「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

心子の 解離性障害 (2)

2007年09月02日 18時16分04秒 | 「境界に生きた心子」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49869915.html からの続き)

 森本先生に尋ねたところ、心子が無意識状態になったのは 

 やはり 「解離」 だったようだ。

 アメリカ精神医学会 診断基準 「DSM-Ⅳ」 の 境界性人格障害の項目で、

 一個だけ 心子に該当しなかった 「解離性障害」 が 現れたことになる。

 解離とは 「意識や記憶などの分断」 「別の意識の存在」 を指す。

 
 いわゆる 「多重人格」 は、正しくは 「解離性同一性障害」 というもので、

 「別の意識の存在」 に当たる。

 例えば、幼児虐待などの 堪えがたい苦痛を 体験した子供は、

 その死線から逃れるために、痛い目に合っているのは 自分じゃない,

 他の子なんだと 無意識に自分に思い込ませる。

 そして 解離のメカニズムによって 別の人格が生み出される。

 多重人格 (解離性同一性障害) は、自分の存在を 命がけで守ろうとする、

 無意識の防衛機制の結果 生まれてきてしまったものだ。

 
 心子が 幼少時にこうむった 放置(ネグレクト)や 死の強要も 虐待になる。

 心子は生き残るために、もうひとつの逞しい人格を 作らなければならなかった。

 心子が見せた解離は、そういう生育歴に 起因したものなのかもしれない。

 ただし心子は いわゆる多重人格とは異なる。

 多重人格は、ある人格が表に出ているとき それ以外の人格の記憶がなく、

 それぞれの人格は 全く別々でつながりがない。

 しかし 心子の場合は、別人のように人格が変わっても

 いずれも一人の心子であり、全体の自覚も記憶もある。

 ただ その落差が甚だしいのだ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心子の 解離性障害 (1)

2007年09月01日 23時42分00秒 | 「境界に生きた心子」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49849364.html からの続き)

 心子も 「解離」 を 起こしたことがあります。

 拙著 「境界に生きた心子」 から、その一節を 引用させていただきます。

------------------------------------
 

 心子はまたしても、包丁を狙ったときの 危うい人相になった。

 起き上がろうとした心子を 押さえると、彼女はにわかに 無表情になった。

「しんこ?」

 声をかけても 心子は一向に返事をしない。

 まるで 魂が抜けたようになった。

「どうしたの!? 聞こえるか!?」

 いくら呼んでも 肩を揺すっても、一切 無反応だった。

 死人のような形相で 下を向いている。

 見る影もなく 血の気が失われ、半開きの目で 無意識状態に陥ったままだ。

 人間のこんな顔は 初めて見た。

 僕は訳が分からず、不気味な感触に包み込まれた。

「しんこ!! しんこ!!」

 「解離」 を起こしたのだろうか と思った。

 意識が自分から離れてしまう という現象だ。

 机上の知識としては 知っていたが、実際にこの目で 見たことはなかった。

 僕は不可解な思いに 捕われたまま、何度も何度も声をかけ、

 心子の肩を揺すり、頬を叩いた。

 そうしているうちに、果たして 何分くらいたっただろうか、

 ようよう心子は 生気が戻った目になり、顔を上げて 僕のほうを見た。

 しかし相変わらず 呼んでも応答はない。

 僕は叩いたり 揺すったりし続けた。

 間もなくして、心子はどうにか 息を吹き返した。

 何も覚えていなかった。

 一体 どうしてしまったというのだろうか……?

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49882042.html
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする