立秋の 足すくめたり 朝の床
梅士 Baishi
今日は8月7日、立秋の日曜日である。
午前2時、こんこんとノックする音がして目が覚めた。
どこでもドアを、だれかがノックしたのだろう。
金縛りもなかったから、悪霊ではあるまい。
朝方、冷たい空気が足先に触れた。
秋になったのである。
朝から、リオの競泳を追った。
オーストラリアの強さは何なのだろう。
日本の選手も、よく頑張っている。
世界に恥じないトレーニングを積んできているのだ。
誇りを持って泳いでほしい。
予選から、世界新、日本新、自己ベストが飛び出し
ている。
楽しみである。
今上天皇の生前退位のご意向がさまざまな憶測を
呼んで、その心中を計りかねている。
生前退位は過去もあったことであり、象徴天皇制で
あれば特に問題となることもないのではないかと思わ
れたが、問題はもっと深刻なものである。
緊急出版された今上天皇の守護霊インタヴューを
取り寄せて早速読んでみた。
四年前の守護霊インタヴュー『元首の本心』とは違
って、大変なお疲れのご様子であった。
最後の力を振り絞って、傀儡のように政治に利用さ
れ、週刊誌にもてあそばれる天皇制への不快感を示
されていた。
政治利用には、安倍政権に対しても不快感を示さ
れていた。
正々堂々と政治改革をするのではなく、謀略的な
手法を使って再軍備や憲法改正をもくろんでいること
への不快感である。
不戦の誓いをしながら、日本を戦争に引きずり込ん
できたルーズベルトとの共通性を指摘されていた。
天皇制に関する憲法改正草案としては、幸福の科
学案を良しとされた。
つまり、政治とは無縁の文化的象徴でよいと。
国事行為自体が、屈辱であると。
憲法改正するとしても、自分は御名御璽を用いたく
ないと。
複雑なご心境である。
なし崩し的な憲法改正にも協力したくないと。
傀儡天皇制として生き延びてきたことに対する痛恨
の思いなのであろうか。
もう、岩戸隠れをしたいという思いであろう。
日本の敗戦によって、屈辱的な『日本国憲法』を拝
受してGHQに許しを願ったところに端を発する矛盾な
のである。
「人間宣言」の段階で、天皇制は存在根拠を失った
というべきであろう。
象徴性の根拠も失っている。
象徴性とは、今上天皇が気になさる国民の総意な
どではありえない。
天皇が象徴するのは、神国日本なのである。
天皇は神国を象徴する存在であってこその皇統で
あることを忘れてはならない。
だからこそ、明治帝が神として祀られているように、
天皇は神として祀られうる資格を持った存在であり、
神ならざると言えど、神に通じる最高神官として神国
日本を象徴されるべき存在なのである。
その神官が、靖国神社を慰霊することが許されな
いという矛盾は、天皇としては戦争責任を果たせない
痛恨の思いとして悩まれてきたことであったろう。
だからこそ、「国事行為」という傀儡の糸を切りたい
のだと申されているのだと思われる。
皇居を京都か奈良か那須かに移転されたらよかろ
う。
天皇の政治利用を許さない、芸能人扱いも許さな
い文化的象徴制にするとよいのだ。
天皇としてのお仕事は、神事と外交使節の任意の
接受、神社の建立と文化財保護などであればよいの
ではないか。
廃憲の上、皇室の私有財産を認め、皇統を否定す
る政教分離規定を明確に排除し、神国日本の誇りを
文化的に象徴なさる別格を認めることが皇統を護るこ
とになるのではないだろうか。
日本は事実、神国であり、その使命を帯びている。
その中心に幸福の科学があるが、伝統は皇室にあ
る。
神国日本を象徴する皇室を護るべく、日本の神々
が幸福の科学に集中して転生されているのである。
今上天皇の最後の抵抗を、さて、安倍政権はどう
受け止めるのだろうか。
すでに、神々の組織と言うべき幸福の科学に弾圧
の矛先を向けている安倍総理であるが、天皇にご不
興をかった責任は重かろう。
ごまかし政治ではなく、神国日本の名に恥じない、
権威ある外交、内政に腹をくくっていただきたいもので
ある。
日本独立宣言・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・中村梅士党