手羽先を から揚げにして 冬ビール
梅士 Baishi
手羽先のから揚げがおいしいので時々から揚げ屋
さんに買いにいっていた。
その店がどこに行ったのか見つからないので、手羽
先を買って、自分でから揚げにした。
片栗粉に薄力粉をまぜてまぶすだけである。
後は、ガスコンロの天麩羅モードに任せてこんがりと
して浮かんできたところを掬い上げる。
こんな素人から揚げだが、意外とうまいのである。
味はつけていないから、原塩をカリカリとミールして
まぶす塩味で結構いける。
以来、自家製手羽先のから揚げにはまっている。
料理というのは作ってみると面白い。
冬ビールは九州産麦芽を使ったという「一番搾り福
岡づくり」である。
これも意外とうまい。
ビールも激戦だが、定番を核に、あとは季節ごとの
限定醸造で多彩さを打ち出すという戦略がよさそうで
ある。
アサヒはスーパードライがある。
キリンはラガーだ。
サッポロは黒星ビールでよい。
サントリーはプレミアムモルツ以前のモルツが定番
になるべきだったが、姿を消した。
サントリーはビールの感性が少しずれている。
ずれているところで、ティグリス素材の麦芽かホップ
を使ったレプタリアンビールを売り出すとよいのだろう
に・・・。
『新時代の道徳を考える』という総裁の対談本を購
読した。
現代教育からは道徳教育が説得力を失っている。
信仰も道徳さえも教育から外れてきたのでは日本
人は動物としてのヒトに堕落したということである。
ヒトという表記をあえて使っている大学教員がいる
が、本人はそんな下等な人間なのだろうが、他人に
対して用いるべき表記ではない。
左翼教育に道徳という概念は成り立たないというこ
とである。
徳のある生き方とは信仰心のある生き方を言うので
ある。
しかし、その信仰心が霊性の低い人間には難しい。
だからこそ、歴史的に尊敬される偉人に学ぶという
のが道徳教育の便宜的方法というべきなのだろう。
何が正しいかは人それぞれであるという無秩序の勧
めをしている学校教育の現状を考えると、大学の教育
学部を廃止し、教職免許制度を廃止することから道徳
教育を始めるべきである。
「自分が人からされたくないことは人に対してもして
はいけない」という道徳も教えられるが、殺人鬼には
通用しない理屈である。
人それぞれなのだから。
どう考えても、神という概念なくしては道徳は成り立
たない。
まずは、神も仏もない国造りを定めた「日本国憲法」
の不道徳に気づくことである。
週刊誌レベルが道徳でもあるかのように価値判断
の基準になる世の中であるが、高天原が未だに敗戦
の廃墟から立ち直っていないということが実感される
ことである。
高天原の再建という道徳課題も、結局は信仰心の
問題である。
地に落ちたり、日本人・・・。
日本独立宣言・九州本部・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党