迎え火に つくつくぼうしが 泣きじゃくり
梅士 Baishi
71年目の敗戦記念日になった。
母の誕生日でもある。
しかし、敗戦後の荒廃を心に引きずっている。
その荒廃から立ち直ることができないままでいる。
それが、自分の心象風景である。
もちろん、終戦直後の惨状を目にしたわけではない。
しかし、天皇の人間宣言ほどみじめな敗戦はなかっ
たのではないか。
昭和天皇の最大の戦争責任と言うべきである。
それが、日本人の戦意を喪失せしめ、天皇とは関
係のない経済復興をめざしたきっかけだっただろう。
日本人としての誇りを失ったのだから、個人として
の成功や誇りを得るべく獅子奮迅するほかはないか
らである。
そこから左翼への転向も生じた。
そうした経緯を思うと、すでに天皇制は終わってい
たのである。
植民地憲法の下で、「象徴天皇制」という矛盾を残
しながら生きながらえた皇室だが、人間宣言したのに、
人間扱いされない矛盾に苦しんできたことであろう。
いわば、謝罪天皇制である。
そうしたことに気付かせてくれたのが、平成天皇の
「生前退位」の発言だった。
道は二つしかない。
人間宣言を貫いて、天皇制をなくすことだ。
生前退位の第一の意義である。
もう一つは、神位としての天皇制に復帰しつつも、
政治権力からは離れるという選択肢である。
天皇の戦争責任からして、再び政治権力をもって、
元首として立つには国民としても受け入れがたいこと
であろう。
幸福の科学・大川隆法総裁の憲法草案を受け入れ
ることだ。
それが、平成天皇の真意でもあった。
人間宣言の意味は、現人神ではなく、日本伝来の
神意を引き継ぐ神官として、日本の繁栄を願う立場を
意味すると解釈すべきであろう。
ただの人間ですと言う宣言では無責任に過ぎること
だし、天皇制そのものが国民を欺くものとなるからで
ある。
戦後に生まれ、敗戦後の日本を路傍に観察してき
たが、「天皇の人間宣言」こそは、日本の戦後の原因
であり、結果であったと思う。
学徒動員の長崎駅で働きながら、連日のようにグラ
マン機の空襲を受けたり、被爆したあとは食糧難に買
い出しの苦労を背負ってきた母だった。
15歳頃のことであろう。
天皇に感謝することはなかったであろう。
働きづめの一生だった。
息子を大学に行かせたのに、一人前にさえなること
なく終わった。
司法崩れの敗戦後の荒廃を引きづったかのようで
ある。
平和ボケしていたのである。
錯乱した憲法解釈に混乱したとはいえ、誠に申し訳
ないことである。
だからと言って、防衛戦争反対でも、日本の原発や
核武装反対ではない。
左翼転向の軽薄にはうんざりとする。
天皇制はともかく、国家の独立は国民のよって立つ
ところであり、プライドである。
チャイナをのさばらせた責任は日本にもある。
そのチャイナが侵略国家として肥大化したのだ。
その野望を打ち砕く責任は日本にある。
日本人としての武の心が沸き立っている。
共産チャイナの崩壊、そこまでは見届けたい。
そうでなければ、戦後は終わらないからである。
自分の人生は、平凡な禅坊主の修行人生として、
戦後日本を行脚の路傍から観察してきたなものだっ
たといえばなんとなく様になる。
割れ茶碗一つの人生であった。
しかし、仏陀の再誕を見届けた。
修行僧の心眼には見落としはなかった。
その経典をあの世に持ち帰るのが最後の修行であ
ろうか。
性格的には、チャイナの野望を打ち砕く一助となり
たいものである。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党