都交通局のサイトによりますが、年度は不明です)。

 両隣の戸越公園駅および荏原町駅は地上にあるのに対し、中延駅は高架化されたのですが、これは、すぐそばに国道1号線が通っているためです。世代によっては第二京浜というほうが通じやすいこの大幹線道路ですが、昭和30年代の初頭までは大井町線の踏切があった訳です。これでは早晩に渋滞などの支障が生ずるということで、高架化されたのでしょう。

 大井町線から浅草線に乗り換えるには、大井町線の駅の改札を出たら右に曲がり、そのまま国道1号線のほうへ進みます。駅に道案内も出ています。大井町線のほうの駅前はこのような感じです。蕎麦屋があるので入りたくなりましたが、まだ10時台でしたのでやめました。

 こちらが浅草線の中延駅です。A03という番号が付けられています。1968(昭和43)年11月に開業しました。所在地は東中延二丁目となっています。

 浅草線といえば、東京の地下鉄では1号線と位置づけられており(2号線が日比谷線、3号線が銀座線です)、1960(昭和35)年に押上から浅草橋までが開業し、東京では初めて、他社路線との相互乗り入れを行いました。その後は段階的に延長を繰り返し、泉岳寺から西馬込まで開業したのが1968年11月です。ただ、泉岳寺から京浜急行に乗り入れる列車が多く、泉岳寺⇔西馬込については同じ浅草線でありながら押上⇔泉岳寺と異なる路線であるようにも見えます。

 今月(2015年9月)末日をもって神保町の書泉ブックマートが閉店するというニュースがありました。私自身は2011年の模様替えが行われるまで書泉グランデのほうばかり行きました。法律学や経済学の専門書が置かれなくなったために、入ることがなくなりました。あまり関係のない話を記しましたが、私は、高校生時代に初めて神保町へ行き、それから何度も足を運ぶこととなりました。しかし、当時、神保町には都営地下鉄(三田線と新宿線)しか通っておらず、半蔵門線は半蔵門までしか伸びていなかったため、神保町へ行く時にこの中延駅を利用したことがあります。

 大井町線の高架が見えます。中延駅入口交差点で、目の前の道路は東京の日本橋から大阪の梅田新道までの国道1号線です。この真下に浅草線が通っている訳です。奥のほうへ進めば戸越駅(バス停は戸越銀座という名称)、五反田駅へ向かいます。

 国道1号線なのに第二京浜という通称があるのは、元々、現在の国道15号線が国道1号線(さらに遡れば明治1号国道)であったためです。その名残で、現在でも国道15号線は第一京浜とも言われます。旧東海道は国道15号線のほうであると捉えてよいでしょう。

 

 ちょうど、国道1号線を通る東急バスの反01五反田駅行きが止まっています。中延駅前バス停も近くにあります。五反田駅から川崎駅西口北までの路線で、意外に使い勝手が良いという印象を受けました。五反田駅から西馬込駅前まで浅草線と並走するように運行され、池上本門寺の裏のほうを通って多摩川大橋を渡り、遠藤町から国道409号線を走ります。なお、大田区内で池上線や東急多摩川線の高架下を抜けますが、どちらの路線の駅にも少し遠いのが難点です。

 浅草線は、この奥のほうへ向かって馬込駅、西馬込駅と進みますが、そこで止まってしまいます。中途半端である憾みは否めませんが、これは浅草線の建設経緯によるものです。

大井町線の中延駅に戻ります。駅前に東急ストアがあります。その右側にあるプレハブのようなものに、浅草線の駅までの経路が地図で示されています。

 さて、中延駅からアーケード街のほうへ歩いて行くこととしましょう。いかにも品川区らしい、幅の狭い道路にある商店街です。しかも、下町ではないのに下町のような街です。川崎市で生まれ育った私はこのような雰囲気を好むのですが、いかがでしょうか。ニュータウンなどのように広い道幅、そしてロードサイド店ばかりの場所には馴染めないのです。7年間も大分市に住み、ロードサイド店ばかり利用してきたにもかかわらず。

 この道路の左側は品川区中延ですが、右側は品川区東中延です。一方通行ですので、車で走るとなれば面倒です。商品の搬送など、苦労するのではないかと思われます。この道を真っ直ぐ進むと西中延三丁目、さらに旗の台二丁目に行くのですが、交差する道路も一方通行であることが多いようで、慣れない人(私もこの辺りを車で走ったことはありません)は迷うかもしれません。

 アーケード街に入りました。左側が中延、右側が東中延です。なかのぶスキップロードという名前も付けられている中延商店街を歩いています。以前にも歩いたような気もするのですが、通しではないので、本格的に歩くのは今回が初めてです。3月にはなかのぶジャズフェスティバルも行われます。東急の駅で毎月入手できる沿線ガイドにも案内が出るので、いつも行きたいと思うのですが、必ず何らかの予定が入り、行けないままです。いつであったか、渡辺香津美さんが出演するということでしたが、仕事を優先せざるをえなかったのです。この商店街にボナペティというジャズバーがあり、そこにも行ってみたいと思っています。

 日本最初の本格的なアーケード商店街は品川区、しかもこの中延商店街からそれほど離れていない武蔵小山商店街ですが、関西などと異なり、東京をはじめとする首都圏ではそれほど多くありません。歩道部分のみがアーケードとなっている商店街は比較的多いのですが、道路全体がアーケード商店街となっている所は、品川区でも中延と武蔵小山と西小山しか思い出せませんし、大田区であれば蒲田と大森、板橋区であれば大山、台東区であれば浅草の仲見世通り、荒川区であれば三ノ輪橋と町屋、川崎市であれば川崎駅東口の銀柳街と新城のあいもーる、溝の口駅西口商店街、といったところです。

 逆に、関西ではアーケード商店街が多いようです。私も京都、大阪、神戸にあるいくつかのアーケード商店街を歩きました。また、九州も、いわゆる繁華街や中心街ではアーケードが多いのですが、寂れているところばかりです。すぐに思い出すのは大分市の竹町、臼杵市の二王座、中津市の新博多町、佐賀市の白山商店街、田川後藤寺駅付近、直方駅付近、黒崎駅、大牟田の新栄町駅付近です。シャッター通りとなっている所が多いのです。勿論、福岡は天神の新天町、北九州は小倉の魚町や旦過など、賑わい続けているところもあります。熊本市の上通、下通および新市街、鹿児島市の天文館もアーケードとなっていますし、長崎市の浜町や佐世保にもアーケード商店街があります。

 中延商店街は、午前中からそれなりに人通りも多く(上の写真ではそのように見えませんが)、シャッター通りにはなっていないようです。ただ、正確な数字はわかりませんし、1970年代などと比較すれば人通りは少なくなっているのかもしれません。

 


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