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移植8年目にして

ムスッとして、どこを見つめるでもなく、「俺には関係ないよ」とでも言わんばかりの無表情を
貫くことで自分を保っていた長男くん。


お調子もののキャラクターを生かして、いつもと変わらず周りを明るくすることで平静を保とうと
頑張っていた次男くん。




病室に来た時の2人の様子は決まってこんな感じだった。


今になって考えてみると、というか、もし自分が子どもの立場だったら・・・


きっと、どう振る舞っていいのかまったく分からなかったと思う。





きっと、移植後、初めて自分の父親を病室で見た時は、話すことさえできなかった時期。

ICUには子供は入れてもらえなかったのだから、移植後何日も経ってのことだ。



小5と中1、当時、もしあのまま死んでいたら、その後の生活はどうなっていただろう。

妻の実家に帰って転校していただろうか。

自分の両親と一緒に、孫として子として育っていただろうか。




あれから8年・・・

8年前の今日が移植手術の日。




長男にとっても次男にとっても、そりゃぁもう、色んな事が有り過ぎた8年だったに違いない。

なのに、この8年は自分の中で自分中心に回ってしまっていたような気がする。

二人とも思春期。


長男の受験年には、激しくぶつかり合い、次男の進路では、かなり悩ませてしまっていたが、今思うと
それらは全部、自分の気持ちの余裕の無さがさせるものだった様に思う。

本当に申し訳ないことをしたと思っている。


今だからこそそう思えるが、必死でやり過ごしてきた8年だった。





病気で得られるもの、基本的には無い、と思っている。

明らかにメリットよりデメリット。


人の優しさとか思いやり、人生の価値観の変化、そんなことを気安く言う人もいるけれど、たしかに
それはあるけれど、でもそれって結局、自分自身の中だけでのことだ。



少なくとも、妻や子や、周りの人間には迷惑でしかないだろう。







だから今、必死でイキている。

手術なんてできない。長期入院なんてできない。

もうこれ以上迷惑はかけられない。


でもそれが生きるパワーになる。

家族があったから生きられたし、家族がいたから頑張ってこられた。


仕事をしなければならない環境が、逆に回復に繋がったと思うし、これからもきっとそう。




そしてなにより、すごく感じるのは、子供たちを成長させる為に、あの時、生かされたのだろうと
さえ思えること。

奇跡と奇跡のつながりはそんな感じなのかな、と。






来年、長男くんは就職活動の年になる。人生を決める年になる。

次男くんは運命の受験の時、悔いてはならない年になる。


まだまだ楽はできそうもない。

肉体的にも精神的にも、金銭的にも。




楽ができる時、それは・・・






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