椿峰のまち

所沢・椿峰ニュータウンでのまちから見えてくるものをお伝えするブログです。

2024年10月 神戸 その1

2024-11-12 01:38:33 | 高齢化社会
義姉が亡くなって1年が過ぎ、神戸の家をどうしたらよいか
息子たちとも相談して、売却することにしましたが・・・・さて。

義姉はアルバムを整理してあって、手元に残した数枚の写真は
家族のものでした。
考えてみれば両親と4人の子どものうち、義姉は最後になったんですね。
80年ほど前の写真です。
父親と。
母親と。両親は共に小学校教員でした。
姉と。この姉は59歳で亡くなりました。

弟が震災前の家の玄関に。これが私の主人の子どものころになります。
共働きで両親が建てた家で当時は平屋だったようです。
妹はたまたま親類に預けられていたときに神戸の水害で亡くなったとのこと。
4歳になる少し前の可愛い盛りだったようで、つらい思い出だったからか、妹の写真は以前にも見たことがありません。
義母は晩年、その妹の死のつらさを何度か語っていました。
親類の女性とその孫と妹の3人が亡くなったそうですが、親類の女性は孫を抱いていて、妹は1人だった・・・・

義母は娘2人を小学校の教員にしようと思わず、それぞれ編み物と洋裁の学校に入れたようです。
ところが戦争で2人とも結婚相手が見つからず、独身で過ごすことになりました。仕事もあって顔を合わせたくなかったらしく、下の姉は2階を増築して
そちらで暮らすことにしたようです。

私が主人と結婚したときに、この姉たちに手編みのスーツとウエディング・ドレスを作ってもらいました。
そのすぐ後、上の姉は乳ガンで入院し、2人の甥が生まれたのを喜んでくれたのちにこの家の近くの病院で亡くなりました。

母に看取られ、また私は子どもが小さかったので参列できなかったのですが
親類の人たちがまだ若くて独身の割には盛大な葬儀となったようです。

下の義姉は、二女で不公平感みたいなものをずっと感じていたようでした。

2024年10月 広島 その10

2024-11-04 19:29:07 | 食を考える
広島駅に到着し、レンタカーを返却してそれぞれが夜のうちに新幹線に乗るため ekie で食事をすることにしました。

旅行中は生ものは控えるようにしているのですが、広島にやってきたからには、ということで鮨広島あじろやekie店へ。
 

あれこれおいしくいただきました。
広島は穴子がとりわけおいしく感じられます。

魚の研究をしている二男には、魚の養殖の話をよくきいたりします。
最近は、錦鯉についても研究しているとか。

外国人観光客ばかりが日本の食を楽しみ、国民はインスタントの食品や輸入食品での食事が多くなっているということでありませんように。

女性の社会進出のためには、安心な材料による定食を食べられるような地域の食堂が必要なのではないでしょうか。

2024年10月 広島 その9

2024-11-02 10:25:00 | 日本を元気に
広島市内のどこかを見学する時間はあまりなくて、最近長男の設計事務所が手掛けた建物の外観をみるだけにしました。
経験の乏しい設計事務所に依頼していただけるのは本当にありがたいことだと思います。

広島は水の都ともいわれて、1945年の8月に原爆投下、9月には台風による水害があったとのこと。
たいへんな時期を経て広島は不況にも負けないような都市になったようにも見えたりします。

なるほど橋を架ける技術は昔からのものであったんですね。
広島が橋を架けるスキルをもっている、ということも国際的に知られてよさそうです。

2024年10月 広島 その8

2024-11-01 00:10:22 | 平和を考える
呉市街地を通って広島へ戻る途中、呉港に複数の潜水艦を見かけました。


こちらは見つけた動画です。↓
2022海上自衛隊呉基地 5月14日(土)潜水艦呉基地~呉港JMU呉を覗いて見る👀?

平和憲法を有する日本は、
核廃絶ではなく

戦争廃絶

を訴えるべきではないでしょうか。

2024年10月 広島 その7

2024-10-31 09:45:12 | 日本を元気に
こちらが倉橋町の春日神社です。

主人の両親と長姉、妹が眠るお墓に、10年前に主人、今回は姉の分骨を
納めてようやく肩の荷が下りた思いがしました。


今回はよく晴れてお墓のあるところから海がよく見えます。

主人の従兄の息子さんが地元企業を退職され、春日神社の宮司をされていて
ご夫婦と長男のお嫁さんと娘さん、5人のお孫さんたちとお会いできました。
5番目のお孫さんは生まれて退院してきたばかりでした。


一室がお孫さんたちの保育室のように使われていました。
みな奈良時代の人たちの整った顔立ち‥‥のように思えたりしました。

もうすぐ100歳になられる母上は、5人目のひ孫さんが生まれるとのことで
高齢者施設へ短期入所をされているとのことでした。その母上、奥さんは退職されましたが、娘さんも小学校の教師をされていて、子育てを楽しまれているようにお見受けしました。

少子化対策のヒントがあれこれありそうです。

お土産に「ちりめんじゃこ」をいただきました。
広島は「いりこ」や「ちりめんじゃこ」を日常的に食べるようで
これが元気の素なのかもしれませんね。