官房長官に場違い・ピント外れとも思われる質問を連発した記者の実名が報道された。
氏の質問内容の是非は、官房長官から「その質問は、北朝鮮の高官にどうぞ」といなされるとともに会場の他紙記者からの失笑をかったことで十分であろう。質問の巧拙はさておき疑問を感じるのは、その後にあっても「それでも自分は権力と闘う」という恬として恥じない信条である。これは多くのジャーナリストが口にすることであるが、実情は、近年の新聞の特集に見られるように、綿密な取材に依らないコピペ的、まとめサイト的、金太郎飴的な憶測の羅列化に堕しているのではないだろうか。加計問題・籠池問題にしても、ゴシップを求める読者に迎合することなく、真摯な観察・思考・判断を加えれば問題の本質と伝えるべき真実が把握できたはずである。記者といえども、集めた情報の分析に信条が投影することは避けられないと思うが、慰安婦問題への朝日新聞の独善が混乱と新聞不信を招いたのは数年前である。新聞と新聞記者が世間を啓蒙し、世間を善導し得たのは、明治初期の自由民権運動が最後であったと思う。日清・日露・大東亜戦争ともに、「宿敵打つべし」と声高に論調し世論を沸騰させたた新聞の罪科は小さくないと思う。
望月記者を含めてジャーナリスト諸氏は、自分の取材と分析と記事が公正であり、読者・国民の福利に資するか否か常なる自省を求めるところである。