古い町並みと猿沢池です。
興福寺五重塔は修理中のようです。
帰宅してから調べたら、猿沢池を舞台にして芥川龍之介が「龍」という作品
を書いているとのこと。(『中央公論』大正8(1919)年5月)
芥川龍之介は大正6(1917)年4月に養父道章と京都・奈良へ旅行に出かけ、奈良には1日だけの日程であったとか。
この猿沢池のどこかに立ったのではないでしょうか。
作品「龍」はあまり評価されなかったとのこと。
評判の良かった「鼻」(『新思潮』大正5(1916)年)に重なる部分があったりしたから?
「龍」が昇る話を書いたことによって、本人はその気がなくても読者は作者が自分を龍神としていると感じてしまったからなのでは?