前回「エースコンバット4」からの続きです。
今回「アリーテ姫」はもちろんですが、「マイマイ新子と千年の魔法」も35ミリフィルムでの上映となりました。「マイマイ新子」はDCP化され、現状フィルムでの鑑賞はなくなっているので、レアなものとなりました。もちろん私もフィルム版を観るのは初めてとなります。
この2本の制作時期(2000年代)はアニメのデジタル化の過渡期で、作品によってマチマチなんですよね。どちらかというとテレビが先行、映画版は従来のセル画を使っていることが多い時期でもあったと。
スタジオ4℃では「スプリガン」まではセル画で、その後に切り替わっていった。その前のオムニバス映画「MEMORIES」の中の一作「大砲の街」を作ったが、4カ所のみカメラワークの都合でデジタルを使った。大友克洋さんがギャラ代わりにクライアントからもらったというMacintosh Quadra(私も好きなマシンでしたが、どのタイプだろう?)を貸してもらって、Photoshop の練習とかしていたが、95年ころデジタルに詳しい安藤裕明さんに来てもらって色々対応できるようになった。
この時期、アニメ業界は各社でデジタル化への試行錯誤を始めていた頃で、私も誘われて「ストリートファイターII MOVIE」(94年)のお手伝いしたもんです。デジタルは未知の分野だったため、そのノウハウを吸収したかったんでしょうね...私もそれを契機にアニメ業界の仕事も増えるかなと思ってたんですが、ほぼそれ一回くらいで終わっちゃいました...その時期に片渕さんと出会っていたらまた違う仕事人生だったのかも...(^_^;
98年制作開始された「アリーテ姫」がセル画を使わず、フルデジタルで作った最初の作品となった。だがフィルムでしか上映できない時代だったため、フィルムに焼き付けないといけなかった。だが問題はデジタル素材とフィルムにした時の色合いの違いだった。そのため色相・彩度を細かく調整してフィルターを作り、フィルム上で思うような色合いになるような作業をした。結果、デジタル上の原版はメチャメチャ変な色合いのものになったが、なんとかフィルムでまともに見えるようなものができた。
デジタルになったからといって、パッと派手で明るいものにはしたくなくて、作風に合わせてシックなものを目指した。美術館などにいって影のない日本画を参考にした。
そして一番大変だったし工夫を凝らしたのは金色の表現だった。従来は黄色を塗って表現していた。昔、黄土色も試してみたが宮崎駿さんにカレーみたいと言われたことも。どうせデジタルなんだからと色んな色と表現も試してみた。でもいわゆるCG(ここでいうのは3Dモデルを使っての意味)は使用せず、あくまで手作業で行った。
それは作品のテーマ、自分の手で何ができるのかということにも繋がっていると思う。
今回の「アリーテ姫」鑑賞は、金色表現に注目して鑑賞しましたが、なるほど随所に工夫が凝らされているのが判りました。
作中、金銀財宝や、姫が大事に持ち歩く重くて大きな本...そのカバーが金細工でできているのですが、持ち上げたり広げたり、本が動く度に細かくテカったり金色グラデーションが光の反射を受けて微妙に色合いを変えていて、こんなところにまで心血注いでいたんだなぁと改めて溜め息しながら観てしまいました...。
ラストの金色の巨鳥なんかも...ウロコの一つ一つが別々に煌めいていて、絵作りへのコダワリ...ハンパのない凄味に触れた次第です。
お話しは「マイマイ新子と千年の魔法」へと続きます。
今回「アリーテ姫」はもちろんですが、「マイマイ新子と千年の魔法」も35ミリフィルムでの上映となりました。「マイマイ新子」はDCP化され、現状フィルムでの鑑賞はなくなっているので、レアなものとなりました。もちろん私もフィルム版を観るのは初めてとなります。
この2本の制作時期(2000年代)はアニメのデジタル化の過渡期で、作品によってマチマチなんですよね。どちらかというとテレビが先行、映画版は従来のセル画を使っていることが多い時期でもあったと。
スタジオ4℃では「スプリガン」まではセル画で、その後に切り替わっていった。その前のオムニバス映画「MEMORIES」の中の一作「大砲の街」を作ったが、4カ所のみカメラワークの都合でデジタルを使った。大友克洋さんがギャラ代わりにクライアントからもらったというMacintosh Quadra(私も好きなマシンでしたが、どのタイプだろう?)を貸してもらって、Photoshop の練習とかしていたが、95年ころデジタルに詳しい安藤裕明さんに来てもらって色々対応できるようになった。
この時期、アニメ業界は各社でデジタル化への試行錯誤を始めていた頃で、私も誘われて「ストリートファイターII MOVIE」(94年)のお手伝いしたもんです。デジタルは未知の分野だったため、そのノウハウを吸収したかったんでしょうね...私もそれを契機にアニメ業界の仕事も増えるかなと思ってたんですが、ほぼそれ一回くらいで終わっちゃいました...その時期に片渕さんと出会っていたらまた違う仕事人生だったのかも...(^_^;
98年制作開始された「アリーテ姫」がセル画を使わず、フルデジタルで作った最初の作品となった。だがフィルムでしか上映できない時代だったため、フィルムに焼き付けないといけなかった。だが問題はデジタル素材とフィルムにした時の色合いの違いだった。そのため色相・彩度を細かく調整してフィルターを作り、フィルム上で思うような色合いになるような作業をした。結果、デジタル上の原版はメチャメチャ変な色合いのものになったが、なんとかフィルムでまともに見えるようなものができた。
デジタルになったからといって、パッと派手で明るいものにはしたくなくて、作風に合わせてシックなものを目指した。美術館などにいって影のない日本画を参考にした。
そして一番大変だったし工夫を凝らしたのは金色の表現だった。従来は黄色を塗って表現していた。昔、黄土色も試してみたが宮崎駿さんにカレーみたいと言われたことも。どうせデジタルなんだからと色んな色と表現も試してみた。でもいわゆるCG(ここでいうのは3Dモデルを使っての意味)は使用せず、あくまで手作業で行った。
それは作品のテーマ、自分の手で何ができるのかということにも繋がっていると思う。
今回の「アリーテ姫」鑑賞は、金色表現に注目して鑑賞しましたが、なるほど随所に工夫が凝らされているのが判りました。
作中、金銀財宝や、姫が大事に持ち歩く重くて大きな本...そのカバーが金細工でできているのですが、持ち上げたり広げたり、本が動く度に細かくテカったり金色グラデーションが光の反射を受けて微妙に色合いを変えていて、こんなところにまで心血注いでいたんだなぁと改めて溜め息しながら観てしまいました...。
ラストの金色の巨鳥なんかも...ウロコの一つ一つが別々に煌めいていて、絵作りへのコダワリ...ハンパのない凄味に触れた次第です。
お話しは「マイマイ新子と千年の魔法」へと続きます。