秋晴れの 澄むほど寒き 空の底
梅士 Baishi
秋空の青を思いながら、ついつい居眠りしていた。
昨日は、「何にもない、 何にもない、全くなんにもない 」とい
う「始め人間ギャートルズ」のアニメソングを口ずさみながら、
何にもない宇部空港の街を散策していた。
たまたま店を開けてくれたすし屋で昼飯にありついて、何に
もない閉店のまちを抜けて、どうしようもなく歩いているうちに
宇部港に至った。
もしかして、横浜のようなしゃれた港町のコーヒー店がある
のではと思ったからだが、廃棄物運搬船が停泊する波止場
が静まり返っているだけだった。
それでも、海と船の風景には、ほ~っとする安らぎがある。
「薩摩は25度の芋焼酎の今昔だが、さて、長州の維新の
火は沸点に至るだろうか。ふくよ来いと期待しつつ、ふく料理
を先延べにした。ああ、晴れて、下関のふくを楽しみたいもの
である。」
これは、暗号化された内緒の秘密の独り言である。
北の湖親方の訃報を知った。
九州場所千秋楽を目前に天神の済世会病院で他界した
という。
ここは、自分がひき逃げで意識不明状態で運び込まれた
病院でもある。
それはともかく、北の湖といえば大横綱であり、悪役のよ
うに強かった。
今は大相撲も見なくなったが、千代の富士までが相撲の
黄金時代であったろう。
相撲は日本の国技であり、神事でもある。
その相撲さえもが、神聖さを見失い、賭博だ八百長だとマ
スコミのスキャンダルネタにされてきた。
日本人横綱を失って久しくもなる。
力士の出身地も多彩である。
モンゴルを主力に、エジプト、ブラジル、ブルガリア、ロシア、
ジョージアという国際化振りである。
大地を清め、踏み固めるという神事の伝統が世界に広がる
のであれば喜ばしいことであるが、スポーツとして広がると言
うのであれば、本末転倒である。
本来であれば、大横綱を神とする神社が建っても良いはず
だが、モンゴルに白鵬神社が建つのだろうか。
両国や出身地に、北の湖神社が建つのか、千代の富士神
社はどうだろうかと思う。
神道は、万世一系の皇統よりも古いものである。
神は太陽のごときものという大らかな信仰である。
ムー文明に由来する信仰でもある。
清め、感謝するというばかりではなく、生命と発展の根源と
しての太陽の精神を持つものである。
そうした神道の伝統は、世界に広がっても良いはずである。
日ノ本の国が広がることは喜ばしいことである。
相撲がそうした神事としての性格を見失ってはなるまい。
マスコミも、そうした神聖を穢してはならない。
力士たちにも、大地を踏みしめる相撲を心がけてほしい。
相撲の神聖を願い、北の湖親方の冥福をお祈り申し上げ
る。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党