ひろば 川崎高津公法研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

熊本市の通町筋電停から下通商店街を歩く

2013年10月11日 01時27分55秒 | 旅行記

 (以下は「待合室」の第540回「通町筋電停から下通商店街を歩く」として、2013年9月13日から21日まで掲載した記事の再録です。但し、一部の内容を変更しています。)

 熊本市が政令指定都市となったのは2012年4月のことですが、その前年、つまり2011年8月8日、福岡大学法学部での集中講義初日を前にして、2004年2月下旬以来、およそ7年5ヶ月ぶりに、この南九州の代表都市を訪れ、街を歩きました。

 豊肥本線に乗り換えることのできる新水前寺駅前電停から市電に乗り、しばらくすると、通町筋電停に到着します。この道路の通称が通町筋で、電停の周囲は、まさに熊本市の中心街です。「筋」と言いますが、大阪や神戸の場合は南北に伸びるのに対し(御堂筋、堺筋、谷町筋などを思い出してください)、ここ熊本市の通町筋は東西(厳密に言えば北西・南東方向)に伸びています。南側に下通(しもとおり)商店街、北側に上通(かみとおり)商店街があります。これから歩こうとするところです。

 通町筋電停には「鶴屋百貨店前」という副名称もあります。上の写真の右奥に見えるのが鶴屋百貨店で、熊本県の老舗の一つです。今年(2013年)、東急ハンズもオープンしました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、手前に熊本パルコがあります。

 電停から、今度は北西側を見ます。熊本城がよく見えます。通町筋、正式には熊本県道28号熊本高森線は、熊本城の下で左に曲がり、熊本市役所を左に見て、辛島町に抜けます。辛島町電停のそばに新市街、交通センターがあります。熊本市の繁華街は、上通から下通、さらに新市街まで続いています。

 茶臼山と言われる丘陵地に熊本城が築かれたのは、通説(熊本市も採用する)によれば1601(慶長6)年から1607(慶長12)年にかけてのことです。築いたのは、かの加藤清正です。豊臣秀吉と血縁関係にあったという清正は、元々が尾張、つまり現在の愛知県西部の出身ですが、秀吉に仕え、1588(天正16)年、肥後の領主に任ぜられます。そして、肥後の経済力を飛躍的に高めました。現在でも熊本県内には彼の善政の痕跡が所々に残っています。東京でも、白金高輪駅の近くに清正公前交差点があります。清正の位牌や像などが覚林寺にあるので、この寺のことを清正公ともいいます。

 加藤清正は豊臣家に仕えますが、関ヶ原の戦いでは東軍の一員として、石田光成、宇土城主にしてキリシタン大名でもあった小西行長などの西軍と戦います。光成や行長と確執があったためということです。御存知の通り、関ヶ原の戦いでは東軍が勝利し、豊臣家は大阪城の一大名に成り下がります。

 清正は1611(慶長16)年に亡くなります。その後もしばらく、加藤家が肥後を治めたのですが、1632(寛永9)年に改易となってしまいました。代わりに、豊前の小倉藩から熊本城主、すなわち肥後の熊本藩主となったのが細川忠利で、以後、熊本藩は細川家により治められます。1640(寛永17)年には、忠利が剣豪宮本武蔵を熊本に招きます。武蔵は、1645(正保2)年に亡くなるまで熊本に居住していました。

 ちなみに、細川家は現在も続いており、1983(昭和58)年に細川護煕氏が熊本県知事になります。その彼が内閣総理大臣となったのは1993(平成5)年のことでした。いわゆる55年体制の崩壊を意味する非自民非共産連立政権です。

 さて、下通商店街を歩いて見ましょう。ここはアーケード商店街となっており、道幅も広く、歩きやすくなっています。平日の昼間ですが、夏休み中ということもあってか、時間に照らしてみれば人通りは多いほうでしょう。さすがは県庁所在地の中心街です。ここは、九州南部でも最大の繁華街であるとも評されていますが、実際のところ、鹿児島市の天文館とどちらが大きいかはわかりません。また、九州新幹線の開業により、福岡市の博多駅周辺や天神地区への集中傾向(いわゆるストロー現象)が生じている可能性も高いのです。

 実はこの日、ちょうど私が歩いている時に、近くをパトカーなどが走り回っていました。何かの事件があったのだろうと思っていたのですが、後で、ダイエー熊本下通店で強盗事件があったことを知りました。

 下通商店街はいくつかのブロックに分かれており、所々で御覧のような交差点が存在します。道路に書かれている白線は横断歩道なのですが、繁華街のただなかにあるためか、このような形になっています。

 左側には、今や全国的に少なくなっているレコード店があります。文化堂です。以前ここに来た時には、熊本のローカルタレントながら全国的にも有名だった、ばってん荒川さんの大きな似顔絵が飾られていました。レコードが売られていたのでしょう。ばってんさんが亡くなったのが2006(平成18)年、それから、ここを歩いた時点で5年の月日が流れています。

 ローカルタレントと言えば、九州は北海道とともに独自の芸能文化があるようで、福岡や熊本にはローカルタレントが多いことでも知られています。東京に進出する人もいますが、一貫して九州に留まる人も、とくに九州朝日放送の番組に出演するローカルタレントに目立ちます(しかも、意外に他の地方の出身という人も少なくないのです)。多くの場合は首都圏や京阪神地区であまり知られていないでしょう。しかし、これは九州発の全国的番組が少ないからでして、層の厚さには驚かされます。私も、大分時代には九州朝日放送の「ドォーモ」など、九州のローカルタレントが出演する番組などを見ていたものです(集中講義の期間中も見ていました)。

 ここで下通を離れて別の通りを歩きます。2年前のことで、あまり覚えていないのですが、銀座通りだと思われます。ホテルと飲み屋が多い所で、他の都市にも共通するでしょう。城下町ということもあって、道はまっすぐになっていないのですが、碁盤の目状にはなっています。

 歩き続けると、市電の花畑町電停の近くに銀杏南通りの入口があります。飲食店、風俗店などが多そうな通りで、昼間は人通りも少ない所ですが、この雰囲気はまさに都会の飲み屋街というところでしょう。私は飲み屋街をあまり好まないので、東京や川崎でもあまり歩きませんし、店に入ったりもしません。

 ただ、2003年8月に熊本県立大学で集中講義を担当した際には、辛島町電停のそばにある熊本東急インに宿泊していたので、近くの飲み屋などに入ったことがあります。2日目の講義が終わってから、夜遅くまで、熊本県の職員、大学院生、といった方々と飲んでいて、翌朝から3コマか4コマをやったこともありました。4時間くらいしか寝られなかったのでさすがにきつかったことをよく覚えています。夕方、ホテルに戻ってすぐに1時間くらい寝てしまったのです。こうした経験が、2004年から2012年まで担当した西南学院大学での集中講義の際に生かされました。

 本題に戻りましょう。写真ではわかりにくいのですが、中央にある透明な柱をよく見ると、中に水が入っており、下から空気の泡が噴き出されています。見ているとなかなか面白いので、動画としても撮影したのですが、このページに入れることは避けました。

歩道橋の上から花畑町電停を撮影してみました。A系統健軍町行きの9700形が止まっています。表通りの沿いには金融機関の本店・支店が多く並んでいます。

みずほ銀行熊本支店がありました。そこに入ってから、また歩き続けます。

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