「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

当事者の体験記 (その1) -- 「同一性に対する疑問」 (2)

2013年09月17日 20時20分09秒 | 「BPD最新ガイド」より
 
(前の記事からの続き)

 私はいつも、 変化したのは私以外の人だと 想像したものでした。

 まるで夢の中で、 誰かがその人でないように 意地悪くひねくれたと感じるみたいに、

 周りの人に対する 自分の気持ちが 分からなくなることがよくありました。

 友だちとして付き合いたい人や、 傷つけたくない人から、 離れることを決めかねて

 ぐずぐずしていることがよくありました。

 しかし、 その人たちの所へ戻ったことは 一度もありませんでした。

 一緒に働いていた人のことも 恐れました。

 体調が悪くて、 電話するのが 恐ろしくてできない時は、 大量に薬を飲みました。

 全てから逃げてしまうほうが 楽だったのです。

 かつては 無鉄砲で図々しかったのですが、

 尻込みして怯え、 内部が破裂しそうでした。

 26歳の時、 転移に焦点を当てた 精神療法を始めました。

 するとすぐに 自殺企図をしなくなりました。

 私の中に 生きたいと思う部分があり、

 治療を台無しにしないためには どうしたらいいのか、 自分でも分かったのです。

 先生は、 私の最も強烈で、 最も混乱した感情にも 耐えてくださいました。

 それらの感情は、 以前は何らかの 危険な行動化をしていたのですが、

 転移の中で 詳しく探求できたのです。

 治療はセラピストにとって、

 知性と理解の両方を必要とし、 単なる知的な経験ではなく、

 患者の激しい感情の世界に 溺れることなく、

 それにさらされることを必要とする 感情的な経験でもあるといいます。

 治療を初めて8年、 理性を失わせる激しい怒りは、 普通の怒りになりました。

 圧倒的で強烈な欲求不満は、 単なる欲求不満になりました。

 幸せを死に物狂いに求めて 何も思いつかない空虚感を、 ほとんど思い出せません。

 私はそれまで、 風変わり もしくは創造的であるということと、

 正気ではないということの 違いを分からない恐ろしさから、

 しばらくの間 何もかも放っておいたのです。

 今は 風変わりでも気にしません。

〔 「境界性パーソナリティ障害最新ガイド」 星和書店 (林直樹訳) 〕より
 
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