もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

砲艦外交

2017年09月18日 | 社会・政治問題

 現在はパワーポリティックスと表現するのだろうが、私には砲艦外交の方が馴染みやすい。

 武力で弱小国を恫喝し、植民地化、領土の一部租借、不平等条約の締結等の我意を押し通すもので、大航海時代から大東亜戦争まで欧米中心に広く採用された政治手法である。相手国の民生保護やインフラ整備を行うことなく、ただ搾取のみを目的としたもので、日本の台湾及び朝鮮併合とは根本的に異なっていることをご理解いただきたい。いまもなお砲艦外交を国是としているのは、露骨な領土拡張政策を隠さない中国と核で恫喝を続ける北朝鮮の2国が該当するのではないだろうか。かって弱小国であった日本も、黒船来航時後には列強に屈して数多の不平等条約締結を余儀なくされ、臥薪嘗胆・富国強兵によって改定にこぎつけた苦い経験を持っている。悪しき国からの恫喝に対処するためには、相手の意図を挫折させる抑止力を保持しなければならない。抑止力とは、自衛力と反撃力であり、整備には数年の努力と財政負担を必要とする。ドイツ海軍の至宝と呼ばれたデーニッツ元帥がいみじくも喝破した「平時のツケは戦時に兵士の血で償う」は今に至るも名言と思う。まだ戦闘時における戦闘員以外の殺傷が忌避されていたころの論であるために「兵士の血で購うと」されているが、べトナム戦争のようなゲリラ戦や自爆テロに代表されるように戦闘員と民間人の区別がはっきりしない現在にあっては「国民の血で購う」と言い換えるべきであろうと思う。狂信者とされるフセインがクェート併合を図ったのは有史以来の尺度で測れば昨日のことである。狂信者「習近平」率いる中国が尖閣諸島に侵攻しないことは誰も保証し得ない。

 徒な軍拡競争を提唱するものではないが、反撃力の整備にも意を用いて欲しいと望むものである。