もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

中国ウィルスの感染発生源報道

2020年04月17日 | コロナ

 アメリカのTVで、中国ウィルスの感染発生源が報じられたことを知った。

 報道では、中国ウィルスの発生源は「中国科学院武漢ウィルス研究所」とされ、研究動物の蝙蝠から感染した同所職員が武漢市内に外出して感染が始まったとしている。また、ワシントンポスト紙が伝えるところでは、2018年に駐中国アメリカ大使館が「同研究所の安全対策が不十分である」とする公電を2回に亘り本国に打電しているそうである。現在のところアメリカ政府の公式見解ではないが、本年の2月には同研究所が「新型コロナは蝙蝠由来」とする研究結果を世界で初めて発表していることもあって、感染当初から中国は発生源を把握していたのかも知れないとの疑念が拭えない。近代の戦争では通常兵器による戦闘に加えてN(核兵器)、B(生物兵器)、C(化学兵器)、C(電脳)によるNBCC戦が考えられている。核兵器開発には巨額の軽費と実験設備が必要であることや国際的な監視から逃れることは出来ないため、開発可能な技術と資金を持つ国も保有していない。半面BCC兵器は大規模な設備を要しないことから「貧者の核兵器」とも呼ばれ、禁止・制限条約下にあっても密かに研究・生産貯蔵が行われているともされている。また、BCC攻撃に対処するためには攻撃兵器の性能・特性を知ることも必要なため防御のために研究している国も多く、日本の国立感染症研究所などもこの範疇に含められると思う。中国ウィルスが兵器としても優れているのは、致死率は低いながら潜伏期間が10~14日間と長く、飛沫感染であることから発生源・感染経路の特定・感染拡大阻止が困難であることは現在進行形で示されている。トム・クランシーが合衆国崩壊で描いたエボラ出血熱は、致死率が80%近いものの潜伏期間が最短2日と短く、かつ接触感染であるため先進国でパンデミックを起こさせることは不可能で兵器としては中国ウィルスに劣っている。

 ハーヴァード大学からは、現在のソーシャルディスタンスが継続されるならば、中国ウィルス禍の終息は2022年と予測する悲観的な報告もあり、期間中に失われる人命・社会的荒廃・経済損失は計り知れないと思われる。各国で中国に賠償請求する世論が沸き上がっているが、当の本人は中国も被害者の一人ながら克服できた善人として外交・宣伝を展開している。中国の意図的な生物兵器攻撃とは云わぬまでも、責任の一端を認めて謙虚に振舞うことを願うものである。将来的には各国が中国を世界の工場とする経済活動を再考する必要があると思うが、それにもまして習近平主席の国賓招待はあってはならないと思う。


治に居て乱を忘れず

2020年04月16日 | 歴史

 現在ではどうなったか知らないが、現役だったころ「危険予知訓練」が盛んだった。

 危険予知訓練とは、現場作業者の労働災害局限のために作業員間で作業に潜む危険を予想・指摘して安全行動の目標を立てるもので、KYT訓練・活動とも呼ばれていた。訓練は作業の写真やイラストを基に、作業員間で危険を回避する具体的な行動を共有することを目標としているが、行動目標が上からの指示ではなく自発的と認識することで、指示よりも効果的とされている。正しい訓練方法は後に知ったことであったが、自分が所掌する機関室でも、拾い読みした米海軍での紹介記事に倣ってツールボックスミーティング(道具箱に腰かけて話し合う)と称して当日の作業安全を図っていた。ミ―ティングは停泊中の平易な時期に限ってベテラン海曹の発言を禁じて、概ね実務経験2~3年の若年隊員をリーダーに指名して当日の作業安全策を議題としたが、回数を重ねることによって航海中の緊急作業にあっても安全対策を若年者が自ら行う等、効果があったのではと思っている。アルピニストの野口健氏が「平時に様々なケースを想定し有事に備える。そのための平時と心得た方がいい。」と書かれていたが、前述した自分のささやかな経験からも同感である。野口氏の発言は中国ウィルス禍の教訓を今後の法整備に生かせということが主眼であるが、国民一人一人の意識改革の方がより緊急であるように思える。強制力がない要請とは言え、外出禁止を「御上の意向に”しぶしぶ従う”」のと「自発的に危機感をもって従う」のでは、実効性は大きく異なってくるのではないだろうか。現場が引き起こした不祥事に対して「教育は十分に行っていた」との言い訳が随所になされるが、教育が訓示・指示・講義形式をとる限り、趣旨が完全に末端まで浸透することは期待できないと思う。現に横浜市役所が、保育士の感染を知った保育園の保護者への通知と休園要請に対して、保健所の対応が終わるまで現状を維持するよう回答した例が報じられている。幸いにして保育園が市役所の判断に反して通知と休園を断行したために園児の感染は局限されたが、市役所の回答がどのレベルの判断であったのか報じられないものの危機意識が末端まで浸透していない状況と観るべきではないだろうか。

 危険予知訓練には、現場写真やイラストで討議参加者にテーマを与えるが、中国ウィルス対処についてはメディアから多くの画像が提供される。映像を見るのに飽き飽きした感があるが、その映像は多くの危険要因と対処を与えてくれると思う。キング・カズは「セルフ・ロックダウン」と自戒し、古人は「人(他人)の振り見て我が身を直せ(「正せ」若しくは「質せ」とするべきか?)」と諭している。昨日、市役所から無料配布される「次亜塩素酸水500ml」を貰った序に余分な行動をしそうになった自戒を述べて、口演終了。


個人情報の壁を薄く

2020年04月15日 | 社会・政治問題

 中国ウィルスの猖獗に伴い、個人情報と公益の関係を再検討すべきではなかろうかと考える。

 2013年にマイナンバー制度が導入された際には、野党から徴兵をし易くするための制度と反対されたこともあり、マイナンバーは徴税等の行政の場での活用に留まり市民生活の利便性向上という目に見える形で活用されることは無く、2018年からの本格運用と用途拡大に伴って若干の利便性向上が図られたようであるが、中国ウィルス対処に対して思ったほどの効果を上げていないのではと思っている。これは、2003年に施行された個人情報保護法の拡大解釈が壁になっているのではないだろうか。同法の趣旨を踏まえて、感染が拡大するまで感染例は県単位でしか発表されなかったため、多くの国民は感染を実感することは無かった。また、クラスター感染対処が始まった当初も感染源は「大阪府のライブハウス」や「千葉県のスポーツクラブ」と発表されたため、情報として全く生かされることは無かったと思われる。これらは、公益よりも個人情報を優先すべきという解釈に依ったためであろうが、このことが危機管理のうえでは大きな阻害要因であることに漸く気付いた行政は、感染例を市区町村単位、クラスター感染源の固有名まで公表することになって、ようやく国民も危機を実感・共有して不十分ながらも外出自粛や学校閉鎖に応じるようになった。公表された施設等では周囲から誹謗中傷や村八分的な扱いをされているのかとも推測されるが、公益維持のためにはやむを得ないと思われる。これまで個人情報保護法で保護されていたは「のり弁」と称されるように個人名を黒塗りした官庁提出の資料であり免職未満の懲戒処分で済まされた「いじめ教員」等であり、法は善人を保護するよりも悪人の隠れ蓑と化していた感がある。

 中国ウィルスの医療対処と並行して休業補償や個人所得補償が取り沙汰されているが、その査定や事務処理にマイナンバーがどれほど活用されるのだろうか。韓国・台湾・欧米等での迅速な対応が評価されているが、その背景には個人の動向や経済活動を行政が全て把握していることが考えられる。それらの国々ではホストコンピューターのキーを押せば、一定の条件に当てはまる市民をたちどころに抽出できると思われる。マイナンバー制度導入時にはIT先進国を目指した日本であったが、今回の危機で図らずもIT後進国であることが露呈した。ある程度のリスクがあったとしても、個人情報を行政に委ねることは必要ではないだろうか。まして危機に於いてスピーディーな行政支援を期待するならば、このことは避けて通れない道で、それでも声高に個人情報厳秘を叫ぶ人は、それほど政府を信用していないのか、はたまた余程の後ろ暗さをお持ちなのかと勘繰られるゾ。


北方謙三氏の大作を読もう

2020年04月14日 | 社会・政治問題

 中国ウィルスで有り余る時間が与えられた方に北方謙三氏の一連の中国抒情詩を紹介する。

 宋朝期とは言え舞台が中国であることに忌避感を持たれるかも知れないが、概ね漢族は敵役的な存在であるので若干の憂さ晴らしにもなるのかとも思う。読むにあたっては、発行年に従って読むと若干の回り道(それはそれで楽しいのだが)になるので、次の順序をお勧めする。楊家将(2巻)→血涙(2巻)→水滸伝(18巻)→楊令伝(15巻)→岳飛伝(17巻)→チンギス紀(現在6巻)である。通読すると60巻に及ぶ連作であるが、純文学を振り出しにハードボイルドと南北朝期の歴史小説を経てたどり着いた北方氏の集大成的な歴史絵巻である。宋建国に始まり、宋の衰退と遼・金の興亡、チンギスハン(テムジン)の台頭までを描いた叙事詩であるが、北方氏の美学が投影された抒情詩と呼ぶにふさわしいものである。特に楊家将(演義)は三国志演義、水滸伝とともに中国では三大演義とされているにも拘らず、日本では殆ど紹介されなかったものとされている。歴史小説と云えば司馬遼太郎氏が第一人者とされるが、司馬氏の小説の半分は資料の紹介・解釈であり、かつ資料に拘泥するあまり人物描写・人格設定に難があるように思う。司馬氏の代表作の一つである「坂の上の雲」では兄好古の視点がいつしか弟真之のそれに変化し、「菜の花の沖」では高田屋嘉兵衛の人生観がいつしかゴローニン事件の背景解説に埋没してしまう。自分は、司馬氏の歴史小説は視点の定まらない、テーマに一貫性のない歴史本と呼ぶべきものと感じているが、歴史学者の間では時の施政者の、それもマルクスが提唱する経済発展原則に当てはまる文字資料を最重要視して正史と判断し市井のそれは顧みない傾向であることも司馬小説に影響しているのかも知れない。かたや北方氏の歴史小説は史実・原典をなぞりながらも北方氏の視点で再構築したものであるために、一貫したテーマや人物像が紙上に踊っている。秋の夜長ならぬ中国ウィルスの夜長、北方作品に埋没することをお勧めするものである。

 前段で、歴史学者はマルクスが提唱する経済発展原則に当てはまる文字資料を以て正史と判断すると書いたが、このことは今年の歴史教科書の検定でもいかんなく発揮されている。明治維新と云う大改革も、資本家に搾取され続けた民衆が起こしたものでないために歴史ではあり得ず、南京事件は特筆すべきものとしているのだろうと考えられる。筆が滑って余計な後段になったが、北方作品に勇気を貰って頑張りましょう。


キング・カズの「セルフロックダウン」に続け

2020年04月13日 | コロナ

 三浦知良氏のツイッターが紹介された。

 全文は覚えていないが大意は「外出自粛要請に協力しよう。自分もセルフロックダウンの気持で自粛する」と云うものであった。云うまでもなく氏は、50歳を過ぎた今も現役Jリーガーとして活躍しキング・カズの尊称で呼ばれており、成績以上に輝かしい存在感を放っている。氏の発言中、特に惹かれたのは「セルフロックダウン」という造語表現である。ロックダウン(都市封鎖)は小池知事が使用することで流布・定着した表現であるが、極めて強圧的で冷徹な響きを持っており、強制・他律を嫌う人々は反発し意図的に外出したり飲み会を続けるのではとも推測される。また、外出している人へのインタビューでは、自粛要請に反する行為を誇示するかのニュアンスが感じられるものも少なくない。三浦氏が現役を続けられる背景には徹底的な自己管理があると思うので、セルフロックアウト的行動は当然・自明の日常であるかも知れないが、我々凡人も外出自粛を他律・強制でなく自分の自由意思と翻意する人が増えれば、ふらふらと紅灯に彷徨い出る人が半減するのではないだろうか。星野源氏を始めとする多くのミュージシャンやタレントが外出しないでも楽しめるシーンを、著名なアスリートが自宅でできるトレーニング法を、SNS上に相次いで発信していることもセルフロックアウト運動の一環と捉えられるものであろう。残念なことには、SNSと同じくらいに影響力を持つであろうテレビ画面に登場する著名人からは、外出自粛の負の面に対する辛辣な意見は多く聞かれるが、その種の呼び掛けが一向になされないことである。感染拡大の初期に櫻井よし子氏が、外出自粛を呼びかける新聞・テレビが1社も無いと嘆いておられたが、今も変わっていないように感じられる。

 感染拡大の主犯は、政府の対応、防疫体制、医療機関の不備ではなく、中国ウィルスを甘く見て不要不急の外出を続けた我々国民であることを自覚して、三浦知良氏の「セルフロックダウン」に倣うべきであると思う。自分自身も、蟄居の身を御上の御沙汰と考えていたので、大いに反省している。おそらくロックダウンという言葉は流行語大賞の上位にノミネートされるであろうが、「セルフロックダウン」は更に上位にランク付けされる重みをもっているように感じられる。キング・カズに続こう。