「トロッコ嵐山」駅を通過して北に歩きました。このあたりは紅葉がすばらしいお寺がいっぱいあります。(11月28日)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/06/b4699748f710b63b2b705ba12202327e.jpg)
常寂光寺を初めて拝観しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/11/2ed267c8ca50ee31161e1ac987c08a96.jpg)
赤い落ち葉も多くなっていて、木によっては最盛期を過ぎていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c2/0649d1d44841705f95444d72eadc417f.jpg)
小倉山の麓から中腹にかけて境内が広がっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/82/cec4bf21c6ff39fb4c164117eb0d5a4a.jpg)
階段と坂道が多い。あまり老年になるともう拝観ができなくなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/8a/3ada6fddfb5155d4cec1bec9717e5f6a.jpg)
庭の池水面に一面の落葉が敷き詰められています。時折、風が吹くとはらはらともみじ葉が落ちてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/bb/8cec3e1836730dfd8c563b8f285de0d2.jpg)
ずうと登っていくと多宝塔があります。嵯峨野が一望できる場所に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/82/006a215a3b8fe56688cb1e6dc9d5a3bc.jpg)
檜皮葺の多宝塔、江戸時代前期(1620年)当時の「京の町衆」により寄進され三間四方の宝形造りです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/af/b89a344ec7d965cda2a2da8b8cbf9adf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/a8/5140bbc6613bd8f674b9d9db91629e60.jpg)
ここはもと藤原定家が庵を結んだ所といわれ、定家「捨遺愚草」の中で
”忍ばれんものとはなしに 小倉山 軒場の松に馴れて久しき”
と詠んでいます。
もう一首:
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ 貞信公
~~~~
蛇足ですが、小倉百人一首は藤原定家が選んだ和歌集です。その一首が上記の「小倉山・・・」。お正月のかるた取りといったら、この百人一首でしたがもうそんな文化は無くなったかな?
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常寂光寺を初めて拝観しました。
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赤い落ち葉も多くなっていて、木によっては最盛期を過ぎていました。
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小倉山の麓から中腹にかけて境内が広がっています。
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階段と坂道が多い。あまり老年になるともう拝観ができなくなります。
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庭の池水面に一面の落葉が敷き詰められています。時折、風が吹くとはらはらともみじ葉が落ちてきました。
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ずうと登っていくと多宝塔があります。嵯峨野が一望できる場所に。
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檜皮葺の多宝塔、江戸時代前期(1620年)当時の「京の町衆」により寄進され三間四方の宝形造りです。
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ここはもと藤原定家が庵を結んだ所といわれ、定家「捨遺愚草」の中で
”忍ばれんものとはなしに 小倉山 軒場の松に馴れて久しき”
と詠んでいます。
もう一首:
小倉山 峰のもみじ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ 貞信公
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蛇足ですが、小倉百人一首は藤原定家が選んだ和歌集です。その一首が上記の「小倉山・・・」。お正月のかるた取りといったら、この百人一首でしたがもうそんな文化は無くなったかな?