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現実と非現実

最近、親子間の事件や子どもが犠牲になる事件・事故がやたらと多い。
それなりに原因はあるのだろうが、なんとも殺伐としている。


せっかく大切な命をもらったのに。生きたくても生きられない人がたく
さんいるのに。

残念ながら亡くなって、病室を出ていく人を何人か見た。
本人もさぞ悔しかっただろうが、見送る家族の泣き崩れる姿を見ると、
命の尊さをつくずく感じた。

今朝TVをみていて、事件で亡くなった方のお葬式で、喪主であるお父
さんの挨拶の映像が流れていた。
それを見ながら何も考えず、思わず妻に言ってしまった。
「パパがもし死んでたら、ママ、ちゃんと喪主できていたかなあ?」
「いきなり喪主にしないでよ!」
妻は軽く流してくれたが、言ってしまってから、何言ってんだ、と、
変なこと聞いちゃったな、と。


移植手術以降、現実と非現実がごちゃごちゃになることがある。
今になって納得することが結構あるのだ。
だから時々変なことを言ったりもする。

一度無くしたかもしれない命なんだから大胆に、という気持ちと、せっ
かく与えてもらった命なんだから大切に、という気持ち。
我々移植患者にとっては、前者は考えられない。犠牲にしたものが、あ
まりに大きいからだ。

最近、生きている喜び、元気になった喜びよりも、もう二度とこんな目
にあいたくない、悪くなったら・・・という不安が強いのだ。
その不安が無くなるまで、あとどの位かかるのだろうか。



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<・・・一年前>

・・・2005.9月

K病院での入院、一ヶ月間はすべて個室だった。
しかも個室から出られるのは、検査の時と透析の時だけ。
それも車椅子でだ。

意識ははっきりしていたが、さすがに体力の衰えは感じていた。
透析治療での限界もだんだんと感じてきた。

移植手術という現実と、自分だけはどうにかなるだろう、という非現実。
なんだか自分が自分でないような、不思議な感覚だった。

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