からからと 残暑の蝉も 日に照りぬ
梅士 Baishi
今日は残暑の日曜日である。
子どもたちはまだ夏休みだが、蝉しぐれはすっかり
静かになった。
日の傾きはもう秋である。
蝉の骸があおむけに手を合わせて残暑に乾いてい
る。
共に猛暑を戦った戦士のようにも思える。
太平洋では9号、10号、11号のちび台風がねずみ花
火のように好きな方向に飛び跳ねている。
九州にはまだ届かないが、台風が来るたびに秋風
になる。
しかし、まだ、戦いは終わらない。
リオ・オリンピックはドーピング・クリーンの日本選手
が想定外の活躍を見せている。
男子400mリレーの銀メダルには、職場までが総毛
立つ感動のメダルだった。
バトンを渡す一瞬一瞬に、英霊にも似た思いが伝わっ
てくるようだった。
見るスポーツの感動は、極限に咲く必死の思いへの
共感にある。
みな、そのような思いがあるからこそ感動するので
ある。
跳ぶ、走る、投げるという一見単純な競技であっても、
到達困難な努力の積み重ねと技能が結晶しているも
のである。
その極限の一瞬のドラマが、人々に感動と激励の価
値を届けるのである。
勝敗は一瞬であっても、そこに至る試練のドラマが
涙になり、喜びになる。
ジャマイカ国民の平均年収は50万円程度、ウサイ
ン・ボルト選手はその最貧地域の出身だという。
オリンピックを代表する顔であり、愛されるキャラク
ターで人気の高いボルト選手の年収は250億円という。
それは、スポーツの創造物の経済的価値でもあろう。
スポーツはまさに表現の文化なのである。
現代の、スポーツを軽視する学校教育は見直される
べきである。
道徳教育や知的教育を軽視するスポーツ指導もま
た見直されるべきである。
体育の専門と知育の専門を兼ね備えることが教職
の資格とされるべきである。
スポーツの理解のない、運動不足の教員など教職
の資格がないというべきである。
知育強化を教えられない体育教師もまた失格である。
彼らは教育を崩壊させたのだ。
罪深いことである。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党