山梨県北杜市の鄙びた山奥に古刹があります。寺の由来によれば、奈良時代、行基により建てられた庵がもとで、聖武天皇より「光明殿」の勅額を賜りました。(行基さん、奈良からこんな遠方にまで歩いてきて、お寺を創ったのには驚く)
織田信長が甲斐に侵攻した際に寺は焼き払われましたが、その後、徳川家康によって再建されました。
ふくよかな如意輪観音さん。片膝を立てた姿。
山門。
なぜか、セコムの赤い標識が添付されています。(後述)
境内に入ると巨大な杉の大木。
本堂の周辺には所狭しと石仏が並べられています・
このお寺には百観音の石仏が奉納されています。百観音とは、西国三十三所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の観音像です。名工屋貞治が作製した石像と伝わります。
馬頭観音。
さらに奥には観音堂があるとの案内掲示があったので、この石段をふうふう言って登りました。石段下のイチョウの木は秋には美しい黄色の葉をたくさんまとうようです。
江戸時代の建物です。正面軒下を飾る「粟(あわ)とウズラ」の彫刻は信州諏訪出身の名工立川和四郎の作です。
・・・千社札というのでしょうか、太い活字で氏名や屋号のようなものを記した紙を貼り付けています。正に落書きと同様。
その張本人は、文化財を私物化して汚染していることを恥じて、謝罪しすぐに剥がし清掃するべきです。
当時、実物がほとんど知られていなかった象の装飾造形が愉快です。
野の花が咲き、
六地蔵の石仏もあります。
・・・京都には六地蔵なる地名がありますが。
境内には、多くのユリの蕾がありました。あと一週間もすれば満開になって良い香りを漂わせることでしょう。
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1931年の木造千手観音立像が盗難にあったとのことで、現在はセコムの警備を導入している模様です。