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「言葉の暴力」と「真実」

「北朝鮮からミサイルが飛んで来るから逃げなきゃ!しかも目標はここ(H大病院)だよ。ニュースで言ってたでしょ!!」

って、真剣に看護師さんに訴えていたのは、移植手術後の、肝性脳症がひどかった頃のこと。



当時はこれが自分の中では真実で、でも看護師さんから見たら「典型的な肝性脳症患者」の戯言。



ところが最近は決して戯言とは言ってられない事態になりつつある。

特にここ数回は北海道上空を飛び越えて行くんだから。

たまったものではない。



なんか素人眼には、「飛んできたものは撃ち落としてしまえ」なんて思ってしまうけれど、それも難しければ、破壊物が落下してきても困る。



実被害が無ければいいってものでもなく、今はそれぞれがそれぞれの立場で言いたいことを言い合ってる状況。

言葉のやりあいが、感情のもつれを生んで、それが実行という形で現れた時、それこそ、終末の始まりが、始まる。



「言葉」って、時として本当に暴力になる。

確かに、かの某国に、「話し合いで」なんてことが通用するとも思えないが、そういえば、安保法制論議の時、都知事選の時、

「どこの国が日本を攻めて来るっていうんですか?」

って、呑気なことを言っていた政治家?がいたが、今の状況をどう思っているのだろう。



某国のやっていることは、高高度とはいえ、限りなく領空侵犯に近しいことだし、東シナ海の一連の行動は、C国やR国の明らかな侵犯だ。




平和憲法や、それこそ話し合いが通用しない相手に、黙っていてどう対応しようというのだろう、という気持ちと、

「それを言うか」って気持ち。





「言葉」は暴力になる。

始末が悪いのは、それを感じるのは、おそらく言われた側だけ。よほど悪意を持って言えば別だけど。


この言葉の暴力というのが、この歳になると、マジ面倒臭い。


仕事に絡むようなことなら、「所詮仕事だから」で済ませられる。


ところがプライベート、特に子どものこととかなると、「冗談じゃないぞこの野郎」となる。


基本、「自分人間」の自分としては、大抵のことは、「どうでもいい」で済ませられる。




でも子どものこととかならそう簡単にはいかない。

顔で笑いながら、

「てめぇ、真実のどこまで分かって言ってるんだ。」と。


まぁ、極論から言えば、「本当のことを何も知らない人」から何を言われようがどうでもいいんだけれど。





例えば病気のことでもそう。

自身の持論としては、


・病人の気持ちは、病人しかわからない

・しかも、同じ病気で、同じ病歴を踏んできた人しか真実はわからない




これは世の中、たぶん全部共通。



その人のことはその人しか、

その家庭のことはその家庭でしか、

その会社のことはその会社の人しか、

その仕事のことはその仕事をやっている人しか、


絶対わからない。


もし第三者が語るとしても、それはほんの上っ面しかわかっていない上でのこと。






長男くんの勤め先のことで、分かった風なことを言われる。

次男くんの就活でも、分かった風なことを言われる。


本質をわかってないヤツが、語るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

バッカじゃないの!



でもこれ、自身に対する戒めでもある。

よく知らないことを、他人に語っちゃダメ。

恥をかく。いい気になっているのは自分だけだ。

「片腹痛い」ということ。




とにかく、

「言わないと気が済まない」という勢いだけで、「言ってしまう」ことは恥ずべきこと。

これは、いつでも、どこでも、誰とでも、だ。






もう一回、


本質をわかってないヤツが、語るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。







あぁスッキリした。

ブログがあって良かった。



う、ん?

そういえば、ブログで、


好きなこと、

語ってるわ。自分。



もう一度、自分自身に、

本質をわかってないヤツが、語るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。







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