今から10年も前の話・・・、
「お前、明日からピッチャーやれ!」
小学校4年だった息子、
それまでの外野センターから肩の強さを買われ、監督のそのひと言から少年野球のマウンドに立つことになった。
張り切りボーイな息子は、当時のNHK野球ドラマの主人公投手が走ってばかりの練習だったことから、
「オレも明日から堤防を走る!」と意を決した。
「早起きして堤防を走るから一緒について来て」
いきなりの小学生の「ヤル気」に踊らされない親父の私は、
「嫌だ!」と答えた。
翌朝、随分と冷え込んだ早朝、息子と一緒に堤防の上に立った。
「じゃあ、お父さんはここで待っているから、堤防一周約3km、行ってこい!」
息子は勢いよく前に小さくなっていった。
春の早朝の堤防は、空気がひんやりとしているが気持ちがいい。
堤防をジョギングする人や歩いている人、犬の散歩をしている人など意外に人が多い。
前の年に長年続けてきた早起きソフトボールをやめた。
地元の同級生達とチームを立ち上げ、オープン間もなかった私のお店の名前をチーム名にして監督をやらされた。
しかし、10年もすると集まりも悪くなり、相手チームに迷惑がかかり始めたところで終わりにした。
一年ぶりの早朝の空気は気持ちがいいものだった。
「おはようございます!」
早朝の堤防の上ですれ違う人はみんな挨拶が素晴らしい。
しばらくして、前から汗だくで現れてきた息子と気分よく家に帰った。
次の日の早朝、
堤防で同じように息子を走らせているとウォーキングの年配夫婦に冷やかされた。
「こらーっ、息子ばっかり走らせてないでお父さんも走りなさ~い!」
その次の日からは、息子と一緒に走ることになった。
約3kmのジョギング、
そういえばジョギングなんて何時以来だろう・・、
早起きソフト時代もジョギングはしていなかったし・・、高校以来か。
小学4年生の息子のペースは親父にとってもいいペースで、いい汗を掻いて終われた。
結局息子は練習試合で1回マウンドに立っただけで、元の外野センターに戻った。
たったの1回だけのピッチャーがうれしかった様子を書いた作文が表彰されたりもした。
2週間が過ぎた頃、ジョギングに飽きた息子は、朝起きなくなった。
親父は逆にリズムが出てきて、3kmから堤防を大回りの5kmに距離を延ばした。
ひと月経ったある休日、
ペースを落としてゆっくりと走ったら、何と10㎞も走れた。
確か高校のマラソン大会(約13km)で後半を歩いた記憶があったので、すごくうれしかった。
お店のお客さん達に自慢しまくった。
するとある日、お客さんでもある同級生に「10km走れたら100km出てみたら?」と言われた。
中村(四万十市)には四万十川ウルトラマラソンという100kmマラソンの大会がある。
早起きソフト時代は体育協会からボランティア要請がかかり、毎年チームメイトの数名はボランティア参加していた。
・・・あの大会。
「いやいやいや、無理やろ~、そんな・・100kmって!」
「そうでもないで、自分も毎回出てるけど、日頃の練習って10kmぐらいよ」
「でもまあ20kmとか30kmとか2~3回はやらんとダメやけどね(笑)」
大会は半年後、時間は十分ある。
何より、くすぶっていた何かが吹っ切れるように気分が高揚した。
「無謀やけど・・やってみるか!」
かくして、人生の初レースが100kmマラソンとなった。
冬の高校の同窓会後に会員制の同級生SNSが立ち上がり、
そこでWEB上の「ジョギングの部」が「チーム飛脚」となり、監督となった。
「100km挑戦します!」
一緒に走る友達、応援隊を組んだ友達、チーム飛脚はおおいに盛り上がって大会の初陣を迎えた。
しかし、やっぱりそんなに甘くはなかった・・、
私は股関節痛から71.5kmの関門にかかり、元野球部キャプテンも79.5kmの関門にかかった。
でも大会は大変素晴らしくて、「挑戦」が面白かった。
翌年もエントリーして見事みんなで完走した。
挑戦、ゴールの感動、沿道・ボランティアの声援、仲間の存在、
四万十川ウルトラマラソンの魅力にハマり、リタイアと完走を繰り返しながら、以後10年も走っている。
その間に息子は随分と成長して社会人となった。
地元の信用金庫に就職した息子は去年、会社からの要請で60kmの部にエントリーした。
小学校時代に駅伝の選手に選ばれたポテンシャルを発揮し、たったの1回練習しただけで60kmを完走した。
そして今年の秋、
息子は上司に誘われ、ついに四万十川ウルトラマラソンの100kmの部に参加した。
10月半ばの早朝、明星の夜空に白い息を登らせながら、
ついに親父の隣に息子が立った。
親父が愛してやまない四万十ウルトラのスタート地点に息子とゼッケンを付けて並んだ。
もうそれだけで親孝行は十分だ。
相変わらず練習不足の息子は完走は無理だろう。
でもそんなことなどどうでもいい。
一條太鼓が鳴り響き、タイマツの炎がゆらめき、こんなに綺麗な星空の中、
暗闇を切り裂くような白いフラッシュライトを浴びながらスタートゲートを息子とくぐる!
こんな幸せなことはないのだ・・
そんなギフトを胸いっぱいにスタートした四万十川ウルトラマラソンだった・・・
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いつも、エルソルさんの写真からしかうかがい知ることが出来ませんでしたが、こうして映像として見ると、すごく現実味が沸いてきました❗地名とかも、「あっ!知ってる~」みたいな(笑)
まだ前編ですが、四万十川ウルトラマラソンをこの目でじっくり見て、エルソルさんのブログの内容とシンクロさせたいと思います😄
あ~楽しみ❗
「宇野さん!いつもランスマ観てますよ!一緒に写真撮ってもらえますか?」
そう言ってスマホを預けた横に居たお方が・・・、まさかウルトラマラソンの有名人高田さんだったとは・・・(汗)。
「まあまあ頑張った記」に載せた宇野さんとの写真は、高田さんに撮って頂いたという貴重~な写真となりました(笑)。
先日の放送では、
スタート前のところで宇野さんのすぐ後ろに私達親子が映り込んでいたようで、
放送後に数人からラインが届きました(笑)。
みんなよく観てるな~
(夜に録画を観て笑いました、息子映りすぎやん)
ランスマ、2週にわたってやってくれるらしいのでうれしいですね。
ブログで書いてきたことの少しでも映像で伝わればさらにうれしいことです。
(地名が分かるまーさんスゴい!(^^)/)
番外編の今回の記事は続きは無くてここで終了ですが、
私も次週のランスマを楽しみにしております。
予告では54kmの2つ目の峠、「半家(はげ)の峠」を歩かずに走って上っていました。
やっぱり走力ある人達ってスゴいんですね~
次週放送後にどなたでもコメントしやすいように新規投稿は控えておきます。
では、まーさん!次週も乞うご期待っっ!!(笑)
宇野けんさんのサブ9
確かにスゴすぎて共感できませんでした・・・私も(笑)
それよりも、「フィニッシュサポーター」
制限時間内にランナーを励ましながら、ゴールまで導くという方々がいるという事を初めて知りました❗すごく共感出来て、ゴールしたランナーの涙でもらい泣き😅
100キロって、回りの人に助けられ、サポートされながら頑張り抜いてこそ、初めて完走が待っているものなんですね
ん~奥が深い
それにしても、四万十川や沈下橋
どれも美しかったです❗
ウルトラマラソン挑戦はともかく😅、遊びに行きたくなりましたね
我が家もTVの前で大爆笑でした。(笑)
そーなんです!
四万十ウルトラは、
峠を越えて、声援をもらいながら川を下り、日暮れにホタル(蛍光スティック)をもらい、
夜に明るい照明の中をゴールするという、完走ギリギリランナーのほうがドラマチックなのです(笑)。
※私のブログではさらにリタイアランナーの心情なども綴っております。
「フィニッシュサポーター」は、
「12時間」の人達と「14時間」の人達がいます。
今回の放送では大会の制限時間である「14時間」のサポーターさん達にスポットが当たっていましたね。
以前の○○記にも書きましたが、80km以降は14時間のペーサーには喰らい付くランナー達が「竜」のように縦長の列を作ります。
体力や気力が尽きてしまったランナーは、竜の尻尾から一人、また一人と無情にも剥がれ落ちていきます。
100kmの長い道中にはたくさんのドラマがあって、
そこがこの大会に惹き付けられる魅力となっているのです。
まーさん、
感動を共有してくれてありがとう~!(笑)
四万十に来られる際はご連絡くださいね、楽しみにしておきます!
でも・・・、四万十は遠~~いよ~!(^^)/