もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

予算委員会を考える

2019年03月26日 | 野党

 参院予算委員会での桜田五輪相の発言に関する「やりとり」が報道されている。

 本来、予算委員会での攻防は「質疑」と書くべきであろうが、一般的に「質疑」とは「疑問の点を問いただすこと。特に、議案や動議について提出者・発議者などに口頭で説明を求めること」とされており、我々が国会、特に予算委員会に求めるのは「行政府に対する高所・対処に立った質疑」であり、大臣の見極めや首のすげ替えだけを期待するものではない。特に予算は、年度単位で決められるものであっても、長期的な国家運営の中の1年を決定づける重要な要素と思うが、国会中継を見る限り長期的な視野に立った質疑は少ないようである。来年度予算案では文教関係予算は防衛関係費とほぼ同額であり文武のバランスはとれていると思えるが、さらに「幼児教育と大学教育の無償化」を主張する政党が多い。そこには日本の現状を維持するための軍備と将来を決定する人材の育成という注力配分が現時点でどうあるべきかというような議論、まさに質疑と呼ぶに相応しい論戦は無い。働き方改革の「やりとり」にしても大半は厚労省のデータ改竄の犯人捜し、大臣の首の争奪戦であり、主題に関する質疑は低調であったように思う。予算委員会には質問範囲に制限がなく全ての事象・案件に対して質問できるために、与野党ともにスター議員を委員として送り込んでいるがテレビ中継を意識した印象操作の場としか見えない。本来、予算委員会の場で質疑されて当然の日韓関係に対して立憲民主党は殆ど質問していなのは何故だろうか。邪推すれば、政府の強硬姿勢を引き出せば政府にポイントを与えることになり、弱腰を際立たせた場合は韓国の左派親北政権を勢いづかせる、いずれの場合にも党利党略にとってプラスにならないという判断に立ってのことであろうが、国会議員としての責任を放棄したもので無責任の極致とも思えるものである。

 以前にも書いたことであるが、調べた限りでは戦後「予算の政府原案」が国会で修正されたことは1度もないようである。各委員は政府原案の誤謬や注力対象について、政府を圧倒する正論をもって質疑・論破して原案を修正させることが予算委員会での勝利と捉え、そのために努力して欲しいと願うところである。さらには、日本国の行く末よりも党利党略を優先する予算委員会であって欲しくないものである。


イタリアが中国の軍門に下る

2019年03月24日 | 中国

 中国の習近平国家主席の欧州行脚が成果を上げている。

 イタリアがG7では初めて中国の一帯一路構想協力の覚書を締結し、すでに覚書を交わしたギリシャ・ポルトガル等を含めれば欧州では14か国が中国に飲み込まれようとしている。また覚書の締結を拒否したスペインもヴァレンシア港のコンテナ埠頭が中国企業の手に落ち、ギリシャのピレウス港も同じく中国企業に買収されて、地中海は既に中国の海と化している。では何故に中国は欧州に伸長できるのだろうかと考えれば、アメリカの政戦戦略の失敗によるNATOの弱体と、ギリシャ・イタリアの救済失敗とイギリスの離脱というEUの亀裂という空白に、中国がつけこんだ結果であると思う。トランプ大統領は中国経済さえ封じ込めれば中国の膨張は抑止し得ると考えて対中貿易戦争を始めたが、中国は対米関税交渉ではアメリカが中国経済最大のパートナーと信じ込ませる傍らで、アメリカ市場に代わるものとしてヨーロッパを想定していたのではないだろうか。また、トランプ大統領が西側同盟国に対しても関税障壁を設けたことと、米軍駐留経費の増額やNATO分担金の修正を持ち掛けて”支払額に応じて軍事力を提供”という米軍の傭兵化とも取れる政策を推進したことが、列国の急速なアメリカ離れと中国寄り転換を招いているものと考える。また習近平氏の欧州歴訪に歩を合わせて、北朝鮮は開城の連絡事務所を一方的に閉鎖して北朝鮮の首席報道官たる文大統領にも踏み絵を迫っている。このような中国の大攻勢は、2013年に中国がAIIB(アジアインフラ投資銀行)を発足させた時点で計画されていた戦略と思われ、債務国にはさらなる債務を押し付け、債務国以外にはAIIBに対する拠出金の保全のための行動を求めることで、親中政権の誕生もしくは中国寄り政策の拡大を図ったものと考えられ、現在まで想定する成果を上げているように感じられる。西側民主主義諸国は理念として”政経分離”を旗印として掲げているものの、民主主義国家では経済が政治を牽引しているのが実情であり、習近平氏や中国共産党指導部は我々以上に民主主義社会のアキレス腱を熟知して戦略を組み立てているものと思わざるをえない。

 現在イギリスのEU離脱問題は2週間の離脱延長が実現したものの、イギリス議会の様相を見れば合意なき離脱に至るのは確実と思われる。イギリスはAIIBの加盟国であるとともに、既に原発建設と電力会社が中国の影響下にあることから、中国の要求次第ではアメリカの中東戦略の拠点であるディエゴガルシア島(英領で全島をアメリカに貸与)の継続使用にも黄色信号が点滅するかもしれない。トランプ大統領の中国封じ込めには経済力を削ぐのが近道とする戦略は正しいと考えるが、同盟国に対する関税障壁等は西側の足並みを乱れさせるのみで、結果的に中国を利するものであることを理解して欲しいものである。


反天皇制判事のその後

2019年03月23日 | 天皇・皇室

 反天皇制活動疑惑が取り沙汰されている、名古屋家裁判事のその後が報じられた。

 報道は、衆院法務委員会の質疑で最高裁の人事局長が、「裁判官の私生活上の自由や思想・表現の自由にも配慮しつつ慎重に調査している」としつつも「事実関係が確認できない」と答弁したものである。後段の事実関係の確認については、本人に対する聞き取り調査を行ったのみで、事実関係を特定するための証拠の収集や分析に立ったものではないらしい。被疑者の多くが犯罪行為発覚の初期に事実を否定し、抜き差しならぬ証拠を突き付けられて事実を認めることは司法関係者であれば常識であると思うのだが、裁判所内の現実はそうではないようである。本人の初期の供述のみで事実を決するのであるならば、ゴーン氏は無罪で逮捕即日に釈放されなければならないことになるが、こと身内に対しては甘すぎるように感じられる。前段の私生活上の種々の自由に関しても、私生活や思想と仕事は別物と考えているのだろうかと疑問が湧く。極論であるが、奉行所の同心でありながら裏稼業(私生活)では殺人者である時代劇「必殺仕事人?」主人公の中村主水すら許されるとするのであろうか。君子は、「李下に冠を正さず」「盗泉の水を飲まず」として自分の生き方に疑念を抱かれることさえ恥辱とし、戦後の混乱期にあって「悪法も法」として食糧統制法に殉じて栄養失調で亡くなった裁判官が存在したとも聞いている。家裁判事の言動については疑念の域を超えて有り余る証拠が存在しているにも拘らず、いまだに厳密な意味での調査が行われていないことに、最高裁の事務方が裁判官の地位に対して過度に忖度している姿勢が窺い知れる。前文と相まって国民主権に関する根拠規定とされる憲法1条(天皇の地位)を否定する家裁判事の姿勢は日本国憲法の否定であり、私生活における思想の自由では済まされない問題であると思う。

 人格が高潔で・識見が抜きんでているとした取手市の教育委員会の構成員の下した判断は、衆人に劣るものであったことが露見した事実に加えて、今回の裁判官の言動。平均的な市民の変化以上に、国民の安寧確保の中心として存在すべき階層の意識の変化や堕落が起こっているのではないだろうかと危惧するものである。大木(日本)が倒れるのは、表皮(国民)が腐るよりも、大木の中(中心的階層)に空洞があることによる場合が殆どである。大国の興亡史を見ても、すべては指導的階層の存在と彼らの意識の変革に起因している。


イチロー選手引退・野茂選手を忘れまい

2019年03月22日 | カープ・スポーツ

 MLB(メジャーリーグ)傘下シアトル・マリナーズのイチロー選手が引退した。

 昨年の5月以降球団フロントとしての活動が主となり今季はマイナー契約となって事実上の引退状態であったが、昨日正式に引退を表明した。MLBでは現役のまま引退を表明できるのは一部のスーパースターのみで、大多数の選手は所属球団との契約終了後に他球団からのオファーがなければ「なし崩し的に引退」となり、松井秀喜氏ですらその道を辿らざるを得なかった。イチロー選手の実績は素晴らしいものであるが、引退を表明できることだけでもMLBで破格の待遇と尊敬を得ていた証であろうと考える。過去、イチロー選手が「現役中は辞退する」として立ち消えになった国民栄誉賞の表彰が再燃すると考えるが、その際には野茂英雄氏への贈呈も考慮して欲しいと願うものである。日本人大リーガーの歴史は、1964(昭和39)年から2年間「村上雅則氏(南海ホークス→サンフランシスコ・ジャイアンツ)」が活躍したことに始まる。しかしながら村上氏の在籍・活躍は「瓢箪から駒」的な顛末に基づくものであり、以後1995(平成7年)年「野茂英雄氏」が登場するまでの30年間MLBに日本人が在籍することはなかった。野茂英雄氏は1994年シーズン終了後に所属球団(当時近鉄バファローズ、現オリックス)と確執が生じ、近鉄球団は懲罰的に野茂選手が日本の他の球団でプレーできないように任意引退選手としたために、止むを得ずMLBに挑戦したものである。MLBでの野茂選手の活躍は割愛するが、日本野球の質の高さと日本人がMLBで活躍できることを認識したMLB各球団は日本プロ野球(NPB)の有望選手に触手を伸ばすようになるとともに、プロ野球選手の意識もMLBは手の届く目標に様変わりした。その後幾多の紆余曲折を経てポスティングシステムの構築、フリーエージェント(国内・国外)制度が確立して多くの日本人がMLBに挑戦している。このように、野茂選手のMLB所属以前の日本では、球団所属選手は球団の所有物で球団が生殺与奪の権利を有していたが、野茂事件を契機として選手の権利を大幅に認めるNLBの近代化が進んだことを考えれば、野茂選手は現在世情を賑わしている「働き方改革」の先鞭をつけたものともいえるのではないだろうか。

 古い言い回しを借りるならば、「野茂がこね、イチローが搗きしMLB、余慶を受ける”黒田・マエケン・松井・大谷」といえると思う。NPBの近代化に先鞭をつけ、プロ野球界やプロ野球選手を目指す若者に夢を与えた野茂英雄氏の功績は、他の受賞者に勝るとも劣るものではないと考える。野茂氏もイチロー選手と同じく国民栄誉賞の表彰打診を断っているとも報じられているが、オリックス球団を始めとするNPBも過去のわだかまりを捨てて、野茂氏の受賞を応援して欲しいものである。



取手市の少女自殺と教育委員会を考える

2019年03月21日 | 社会・政治問題

 茨城県取手市の女子中学生が自殺した事の顛末から、教育委員会について考えた。

 事件は、2015年11月に起きた。12月には取手市教育委員会が『自殺はいじめではなく、家庭及び本人に起因するもので、いじめ防止対策推進法に基づく「重大事態」としないで「死亡事故」』と発表。父兄の真相究明の要望を受けた市教育委員会は、2016年3月に第3者委員会(委員は筑波大・茨城大教授等とされる)を設置したが「いじめはなかった」と結論。結論を不服とした父親は文科省に再調査を依頼、文科省は取手市に再調査を指示。取手市は茨城県に調査を委託して茨城県は調査委員会を設置して2017年12月から再調査を実施。昨日(2019年3月20日)に調査報告書を公表し『同級生によるいじめと自殺の因果関係を認めるとともに、担任教諭は指導を怠り、生徒と一体となって本人を追い詰めたと認定。当初調査に当たった市教委の対応も「違法で、不当極まりない」』と指摘した。取手市のHPによると、「教育委員会は、教育の政治的中立性を保持し、学校教育や生涯学習等の振興を図るため設置された、市長からは独立した執行機関」として、委員会を構成する教育長と4人の委員は「人格が高潔で、教育・学術・文化に関して識見を有する」としているが、”市長からは独立した機関”との記述以外は信じることができないものと感じるのは自分だけだろうか。もちろん熱心に教育行政に取り組み成果を上げている教育委員会も多数あるのだろうが、普段ニュースで目にする教育委員会では”人事(特に採用人事)の不正””自虐史観助長の教材や教育機会の作為””いじめ問題に対する臭いものに蓋主義””教員の能力向上や低素質教員の淘汰に後ろ向き姿勢”等々、碌なものはない。大阪府知事時代の橋本徹氏が、教育効果を上げ得ない教育委員会をバカ・不要と表現したが、取手市教育委員会の実情を見る限り橋本氏に賛同するものである。各種報道から窺い知られるのは、教育委員会とは「教職員の互助会」であり、「教職員の既得権益を守るための利益・圧力団体」としての姿である。さらに取手市教育委員会が設置した第3者委員会なるものも、委員に教育者が存在していることから、教育現場の透明化や教職員の責任を厳しく調査したものとは思われない。おそらく「同病相憐れむ」姿勢で、問題の本質を明らかにして正そうという気概など無い人間を選んだのだろうと推測される。

 日大アメフト問題では第3者委員会が監督の責任を認めたものの、検察は監督等を不起訴とした例にみられるように、一般的に言って第3者委員会の結論は司法判断よりも重いことが多い。これは司法的な証拠よりも被害者救済のほうを重視するためであると思う。全く逆の結論に達した取手市教育委員会が設置した第3者委員会の検討過程、議事録を読んでみたいものである。