気まぐれ日記

カメラを持って、花を主とした写真を撮っています

霊亀山天龍寺 11月13日(2)

2015年11月24日 | はな

今回の観光バスによる京都観光第二日目です。

「大覚寺」の次の訪問先は、嵐山地区です。この嵐山地区では、2時間の散策時間が設定されています。

この嵐山地区はまた、嵯峨野地区とも言われています。

嵯峨野地区散策最初のお寺は、「霊亀山天龍寺(れいきざんてんりゅうじ)」です。

さすがに、足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として京都五山の第一位とされてきただけあり、「天龍寺」はいまでも大伽藍です。

外国からのお客様も含め、参詣の善男男女が「天龍寺」山門からの参詣道にも、溢れています。

拝観券取扱書を入るとすぐに目に付くのが、この「大方丈」です。

「大方丈」は、曹源池にも面しています。この曹源池周囲には、紅葉が始まった木々が取り囲んでいます。

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旧嵯峨御所大本山大覚寺 11月13日

2015年11月23日 | はな

今回の観光バスによる京都観光第二日目です。

最初の訪問先は、「大覚寺」です。

この「大覚寺」、正式には「旧嵯峨御所大本山大覚寺」と称し、「嵯峨御所」とも呼ばれるそうです。

またこの「大覚寺」は、いけばな発祥の花の寺でもあり、「いけばな嵯峨御流」の総司所(家元)でもあるとか。

この生け花に関係ある一つの例が、この「嵯峨菊」です。

上から順に三輪、五輪、七輪と咲かす、この菊のことを言うそうです。

御影堂の正面にある勅使門です。

五大堂の広いぬれ縁(観月台)から見た、大沢の池です。

勅封心経殿です。

殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、光格天皇の勅封心経を奉安し、薬師如来像が奉伺されているそうです。

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永観堂 禅林寺 11月12日(6) おまけ

2015年11月22日 | はな

今回の京都観光第一日目の、続きです。

「化野念仏寺」の観光を最後に、この日の観光バスによる観光は終わりました。

この日のお宿は、遺憾なことに大阪です。

でもまだ4時過ぎと時間も早く、翌日は観光を終えるとすぐ新幹線で帰京します。

と言うことで、折角なのでライトアップの「永観堂禅寺(えかんどうぜんじ)」に行ってみました。

バスで「永観堂」についてびっくり。

5時半から開園が始まっていて、もう30分近く経っているにもかかわらず、入場待ちの人であふれかえっています。

ここに見えているのは、拝観券発売所から伸びている拝観券購入待ちの列ですが、ここから殆ど発売所近くまで、更に左側駐車場へと伸びています。大変な待ち人の大群です。

おおよそ20分くらい待ち、漸く圓内に入ることが出来ました。

まだ紅葉には多少時期的には早かったようで、紅葉に至っていないところもかなり残っていました。

でも、さすが「永観堂」だけあり、見物の人で溢れていました。

コメントは省かせて頂きます、今年の「永観堂」をご覧下さい。

 

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化野念仏寺 11月12日(5)

2015年11月21日 | はな

今回の観光バスによる京都観光第一日目の、続きです。

「五台山清凉寺」の観光を終え、この日最後に訪れたのが「化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)」です。

嵯峨野地区でも一番外れに位置するため、ついでにお参りする、と言うにはちょっと不便なところにあります。

今回は、観光コースに組み入れられていましたので、お参りすることが出来ました。

境内に祀られている八千体にものぼる石仏・石塔は、本来化野地区に葬られていた人々のお墓だったそうです。

時代を経て無縁仏となっていった、これら石仏群を再配列安祇されていったのが、この「化野念仏寺」の始まりだそうです。

気ままに撮った石仏達を、ご覧下さい。

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五台山清凉寺 11月12日(4)

2015年11月20日 | はな

今回の観光バスによる京都観光第一日目の、続きです。

三尾地区の観光を終え、次に訪れたのが「五台山清凉寺」またの名を「嵯峨釈迦堂」と呼ばれているお寺さんです。

この寺には、「三国伝来生身釈迦如来像」と言われる国宝の如来像が安置されています。

「三国伝来生身釈迦如来像」とは、インド―中国―日本と伝えられた生身のお釈迦様、と言うことだそうです。

昭和28年に、始めてこの釈迦如来像を調査したときに、その体内から「絹製五臓模型」が発見されたそうです。

千年余前の仏像の体内に、この様な模型品が封蔵されていたと言うことは、驚くべきことで、当時の中国では人体内の臓器についての知識があった、と言うことに他ならないのです。

でも、寺院内の全てのものは撮影禁止となっています。

写真をお目にかけることはが出来ない以上、お話としてのものでしかありません。

始めに、寺院内でお坊さんからこのお寺についての説明を受けました。

最初に言われたことが、このお寺の名前には、サンズイ篇の「涼」ではなく、ニスイ篇の「凉」と言う字が使われています、と言うことです。

この「清凉寺」という寺名は、中国の「清凉寺」に由来するため、ニスイ篇の「凉」と言う字か使われることになったのだそうです。

まず初めは、この「五台山清凉寺」境内案内図です。

次は、この境内に配置されている様々な塔頭で、順に「本堂」、「仁王門」、「一切経倉」、「弁天堂」と「鐘楼」です。

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