「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件 第3回集中審理 (4)

2007年09月21日 11時26分22秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50232653.html からの続き)

 検察側の 法医鑑定人の 証言がありました。

 元少年が 逆手で弥生さんの口を 押さえようとして、

手が滑って 首を絞め 死なせてしまったというのは、

被害者が 必死に抵抗するなか、現実的にあり得ない と述べました。

 だから殺意を持って、執拗に絞殺したという意見でしょう。

ちなみに、僕は 日本の裁判の精密司法に 与する考えで、

弁護側・検察側 双方の主張を、厳密に 精査しなければならないと思います。

 しかし 来る裁判員制度だとしたら、

この事件は こんな複雑な成り行きにはならず、

短時間で 結論が出るような 事件だったのでしょう。

(そのため 裁判員制度では、冤罪が生まれやすいのではないか

という危惧を持つのですが、それは ここでは別の問題です。)
 

 元少年は 弁護側の質問に対しては、涙を流しながら 話したりしますが、

検察側に対しては 敵意や不快感をあらわにし、

感情の起伏が激しくて まるで別人のようだと、

傍聴していた記者は 報告していました。

 でも 意見陳述の場に立った 本村さんは、

元少年が真実を述べているとは どうしても信じられない と訴えました。

また、検察官や裁判官に対する 元少年の不遜な態度を見ると、

とても反省しているとは 思えないとも述べました。

( 検察官に 「僕をなめないでもらいたい」 と 言い放ったなど。)

それが、“生の被告” を目の前にして 見てきた、

「心証」 というものであり、

同様のことが 裁判官にも 感じられているのではないでしょうか。

(蛇足ながら、弁護団の会見では 一人の弁護士が、

「この裁判の弁護ほど、胸を張ってできたことは、今までありませんでした」

と言って、泣きだす一幕がありました。

 どうも 下手な演技なんではないかという、僕の “心証” でした。

古田の退任会見の 涙とは違うんですよね。)

本村さんと弥生さんの母親の 心底からの意見陳述は、

峻烈な被害者感情 というものを、法廷に伝えたことに なったでしょう。

被害者の感情が 重んじられるように なってきたという、

この 日本の裁判の流れも、他ならぬ本村さん自身が、

塗炭の苦しみで 切り開いてきた道だったのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/50267411.html
 
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