平成24年6月13日
今回のボランティアツアーで見た被災地の状況についても触れてみたいと思います。最初に訪れた石巻市立大川小学校は昨年に比べると瓦礫も撤去され随分スッキリしていました。しかし周囲に建物は無く人気もありません。このまま大震災の記憶を残すメモリアルとなるのでしょうか。此処で思うのは何故100m程離れた山に逃げなかったのかという事。しかし被災当日は余震が収まらず倒木や山肌崩壊の危険もあったから責任者が決断出来なかった事情も理解できます。
宿泊は牡鹿半島突端にある現在休業中のおじか家族キャンプ村コテージでしたが、そこへ向う海岸沿いの被災地は、概ね瓦礫の整理を終えているようでした。しかし眼の届かぬ磯や岩場には、まだ多くの瓦礫が残されたままです。次に訪れた女川町には、高さ20mもの津波が襲来したそうです。20m近い高台に建つ近代的な町立病院にも2mの津波が押し寄せたというから想像を絶する凄さです。幸いにも病院は復旧し、綺麗な施設に甦っています。しかし病院から見下ろす街並は壊滅したままで、横倒しになったビルが無残な姿を留めています。眼にした被災地は、いずれも瓦礫の撤去は進んでいるようですが、再建は手付かずという感じです。被災地の多くは漁業が主産業なので、海岸沿いの再建が一番良いのでしょうが、そうすると津波の危険度が高まります。このジレンマがネックとなって再建が進まないのではと推測されます。
石巻市立大川小学校
町立病院から見る女川の街並