小池代表は、選挙に立候補せずに代表を続けるという。
選挙の顔で集客を目指すが院内活動には責任を持たないという、ぼったくりバーのアルバイト客引きを演ずるのだろう。もし、第1党となっても議員内閣制の下では首相にはなれないが、第1党の党首としては傀儡総理を操って国政を壟断・私物化する魂胆と見受けられる。小池氏の目指すところは院政で憲政史上例のない方法ではあるが、悪意ある人にとっては誠に都合のいい遣り方であると思う。失政の責任は傀儡が負い、党首討論で政策をあげつらわれることもなく、失格大臣の任命責任を問われることもない。それにもまして危険なことは、党首が国政に関しては誰に対しても責任を負わないことである。第1党を率いる党首はこれまで総理大臣となって行政に当たり、帝国憲法下では天皇に対して責任を負い、現行憲法下では選挙によって国民の審判を仰ぐことが不文律となっていた。不文律であるからこそ、政党の党首は選挙の顔となり選挙後を占う指標たり得たのである。今回の希望の党の手法は、党首は明確であるが総理候補は明確でない、慣例と不文律を無視して有権者を「目くらまし」状態に置く所業であると考える。
いま、小池院政化の危険性を問う意見は聞こえないが、議会制民主主義の危機であると思う。なぜなら、日本のヒットラー出現を防ぐ手の一つが失われるからである。