goo

知ること

病気の後、いつ頃からか、「まだ読んでいない本」が手元に無いことが、殆んどない。

そりゃぁそうで、最後の「まだ読み終わってない本」を読み終わる前に、ブ※ク※フか、コ※チ※ン※ォー
で仕入れてくるから。

結構そのローテーションは守られているんだけど、たまに次男に、「読む本が無い!」「※※か※※買って
きて!」と言われ、言われるがままブ※ク※フへ走る。パシリ、だ。


ブ※ク※フでは、基本、100均コーナーでしか買わないんだけれど、次男の要求は時として100均以外
のコーナーにある。

400円の本を手に取りながら、100均なら4冊買えるのに、と一人ごち。
大概自分も読みたい本だからまぁいいんだけれど。




そもそも本読みならば本屋で買え、ってな話しかもしれないけれど、やっぱり数を読みたい。
だからブ※ク※フ万歳。





そんな中、今、読み始めているのが、

パラサイト・イヴ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社






今さらながらの『パラサイト・イヴ』だけど、

だけど考えてみると、この4~5年の間に読んだ本は、医療関係、病院関係の本が多い。

この本も、ギンギン移植話しが出てくる。


この本は腎臓移植だけれど、術前術後、その手順、手技等、かなり詳細に書かれている。

著者が薬学研究者で、大学病院に近い環境にいたから当然なんだろうけど。



そして、

そんな中からかなり知識を得るわけで、今になって「あ~そうだったのか!」と思う事の多いこと多いこと。






自分が病院で初めて移植を告げられた時、移植に関する知識は皆無だった。

しかも劇症肝炎で即入院、即検査治療、余命なし、という状況で、移植がなんたるかを考える余裕さえ
なかった。





知識があるかないか、せめて知っているかいないか、それでその後の状況が変わっていたかどうかはわからない
けれど、知ると知らぬでは自然に頭に入ってくる全てのことが別世界だ。


これはきっと病気だけの事ではない。

原発しかり、政治しかり、芸能界だってそう。




予備知識の有無は、物事を見る目を変える。

たぶん、今、自分が何気なく目にしているものの中に、将来自分の身に大きく関わってくる「何か」が
あるのだろうし、そう思って見ると色んな見方が変わってくる。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする