予期せぬ劇症肝炎、そして生体肝移植からの壮絶脱出劇!
がんばれ!肝臓くん。。
負けるものか!
最近、同じような病気と闘っている人達のHPを見て、本当に勇気
付けられている。
皆、苦しい時間を過ごし、回復し、元気に活動している。
メールなどを頂くことも多くなり、たくさん励まされ、そして感動
を与えて下さる。
病気に負けない心と体、自分一人では得られないもの。
この先、どんな辛いことが待っていても、生きていれば何とかなる!
勇気や感動を自分が与えられるような存在になるまで、病気になん
て負けていられません!
----------------------------------
<・・・一年前>
・・・2005.9月
移植手術というものを強く意識させられ、それから逃れようとする
気持ちは日増しに強くなっていった。
辛い透析も自分の中では希望の光、毎日の血液検査の結果に一
喜一憂する毎日だった。
入院以来続いている絶食も、あまり苦にはならなかった。
食欲が無かったから、といってしまえばそれまでだが、今考えると
良く耐えたな、と。
結局、絶食期間は2ヶ月以上にも及んだ。
「Aせんせい、何とか移植しないですむように、これからも頑張り
ますから何とかここで治して下さい。Aせんせいだけが頼りです。」
9月中頃、医師にこうやって訴えたのを良く覚えている。
透析による治療がなかなか効果をあげず、(悪くもならなかったが)
自分なりに先が見え始めた頃だ。
「私達も全力を尽くしています。良い方向に向かうようにもう少し
頑張りましょう。」
Aせんせいは真剣にこの病気と向かい合ってくれていた。
前例がないことは積極的に調べ、H大病院とは常に連絡を取り合い、
いつも勉強をし、良く話しを聞いてくれた。
とにかくいつ病状が悪化するか分からない状態。自分では意識だけ
はハッキリしていたので、結構落ち着いてはいたのだが。
後で分かったことだが、移植手術をしたくてもできない人、又、保険
適用外で高額の医療費がかかってしまう場合があること、などで
移植そのものをあきらめてしまう人が多くいることを知った。
その時は、移植手術なんて考えられなかったのだが、姉の肝臓が幸運
にもドナーとして適合した事、この事実が、今自分がこうして存在し
ていること、そしてその後訪れる生体肝移植手術への始まりだった。
付けられている。
皆、苦しい時間を過ごし、回復し、元気に活動している。
メールなどを頂くことも多くなり、たくさん励まされ、そして感動
を与えて下さる。
病気に負けない心と体、自分一人では得られないもの。
この先、どんな辛いことが待っていても、生きていれば何とかなる!
勇気や感動を自分が与えられるような存在になるまで、病気になん
て負けていられません!
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<・・・一年前>
・・・2005.9月
移植手術というものを強く意識させられ、それから逃れようとする
気持ちは日増しに強くなっていった。
辛い透析も自分の中では希望の光、毎日の血液検査の結果に一
喜一憂する毎日だった。
入院以来続いている絶食も、あまり苦にはならなかった。
食欲が無かったから、といってしまえばそれまでだが、今考えると
良く耐えたな、と。
結局、絶食期間は2ヶ月以上にも及んだ。
「Aせんせい、何とか移植しないですむように、これからも頑張り
ますから何とかここで治して下さい。Aせんせいだけが頼りです。」
9月中頃、医師にこうやって訴えたのを良く覚えている。
透析による治療がなかなか効果をあげず、(悪くもならなかったが)
自分なりに先が見え始めた頃だ。
「私達も全力を尽くしています。良い方向に向かうようにもう少し
頑張りましょう。」
Aせんせいは真剣にこの病気と向かい合ってくれていた。
前例がないことは積極的に調べ、H大病院とは常に連絡を取り合い、
いつも勉強をし、良く話しを聞いてくれた。
とにかくいつ病状が悪化するか分からない状態。自分では意識だけ
はハッキリしていたので、結構落ち着いてはいたのだが。
後で分かったことだが、移植手術をしたくてもできない人、又、保険
適用外で高額の医療費がかかってしまう場合があること、などで
移植そのものをあきらめてしまう人が多くいることを知った。
その時は、移植手術なんて考えられなかったのだが、姉の肝臓が幸運
にもドナーとして適合した事、この事実が、今自分がこうして存在し
ていること、そしてその後訪れる生体肝移植手術への始まりだった。
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