6月で思い出すのは今から39年前の6月19~27日に中国民航との友好卓球大会で中国に遠征するというビッグイベントである。今でも、卓球といえば中国の強さは世界一であるが、当時もいっしょで、卓球をやっている者にとっては、中国で卓球をやるとか、中国人と卓球をやるとかいうことは、あこがれというか夢のまた夢の世界であった。こちらからの働きかけもあったが、ひょんなことで、その中国の北京、杭州、上海という3都市での友好卓球試合が実現したのである。現地では、VIP待遇を受け、北京空港では赤ジュータンも経験した。民航本社、北京空港、杭州保養施設、上海の4か所で親善試合を行った。中国側は、社長以下会社をあげてバックアップしてくれ、成田-北京/上海-成田の飛行機と北京と上海のホテルは自分達で手配したが、北京-杭州—上海区間の飛行機及び杭州のホテルは、中国側が招待してくれた。北京では、盧溝橋や万里の長城の見学や夜も連日パーティが行われ、卓球をやっていてよかったという夢のような9日間であった。
中国遠征は、卓球人としての夢が実現した最たるものであったが、卓球人生を振り返るとやはり第1位は、インターライン卓球大会の東京大会開催の実現であったといえる。1983年11月のことで、この大会への中国の参加を呼び掛けた縁で、上の中国遠征も実現したものである。中国が初めて参加し、全部で16か国、17社から、約250名が参加するというビッグイベントを企画・運営するチャンスを得た。オリンピックのごとく、大会組織委員会を作り、会場・ホテルの確保、食事の手配、開閉会式の企画、試合の運営、大会プログラムの作成、観光の手配、歓迎・さよならパーティの企画、スポンサーの確保、IDカード・参加賞・トロフィーの作製、人材の確保、中国の身元引受等、想像を絶するほど莫大な作業を皆がアフターファイブで協力して実施したもので、今振り返るとよくできたものである。1998年にも二度目の東京大会を開催し、規模こそ小さくなったが、組織委員会としてオーガナイズする作業は一緒なので、やはり大変であった。この1998年の大会運営が3番目といえよう。4位以下は下に列挙してみたが、卓球にまつわる出来事のおかげで、自分なりの卓球人生に深く感謝している。
1位 第4回インターライン卓球東京大会の実現(1983年11月 16ヵ国250名参加)
2位 中国民航との友好卓球大会で中国遠征(1983年6月)
3位 第19回インターライン卓球東京大会の実現(1998年10月 10ヵ国90名参加)
4位 世界各地でのインターライン卓球大会への参加(1981-2001年 9回)
5位 ドイツでヤーンフォルク卓球クラブに所属し、クライスリーガに参加 (1985-1989年)
6位 大学の卓球部に所属(1966-1970年)
7位 会社の卓球部に所属(1970-2008年)
8位 定年後地元の卓球クラブに所属し、区の大会に参加(2008年-現在)
9位 社内全国卓球大会で団体・個人ダブル優勝(1984年)
10位 他社との親善試合の実現(カンタス、ルフハンザ、イラン航空)
(中国民航との親善試合)