鹿道の 一番椿の 陽の紅く
梅士 Baishi
今日は日曜日。
山歩きに行きたいところがだ、秋の長州に出張で
ある。
先週の山歩きは直近の秋狩りを楽しむことができ
た。
椿が秋の陽に灯って美しかった。
マムシの子蛇に出会ったが、それも秋の味わいで
ある。
いつか時間と金ができたら、熊野古道を歩いてみ
たい。
中大兄皇子と曽我赤兄の謀略にかかって暗殺され
る有間皇子の悲劇に関わるのが牟婁の湯である。
牟婁の湯とは、南紀白浜温泉のようである。
そんな物語もなければ、どうということもない田舎
の温泉にすぎないが、古道を歩く道すがら、悲劇の
場所の藤白坂も通るであろう。
万葉の旅である。
磐代の 浜松が枝を 引き結び
真幸くあらば また還り見む
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕
旅にしあれば 椎の葉に盛る
天智天皇についてはあまりいい印象を持たない。
知略家ではあろうが、白村江では相手の謀略で負
けている。
歴史に名を残す政治改革者なのではあろうが、陰
謀や暗殺にもかかわっている。
そういう臆病で冷徹な智謀が嫌いである。
日本もそうした修羅場を乗り越えないといけないの
だろうが、人情だけでは通らない時代に入っていると
いうことなのだろう。
まあ、謀略で叩き潰したいのはナンチャイナではあ
るが。
幸福の科学の信者の形態について、ルターの観察
は的を得ていると思う。
自分は比較的初期からの会員であり、2,3年は活
発に活動したものだ。
総裁の大講演会を地元でやるときは、会場設営や
駐車場整備などの現場仕事を率先してやった。
街頭演説もやったしデモに出た。
講談社職員との論戦でも負けなかった。
しかし、経済力がなければ活動は長続きしないもの
である。
そうした現場を、管理職のようにえらそうに通り過ぎ
る優等生には違和感を感じたものだ。
青年部長さんなのだとか・・・。
修行僧でも掃除くらいはするだろうと。
僧に帰依せよというが、それ以前の人格が問われて
いたと思う。
ルターの観察では、幸福の科学の信仰形態は書籍
信者であって、組織に帰依しているわけではないとい
う読みである。
幸福の科学・大川隆法総裁に帰依しているのであっ
て、支部長に帰依しているわけではないし、「出家」と
称する職員に帰依しているわけではないという状況で
はないですかと。
組織との関係は、金の切れ目が縁の切れ目というの
は世の習いである。
それが、信仰の経済的自助努力の部分ではあろう。
その理解が不足していたと反省する。
以来、自分も書籍信仰者の部類になった。
支部といっても、仲良しグループのたまり場ではな
いかと批判的に見ている。
まして、グループ組織の序列で支配されるなんて、
とんでもないことである。
かつては、顔を見ない会員に声をかけ、足を運んで
いたものだが、自分は情報さえ入らなくなっている。
メールアドレスに連絡くださいとお願いしてもなしの
つぶてである。
もともと組織嫌いなのではあるが、幸福の科学もそ
の例外ではない。
この点では、創価学会や共産党に学ぶべきではな
いのか。
しつこいというのは嫌われるけれども・・・。
メディア型宗教経営の縁遠さが問題であろう。
だから、幸福実現党の旗をもって街頭に立てと言っ
ているのだ。
それを見ると、会員も元気が出るだろうに・・・。
幸福の科学支部、精舎のお偉い先生方、あなたが
辻に立ちなさい。
書籍信者はそのように見ているということである。
それが得票にも現れているのである。
必ずしも、国民の事情ではないということだ。
総裁の大きさにのっかって一流気取りになっては
いませんかと忠告申し上げる。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党