〔以下は、「待合室」の第506回として2012年12月24日~31日に掲載した「豊橋鉄道東田本線(その1)」、および、第508回として2013年1月8日~15日掲載した「豊橋鉄道東田本線(その2)」を、修正等の上で再掲載したものです。〕
2012年5月、初めて名古屋市と豊橋市を訪れました。その折に豊橋鉄道渥美線を利用し、元東急7200系の1800系に乗り、田園都市線、大井町線、東横線などで走っていた頃を思い出して堪能しました。三河田原駅の周辺を歩き、撮影も行った後、三河田原駅から新豊橋駅に戻り、豊橋駅の東口に出ました。
豊橋鉄道渥美線の新豊橋駅からJR東海・名古屋鉄道の豊橋駅までは、ペデストリアンデッキでつながっています。バスや路面電車への連絡もよくできています。そのため、乗り換えは便利です。
この豊橋駅は、言うまでもなく、愛知県東部を代表する中核市である豊橋市の代表駅です。東海道新幹線および東海道本線の途中駅にして飯田線の起点駅、そして名鉄名古屋本線の起点駅ですが、他の駅ではあまり見られない特徴がいくつかあります。
第一に、東海道新幹線を含め、全てのホームが地上にあるという点です。新幹線の場合は高架駅が多いのですが、豊橋では新幹線のホームも在来線のホームも地上にあります。東京で言えば池袋駅に似ているとも言えます。もっとも、池袋の場合は地下鉄が3本通っており、全て地下にホームがありますし、JRの改札口も地下にありますが、豊橋駅には地下鉄が通っていませんし、改札口は2階にあります。
第二に、ともにこの駅を起点とする飯田線と名鉄名古屋本線が線路を共用していることです。飯田線は1番線と2番線に、名鉄名古屋本線は3番線に停車しますが、ホームは同じと言ってもよく、改札口も全く同じです。さすがに自動券売機は別の場所にありますが、注意しないとJRと名鉄とを間違えてしまいます。一方、豊橋鉄道渥美線の起点駅は新豊橋で、改札口が少し離れた場所にあります。
第三に、この駅のそばから発車する路面電車、豊橋鉄道東田本線(豊橋鉄道のサイトでは「豊橋市内線」)の電停の名称です。他の都市であれば「●●駅前」という名称が付けられるでしょう。しかし、この東田本線の電停は単に「駅前」と名乗ります。全国唯一の例です。
第四に、駅前から路面電車が発車するという新幹線の駅は、全国的に見ても少なく、東海道新幹線では豊橋が唯一となっています(山陽新幹線であれば岡山と広島、九州新幹線であれば熊本と鹿児島中央という例があります)。
駅前電停にモ782が停車しています。かつて、名鉄名古屋本線の終点、名鉄岐阜駅付近を経由する岐阜市内線などで運用されましたが、2005年に岐阜市内線、田神線、美濃町線および揖斐線が廃止されたことにより、全7両が豊橋鉄道東田本線に移籍しました。
この電停は何度か移転しており、現在の位置となったのは1998年のことです。それまではもう少し東側にあったそうですが、駅前の開発事業に伴い、利便性を高めるためにペデストリアンデッキの下へ移転しました。わずか150メートルほどであるとは言え、路線が延長されたのです。
東海地方では唯一となってしまった豊橋の路面電車は、現在、駅前~赤岩口、井原~運動公園の計5.4キロメートルの路線網を有します。かつては、この駅前電停から市民病院まで伸びていたほか、新川~柳生橋の路線も存在したのですが、いずれも廃止されています。しかし、井原~運動公園が開通したのは1982年で、当時としては、否、現在に至るまで、路面電車としては非常に珍しい新設路線です。名古屋市の市電が廃止されて久しく、岐阜市内の路面電車も廃止されたのですが、東田本線は利用客の多さに恵まれたようです。
さて、最初の3枚を撮影した5月から半年経ち、11月、再び豊橋を訪れました。5月には東田本線を利用しなかったので、今度は是非とも利用しようと思っていました。渥美線の新豊橋駅で一日乗車券を購入し、駅前電停に着きます。
好ましいのは、都電や東急世田谷線と同じ前払いの均一制運賃であることで、大人が150円、小人が80円です。常に思うのですが、距離が短いのに区間制の運賃であったり、均一性運賃であっても後払いで、しかも整理券を取らなければならないというのは、わずらわしいという点でサービスが悪く、また資源の無駄といえないでしょうか。
写真の電車はT1000形です。3両編成ですが台車が2つしかなく、真ん中の1両はフローティング構造となっています。この1編成しかなく、豊橋鉄道のオリジナル車両としては何と83年ぶりの新車であるとのことです。最近の路面電車に多い低床構造で、2008年にデビューし、2009年度のローレル賞を受賞しています。なお、車体構造の関係により、井原~運動公園を走ることができません。
T1000形は、駅前電停を発車しました。しばらく市街地を走っていましたが、豊橋公園前電停を出て、東八町の辺りから坂を登り始めます。前畑電停は、勾配の途中にあることがよくわかるような構造になっています。東田電停には安全地帯がなく、電停を示す表示が道の電柱にあります。かつて、岐阜市内線などには安全地帯のない電停が多かったそうですが、東田本線では唯一の例です。見ていると、電車を降りる客は、左右を確認して、車が通過するのを待っていました。道路もかなり狭いのです。競輪場前電停に着く寸前に単線となります。
井原を過ぎ、終点の赤岩口に到着しました。近くには、車庫を除けば幾つかの郊外型スーパーマーケットくらいしか見当たりません。やはりここは、外から車庫を眺めるしかないでしょう。
左側の手前にある白い広告車がモ3200形で、元々は親会社である名古屋鉄道の岐阜市内線や美濃町線を走っていました。右側の手前にある広告車はモ780形です。その他に3両が停まっています。
どこかで見たことがある車両だと思い、すぐにわかりました。都電荒川線の7000形です。現在も荒川線で運用されていますが、一部が豊橋鉄道に譲渡されており、モ3500形として運用されています。
先程のモ780形を再び撮影してみました。785号です。
再びモ3200形です。3202号で、「PLAT 穂の国とよはし芸術劇場」の広告車となっています。後になってから知ったのですが、この広告車は翌日(11月3日)から、2013年5月までの予定で運転されるとのことでした。
終点の赤岩口電停です。単線で、ホームが狭く、すぐそばは道路となっています。左側へ向かうと井原電停です。通常、電車はこの電停で折り返し、駅前電停へ向かいます。しかし、線路と架線は右側へ伸びています。
先程の電停のそばに、車庫への入り口があります。赤岩口電停から少しばかり奥へ走り、進行方向を変えて車庫に入ります。つまり、車庫に入る部分がスイッチバックになっているのです。東田本線を走る全ての車両がここに所属しているとのことです。
もう一度、赤岩口電停です。この日は風が冷たく、電停付近では寒く感じました。10月まで、少し暑いくらいの陽気でしたので、そのつもりで豊橋市まで来てしまったのです。
赤岩口電停から、今度は運動公園電停を目指そうと、狭いホームに立ちました。手前に電車用の信号機があります。通常の赤・黄色・青ではなく、赤の×印、黄色の矢印で表示されます。自動車運転免許のための教本にもこの種の信号のことが書かれていますが、全国にどれだけの信号があるのでしょうか。東海地方で路面電車の信号を見ることができるのも、今では豊橋市だけとなっています。
電停で待っていると、しばらくして駅前電停からの電車が到着しました。これに乗り、次の井原で降りました。この井原電停が、東田本線の支線の分岐点となります。
支線は井原から次の運動公園前までという、非常に短い路線です。しかし、実は二つの点で目立つ存在なのです。
特徴の一つが開業時期です。この支線は1982年に開業しました。意味は、当時としても非常に珍しい例であった、ということです。
御承知の通り、かつては都市内交通の主役であった路面電車は、1960年代から70年代にかけて、次々と廃止されました。たとえば都電は、日本一の営業距離と在籍車両数を誇っていましたが、現在の荒川線(三ノ輪橋~早稲田)を除いて全廃されました。同じく都内では1969年に東急玉川線(渋谷~二子玉川園)と砧線(二子玉川園~砧本村。厳密には鉄道線)も廃止されています。この他、関東地方では川崎市電と横浜市電が廃止されています。東海地方では名古屋市電が全廃されています。豊橋鉄道東田本線と名鉄岐阜市内線・田神線・美濃町線は残りましたが、1980年代に岐阜市内線の一部が廃止されており、1999年には美濃町線の一部が廃止され、そして2005年に岐阜市内線・田神線・美濃町線が全廃されました。従って、東海地方では豊橋鉄道東田本線のみが残りました(この他、名鉄豊川線が軌道線ですが、実態は本式な鉄道線です)。
最近になって路面電車が見直され、廃止寸前であった加越能鉄道の路面電車は第三セクターの万葉線(株式会社の名称。路線としては高岡市内線と新湊港線)としてよみがえりましたし、富山地方鉄道富山市内線では僅かながら新規開業区間も出ています。また、岡山電気軌道は、岡山市内の路線の延長こそないものの、南海から貴志川線を受け継ぎ、和歌山鉄道として子会社を設置し、運行しています。豊橋鉄道東田本線の支線は、こうした動きの先鞭をつけたものとして評価されるべきものです。
もう一つの特徴については、次の写真を御覧いただきましょう。
井原電停から分かれる支線の線路が手前にあります。実はこれが支線の最大の特徴でもあります。写真でおわかりになるでしょうか。「かなり」どころか、日本の鉄道線・軌道線では最も急なカーブなのです。曲線半径は11メートルしかありません。
実際に電車に乗り、この区間を通過すると「よくこんなきついカーブを曲がるものだ」と感心します。運転士の腕の見せ所でしょう。勿論、速度はかなり落とされますが、高速運転が前提とされる鉄道路線では認可される訳がありませんし、軌道でもここまで急な曲線がよく認められたと思います。
路面電車が走る道路の幅にも関係があります。東田本線の道路の幅が狭いのです。この辺りでは車線辺りの幅も少し狭く、電車のそばを大型トラックが通ると接触するのではないかと思われるほどです。井原電停も、安全地帯があるとはいえ、ようやく人の一列ができる程度の幅しかありません。
あまりに急なカーブのため、東田本線を走る電車でもモ800形(元名鉄)とT1000形(自社発注)は支線を走ることができません。
井原電停の時刻表を見ると、運動公園前行きの電車はすぐに来ないことがわかりました。井原から運動公園までは歩いてもたいしたことのない距離ですので、歩くこととしました。本線より広い幅の道を真っ直ぐ歩けば、ほどなく運動公園前電停に着きます。名称の通り、岩田運動公園や豊橋市民球場が近くにあります。周囲は、学校も多い住宅地です。この先、延長できないのかとも考えるのですが、その需要はない、ということでしょうか。
今は客がいませんが、ここから豊橋駅方面ヘ向かう乗客は少なくないようです。東田本線は、とくに市街地での利用客が多く、立派に足として機能しています。単線で、ホームも1本しかない構造ですが、続行運転を念頭に置いているのか、ホームは長めになっています。おそらく2両は停まれるでしょう。
安全地帯にホームまである電停ですが、交差点には電停の名称を示す標識灯も置かれています。電停には横断歩道が直結しており、歩行者用の信号もあります。西側は完全な住宅地で、東側に岩田運動公園などがあります。
東側の岩田運動公園です。今は閑散としていますが、休日ともなれば賑わうのでしょう。この公園の敷地内に豊橋市民球場があり、年に何回か、プロ野球の試合が行われるそうです。愛知県ですから、当然、中日ドラゴンズということになります。最寄が運動公園前電停ですので、一軍の公式戦ともなれば、路面電車にも多くの客が乗り込むのでしょう。もっとも、このところ、プロ野球の人気はかなり低くなってきてはいるのですが。
私が訪れたのは2012年11月2日の午前中です。少しばかりですが風が冷たい日でした。既に、公園の中には紅葉も見られます。このところ、都内などでは11月になっても紅葉が見られないという年が続いてきましたが、2012年の秋は短く、急に冬の寒さが厳しくなったように感じられました。
運動公園前電停の信号です。路面電車らしく、赤の×印が表示されています。下の「対」と「続」は、おそらく閉塞区間と関係するのでしょう。この支線は井原からここまで(つまり全線)が単線ですので、離合(行き違い)ができません。鉄道の場合は一閉塞区間に一編成しか走れないのが原則であるためです(そうでなければ正面衝突などの事故を起こします)。但し、続行運転が行われる場合もあります。つまり、同じ方向に2本以上の電車が走る場合がある、ということです。昔ながらの鉄道線や軌道線であれば、タブレットを交換したり通券の授受が行われたりしたのでしょうが、現在では自動閉塞を採用している路線のほうが圧倒的に多いはずです。
運動公園前電停は終点です。つまり、その先に線路は伸びていないということです。どのような形で線路が終わるのでしょうか。
都電荒川線の早稲田や三ノ輪橋、東急世田谷線の三軒茶屋や下高井戸には車止めがあります。しかし、この運動公園前電停には車止めがありません。御覧のように、横断歩道のところで線路が切れており、そのまた少し手前に黄色い線(停止線)が引かれています。これでおしまい、非常に簡素な終点です。
最後に、この電停を手前にして、南に伸びる道路を撮影してみました。幅が狭まっていることがわかります。この道路を真っ直ぐ進むと愛知県道31号線に合流し、さらに国道1号線に出ることができます。さらに東海道本線の二川駅に到達可能なのですが、かなり距離があります。運動公園前電停で路線が終わるということは、この先まで延長してみてもそれほどの需要がないということなのでしょう。
「豊橋で元東急7200系に会った(その1)」(2012年7月21日付)
「豊橋で元東急7200系に会った(その2)」(2012年7月22日付)
「豊橋で元東急7200系に会った(その3)」(2012年7月23日付)
「豊橋駅付近で懐かしいものを見つけた」(2012年11月15日付)
「豊橋市内で見かけた『かぶと虫』」(2012年11月19日付)