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今になって思うこと。

昨晩、TVドラマ「手の上のシャボン玉」を見た。
生体肝移植にまつわる、ドナー(臓器提供者)とレシピエント(移植患者)の関係が描かれていた。

結局、手術を受けるまでで終わり、かなりドラマチックで、自分の時と比べてちょっと・・・という感じだった。

自分の時・・・ 一年前、透析治療を受けているK病院にH大病院のF医師が最悪の場合を想定し、生体肝移植の説明をしに来て下さった。
この時の説明で自分の置かれている立場を始めて理解し、大きなショックを覚えたことを鮮明に覚えている。

「生体肝移植」・・・
・何よりドナーなくして手術はありえないこと。
・20歳以上であること。
・日本の場合、2等身以内、もしくは配偶者であること。
・検査をして適合しなければ行えないこと。
・患者はもちろん、ドナーも危険を伴うこと。
・身体に大きな傷を残してしまうこと。etc・・・

昨晩のドラマではないが、そうまでして生きる価値が自分にあるのか。必死で透析治療による根治を訴えた。


父:「私の肝臓じゃだめですか」、医師:「お父さんの場合年齢的にちょっと」
妻:「私は・・・」、医師:「奥さんは体格的に肝臓が小さすぎて」
もういいよ、もう、心でそう思いつつ・・・
2人の姉も「私が、私が」と必死に訴えてくれた。
こうなったら何が何でも、今の透析治療に託すしかない・・・。

でもだめだった。
結局、姉2人が適合検査を受けてくれ、次姉が運良く適合。

次姉に大手術の恐怖と大きな傷と、そして次姉の2人の娘に大きな不安を与えてしまいながらも、私は命を救われた。

今思うと、”死”に対して、当時より現在のほうがはるかに恐怖心が強く、移植に対して、当時はなんの知識も無く、絶望感だけが支配していたような気がする。


”家族の総意” ・・・
昨晩のドラマ「私たちみんなそろって家族なんだよ、3人いて始めて家族なんだよ」
そうなんだ、自分も”家族の総意”で助けられたんです。

姉たちは、術前も術後も常に明るく振る舞ってくれた。
父や妻をいっぱい励ましてくれた。
父は姉たちに移植をお願いしてくれた。
妻がいなかっら、術後の回復はありえなかった。
二ヶ月近く脳機能が変な自分に毎日々話しかけてくれなかったら。


のちに妻に聞かされた。移植手術直後、ドナーとなってくれた姉がおぼろげな意識の中で最初の言葉、
「肝臓足りた?、小さくなかった?」

足りたよ~~~! 今こうして生きてるよ~~~!
そしてそして、もっともっと生きてやるよ~~~!
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