もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

フランスの黄色いベスト運動を学ぶ

2019年03月20日 | 欧州

 今朝のテレビで、フランスの「黄色いベストデモ」警備の警察官が万引きする姿が放映された。

 燃料税の値上げに端を発した抗議デモは終息の気配を見せていたが、いまだに略奪行為すら伴うデモが継続されている現状を知るために、改めておさらいを試みた。時系列的に整理すると、昨年(2018年)9月に政府が2019年1月1日から燃料税を値上げすると発表した。発表から11月中旬までネットで値上げ反対の署名活動が行われ86万人の請願署名が集まったとされるが、政府は見直しを検討しなかっために11月17日の土曜日になってSNSの呼びかけに応じた地方生活者が、ドライバーの安全確保用の黄色いベストを着て地方都市(87箇所3500人)で抗議デモを行った。その後デモは週末を中心に全国に拡大し12月には首都のパリでも行われるようになったが、騒擾を許さないと内相が発言したために火に油を注いでしまった。デモの尖鋭化に驚いた政府は、12月4日に燃料税の値上げを半年間延長すると発表、さらに12月10日には最低賃金を企業が負担するのではなく国の負担で100ユーロ(1万3000円)引き上げることを発表してデモの鎮静化を図った。この頃になると「一般労働者が自然発生的に起こした抗議活動」の様相から、極左・極右政党が組織的に行う政治活動に変質して、マクロン政権の富裕層優遇政策や移民排斥の要求が表面化するとともに一部が暴徒化して略奪や放火も横行するようになり、警備側も催涙ガスの使用等の強硬対処を余儀なくされているのが現状である。しからばフランスの労働者や国民は燃料税の値上げに耐えられないほどの貧困状態に置かれているのかと各種資料や解説を読んでも、流石にフランス式社会主義と呼ばれるように月額20万円弱の最低賃金(全国均一)、長期にわたる高額な失業給付、週35時間労働(日本は40時間)等を見る限り、明日の米(パン)に困る状況ではないように思われる。失業率は他のEU諸国に比べれば高い(9%内外)ように感じられるが、選好みや勤労意欲に欠けるというフランス人気質に負うものが相当数に上るとの指摘もあり、フランス人労働者の経済状態は「貧困ではないが生活に余裕があるわけでもないレベル」というのが大方の見方とされている。

 フランスの生活レベルを知らないので結論付けるのもどうかと思うが、日本の現状に立ってフランスの各種数字を見る限り、経済的にこれほど長期に亘って騒動を起こさなけれならないとは思えない。マクロン政権の支持率は25%を割り込んで歴代のワースト記録を更新中であるが、もともとフランスでは政権支持率が低いのが常識であり、今回の騒擾に関して政権の責任を追及する声は低いようである。こう考えれば、EU離脱問題からイギリスを逃げ出した外国企業がフランスを通り越してドイツやオランダに向かうことの背景も理解できる気がするものである。 



鷲尾議員の動向と共産党の戦術

2019年03月19日 | 野党

 自民党の二階俊博幹事長が、旧民主党で現在無所属の鷲尾英一郎衆議院議員を自民党に入党させる考えであることが分かった。

 幹事長は、「(入党)希望者に余程の難点がない限り、幅広く受け入れる。野党議員にも、本音は自民党に行きたかったが、自民党が満員だったから入れなかった人がいっぱいる。ケースバイケースで対応したい。自民党へ入りたいという人が多くいてもらうことは、大変力強い」と語ったと報道されている。二階幹事長は、先に細野議員の自民会派入り(将来的には自民党入党?)を承認したこともあり、幹事長の党勢拡大努力の成果とされる一方で両氏の変節と糾弾する意見もあるが、若年議員の心情の変化にこそ注目すべきではないだろうかと考える。これまでも自民党内部での派閥の興亡・党内勢力争いからの新党結成や野党の離合集散という議員の移動は茶飯事のことであったが、左派系野党議員が自民党に加わわることは余り記憶にないことである。2月12日「松下政経塾考」2月5日「ベネズエラ考」に書いたところであるが、政治家となって日本の経綸に参画することを目指すならば、体制の中で発言力を増すことこそが自分の理想具現の近道であることに漸く気付いたことが、今回の鷲尾・細野両議員の行動から読み取れるのではないだろうか。また、両議員の行動が、そうであって欲しいと願うものである。古来から「君子は豹変する」といわれるが、与党に籍を移す両氏が君子であって欲しいものである。見切りをつけられた感がある左派系野党からはコメントが寄せられていないが、枝野氏をはじめとする指導者からは「明日の日本」が語られることもなく、モリ・カケ・データ改竄の糾弾にのみ固執する有様では、有権者はおろか政治家を目指す有為の青年をも糾合できないと思うのだが。

 常々、野党の選挙区における統一候補擁立や比例の統一名簿は有権者を愚弄する手法と主張しているが、来る大阪府知事・大阪市長のダブル選挙に際して共産党は前回の選挙に引き続いて自民党の推薦候補に相乗りするそうである。共産党の小池氏は、松井知事の動きを「党利党略」と批判した上で「保守も含む幅広い共闘で勝利する。自民党政権も害悪の固まりだが、維新がやろうとしている大阪都構想は自治体そのものの破壊」と主張し、大阪都構想をつぶして維新の力をそぐためだけに共闘するそうである。爾来「共闘」するためには「小異を捨てて大同につく」のが鉄則であったが、大阪知事選にみる共産党の姿勢は「大同を捨てて小異につく」所業で、主義をかなぐり捨ててでも主張(維新の弱体化)を通そうとする「あからさまな党利・党略」の戦術と思うのだが。、


名古屋地裁判事と表現の自由を学ぶ

2019年03月18日 | 報道

 名古屋地裁判事の政治的活動が論議を呼んでいる。

 当該判事は、共産党が関連する天皇制反対集会に複数回参加して、身分を明らかにして意見を述べていることが裁判所法に抵触するのではとされているものであるが、ここにきて「裁判官の欠格事由」と「表現の自由」のせめぎあいに発展している。裁判所判事を含む国家公務員の欠格事由としては、国籍条項とともに『日本国憲法施行の日以後において、日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者』と規定されているので、武力革命を放棄していない共産党に入党しているか否かの解釈にもよるが、当該規定に抵触して失職(懲戒免職)することは当然と考える。一方、判事の行動を『表現の自由』として擁護する意見も根強いので、表現の自由について調べてみた。「表現の自由」とは一般的に<個人が外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現・発表できる自由で日本国憲法第21条で保障されている。>とされており、集会・結社の自由の範囲は集団行進・示威運動などにも及ぶと考えられている。それ故にデモ参加者が拘束される場合も、暴行・公務執行妨害・迷惑禁止条例違反であり、デモの目的によって逮捕・拘束されることは皆無であると思う。表現の自由に関しては「チャタレー夫人の恋人」がエロか文学かで争われたチャタレー裁判や、篠山紀信氏が撮影した墓場のヌード写真集が死者の尊厳を求める公共良俗に反するか否かの争い等にみられるように、かっては出版物に対する論争が主流であり、チャタレー夫人の恋人訳者の伊藤整氏などには確たる意見があっての行動であったように記憶している(篠山氏についてはあまり擁護する気もないが)。しかしながら、現在ではヘイトスピーチや放言、ネット上の中傷・誹謗さえも表現の自由と主張することが横行しており、自己主張と公共良俗・公共の福祉との兼ね合いを熟考したうえでの行動とは思えないものが多い。名古屋地裁判事についても、憲法と憲法に連なる法体系の番人である裁判官の職責を考えるならば、自分の言動が社会規範からは突出しているとともに、表現の自由の埒外であることは容易に自覚できたはずである。それとも、憲法に規定する天皇制については反対する一方で、憲法が保証する表現の自由のみは享受するという言動なのだろうか。

 判事がこれまでに示した司法判断については報道されていないために知る由もないが、おそらく国家行政に起因する司法判断は、持論が投影されたものになっているであろうことは疑いないと思う。判事は、弾劾を待つことなく辞職して、自説に忠実に生きられる世界に転身することを切に望むものである。


スペインの北朝鮮大使館襲撃事件に思う

2019年03月17日 | 北朝鮮

 スペイン・マドリードの北朝鮮大使館が米朝首脳会談直前の2月22日に襲撃されたことを知った。

 事件と報道の経緯は、武装したハングルを話す複数(10人?)のアジア系人物が白昼大使館に侵入して、職員8名を縛ったうえで頭に袋をかぶせて暴行を加えて尋問し、パソコンや携帯電話を奪って逃走したものであるが、北朝鮮大使館が現地警察機関に通報しなかったこと、米朝首脳会談の報道が優先されたことから日本のマスコミでは報道されなかったものである。ところが米朝首脳会談決裂後の3月13日になってスペインの地方紙エルパイスがスペイン国家情報局(CNI)からの情報として「特定された容疑者のうち2名がCIAに関係している」と報道し、3月15日以降日本でも取り上げられるようになったものである。現在のところ、襲撃犯は「千里馬民防衛」を名乗る反金正恩体制団体とされており、同団体は3月1日には名称を「自由朝鮮」に改め金体制打倒の臨時政府を樹立したともされている。当然のことながらCNI・CIAともに情報の確認を拒否しているが、襲撃犯が米朝首脳会談にも大きく関与している金革哲氏(前駐スペイン大使、現対米特別代表)に関する情報収集を重要視したと推定されることから、火のないところに立った煙ではないと思う。事件の真相はさておき、不満に思うのは事件に対する一連の報道である。マスメディアは限られた紙面や時間内に世界中の膨大な情報を収める必要があるために重要度を量って取捨するのは当然であろうが、1国の大使館がテロ攻撃されたことは「捨てる」が、アメリカ(CIA)が関与していれば「拾う」との尺度が理解できないと思っていた。しかしながら本日の産経新聞の「新聞に喝」欄で、蓑原俊洋氏(神戸大学教授)が「日本の新聞では世界の個別の出来事は理解できても、大局的な見地に立った全体的な流れと意義を掴むのは難しい」との意見を読んで成程と思った。いうまでもなく出来事をいくら集めても、それは情報とは呼べず、数ある出来事(ピース)を繋ぎ合わせて完成させたジグソーパズルの絵が「情報」としての価値を持つとすれば、読者は新聞を代表するマスメディアで得たピースを自分で組み立てて、情報として認識するという作業を心掛けなければならないと思う次第である。

 さらに蓑原氏は「財政的な理由から、新聞社の海外支局が閉鎖される動きがある」ことを危惧されているが、そうなれば国際情勢に関する新聞記事は外国通信社の配信記事のみで構成されることになり、ネット上の「まとめサイト」と同じになる日も近いかもしれない。現在、食事処を探す場合にも「食べログ」を含め複数のサイト情報を基にして比較検討することが一般的であるが、将来的にはニュースも同じ手法で検討することが求められるようになるのかもしれない。


陸上自衛隊の服制改革に思う

2019年03月16日 | 自衛隊

 ようやくブログが再開できる態勢にまで漕ぎ着けました。

 陸上自衛隊が「陸上総隊等の新編をはじめとする新体制への移行を契機に、創隊以来の大改革を断行(陸幕広報室資料)」の一環として制服を一新した。さらに同資料は『改正は「強靭性」「使命感」「品格」を鮮明にするため色調は紫紺を基調、現代的でスマートかつシャープなデザイン、階層区分を明確に識別できるよう袖章及び側線を追加』としている。テレビ出演した陸自幹部の映像を見たが、色調は空自に酷似・海自に見紛う袖章・通常では儀仗兵や軍楽隊しか着けない側線を付け、お世辞にも近代の軍服とは言えないもので、陸幕は軍服の持つ意義を忘れているのではなかろうかと思わざるを得ないものであると感じた。軍人が軍服を着るのは、武器の使用を国際法下に正当化するためであり、次いで被災者や厄災・騒擾に巻き込まれた国民(特に、海外で暮らす邦人)に軍が出動(政府が本腰を入れている)したという安心感を与えるためであると思う。そのためには制服の永続性(見慣れた制服)が最も必要で、制服の改正は陸自が数十年かかって国民に浸透させてきた存在感を根底から覆す愚挙でしかないと思う。階層区分を明確に識別させるという考えにも疑問である。近接戦闘においては、指揮系統を混乱させるために狙撃者は敵の指揮官を第一の目標とするのが鉄則であり、外部から指揮官の存在を判り難くすることが求められると思うが、一見して敵に指揮官の位置を誇示するかのような服制の改革には戦闘行為を忘れてしまったかの印象が強い。列国でも革命等の場合を除いて正規軍が服制を大きく変えることがないのは、服制改革に伴なって国民に与える安心感が損なわれることを危惧することに起因しているものと考えている。

 ますます海外派遣の機会が増えた陸上自衛隊で、いま服制を変える判断が適切であるのだろうか。中国の人民軍に見間違うような側線を付けた制服では、在外邦人を混乱させるとともに、外国政府要人に対して日本を主張できるものではなかろうと杞憂するものである。今回の陸自の服制改革は、軍人の本分と軍服の持つ意義を忘れた所業としか感じられないとともに、あの制服を「現代的でシャープなデザイン」と感じる美意識に驚かされるところである。