もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

9月入学反対論に思う

2020年05月19日 | 社会・政治問題

 産経新聞の正論欄で九大教授の施光恒氏が9月入学反対論を述べておられる。

 教授の反対論は二つの点で構成されており、1は、中国コロナ禍の混乱下でのドサクサ紛れ改革は行うべきでないとするものであり、例として「学校内行事との変更」と「会計年度と学校年度がずれる」ことに対する煩雑さを挙げておられるが、両者ともに4月入学の定着に伴って後発・追随的に整備されたものであり入学期の正邪判断の根拠とはなり得ない。予算が会計年度内に成立しても現場で執行できるのは6月以降であり、まして予算成立が年度を越えて暫定予算で運営される場合には、新規事業開始の目途さえ立たないのが現状であることを考えれば、会計年度と学校暦は全くの別物である。2は、「歳時記が世代を超えて国民を結びつける記憶の絆であり、9月入学はそれらを壊し国民の紐帯を損なう」とするものである。しからば、桜の下での入学式が全世代・全国民が共有するイメージかと云えば、5月上旬以降が満開時期となる東北・北海道居住者には希薄であろうし、それ以外の地域にあっても温暖化の影響で4月上旬には散ってしまう現在の小学生にとっては桜=入学の意識は低いものと思われる。9月入学全盛期に書かれた夏目漱石の”坊ちゃん”は夏の盛りに松山に赴任するが、時代を超えて愛読されていることを思えば、全国民紐帯の元となる歳時記など存在しないし、あやふやなそれらに国民紐帯の原点を期待することは退嬰的で極めて危ういものではないだろうか。教授の意見以外にも入試や新卒採用の混乱を危惧する声もあり、極端な意見では甲子園大会の変質に触れたり、統計の断絶という噴飯の意見も百出している。9月入学反対意見の多くが、将来の国民にとっても4月入学が最適・国粋的な思考ではない「4月入学堅持」であるべきと思うが、そのような主張をあまり見受けないのが残念である。自分は入学時期について4月・9月のどちらでも構わないと思っているが、変革に対する煩雑さを理由とする反対主張には疑問を感じる。なにより「時間をかけて検討すべき」という意見にはおぞましささえ感じる。かって「検討する」は永田町(官僚)言葉では「何もしない・遣らない・先送りする」と同義語とされてきたが、いまや保革政治家・メディア・経済界・学会等で通じる共通言語になっている感がある。

 入学期論争を見ていて、まるで「百年河清を俟つ」ものと感じたが、その出典等について知らなかったので序に調べてみた。出典は、孔子の編纂と伝えられている歴史書「春秋(単独の文献としては現存しない)」の代表的な注釈書の1つで、紀元前700年頃から約250年間の魯の歴史が書かれている「春秋左氏伝」であることを知った。他の注釈書「春秋公羊伝」「春秋穀梁伝」とあわせて春秋三伝(略して三伝)と呼ばれているが、後漢以降は三伝の中で「春秋左氏伝」が一番高く評価されているそうである。云うまでもなく、常に濁っている黄河の水は百年経っても澄むのを期待できないことから、いくら待っていても実現する見込みのない例えとされるが、自分としては、河辺で水が澄むのを待っているうちに洪水で敢無く流されて溺れ死ぬという挿話を付け加えたいと思う。


新語・造語・濃厚接触の定着について

2020年05月17日 | コロナ

 中国コロナの渦中で生まれた多くの新語・造語が、驚くべき速さで人口に膾炙した感がある。

 曰く、濃厚接触・パンデミック・ソーシャルディスタンス・クラスター・ロックダウン・・・などである。明治維新では、和→洋の変革に対応するために、多くの新語(和訳語)が案出され、その多くが現在でも使用されている。ネット上にある、明治初年に案出された言葉は、①新造語̶(日本語に概念が存在しな いので造語したもの:個人、新婚旅行、哲学、科学、彼女、時間 )、②借用語(中国で活躍した欧米人宣教師が 中国語訳した訳語を借用したもの:冒険、恋愛、電報、③転用語̶(概念が存在しな いので、日本語に存在する類義語に新し い意味を付加して転用したもの:世紀、常識、家庭、衛生、印象、権利)と分類されていたが、例示されない自由・社会・経済・・・なども造語されたものと聞いている。こうしてみると、現在我々が使用している日本語は、明治初年に形作られたと云っても過言ではないように思える。明治以前の日本人はどのような日本語を使って会話していたのであろうか。決して時代劇で演じられる会話ではなかったように思える。さらに、言葉は時代に応じて意味あいが変化することは避けられず、明治維新後150年が経過した現在では案出時の意義が薄れているものも多いとされている。自分が枝野・蓮舫議員等に対して良く使用する「品性」という言葉も、語源を辿ればcharacter(キャラクター)を訳出したもので知識・言動に道徳的特性を加味した総合的な表現であったが、教育勅語に 代わって教育基本法が「品性」では なく「人格の完成をめざす」としたことで、社会全体でも「人格」という用語が一般的となって「品性」という言葉は死語となり、品性という言葉を用いて、道徳を説いたり倫理的問題を説明しようとしても馴染まなくなっているとされていることは心しなければならない。しかしながら、うまく説明できないが人格と知性では何か違うという気持ちを棄て切れない。一方、キャラクターは芸能人が発信した「キャラ」に変化し、本性を隠して仮想の人格を演じるための言葉として定着しているようにおもえる。

 本日のブログは「濃厚接触」に端を発している。濃厚接触は武漢からの邦人引揚げ後に盛んに使用されるようになったが、最初に聞いた時には何やら猥褻な語感で、自分には絶えて久しい濃厚接触が脳裏を過り美人アナウンサーの口調に胸騒ぎしたが、小池都知事の口から連発されるに従って胸騒ぎも収まった。この不謹慎さは自分の品性のなせる業と黙していたが、ある知識人が同様の感想を持たれたことを知って、些かの安堵を覚えた。言葉は時代・年月で変化するもので、今回の中国コロナ禍で生まれた言葉がどれだけ生き残るか判らないが、「そう言えば、そんな言葉が多用された時期があったなァ」と云えるような時が一日でも早く訪れることを祈るのみである。


サプリメントを学ぶ

2020年05月16日 | 社会・政治問題

 世を挙げての健康ブームで、健康(病気)番組、無料サンプル、初回限定50%オフ・・・目白押しである。

 これまで健康番組に興味はなく、2箱無料の試供品を申し込んだことも無いが、ネットを始めとする広告の多くで目にする機会が多いので、サプリメントについて勉強した。『サプリメントは栄養補助食品や健康補助食品と呼ばれ、ビタミンやミネラル、アミノ酸など栄養摂取を補助することやハーブなどの成分による薬効が目的である食品である(ウィキペディア記事)』とされ、生薬、酵素、ダイエット食品など様々な種類があるらしい。サプリメントは近年の物かと思っていたが、1910年代にビタミンが発見されて以降に広まったビタミン剤が最初の近代的なサプリメントであるらしい。最近では「○○に効く」と銘打ったサプリメントが薬事法・食品表示法・景品表示法違反として摘発されることも増えており、中には食品に使用することが禁止されている薬物を含んでいるために、かえって健康を害する可能性があるサプリメントも存在するようである。厚労省のHPを読むと、市場に出回っている「サプリメント」「栄養補助食品」「栄養強化食品」「健康飲料」などに法令上の定義はないが、無闇に「機能(効能)」を表示することは禁止されているらしい。日本で制度化されている食品は「特定保健用食品」「栄養機能食品」「機能性表示食品」とされていた。特保(特定保健用食品)は、消費者庁長官が有効性・安全性を審査して許可する「おなじみのマーク」を付けたもので、現在までに「血糖・血圧・血中のコレステロールなどを正常に保つことを助ける」「おなかの調子を整える」「骨の健康に役立つ」などの機能の表示が許可されているらしい。栄養機能食品は既に健康に良いとされているビタミン・ミネラルを含む食品で、届け出の義務はなく審査もされない。機能性表示食品は、通常「〇〇の機能があります」や「〇〇の機能があると報告されています」と表示されている食品で、その機能の科学的根拠や安全性などの情報を事業者の責任で消費者庁へ「届け出」を行うが審査がされない。先ごろ、ヨーグルトの売れ行きが激減したと報じられた。発端はNHKの番組で、口から入った乳酸菌は腸内に定着することなく数日で体外に排出されると紹介されたことによるらしい。これまで東欧のヨーグルト文化圏が長命であることから乳酸菌万能と広く信じられていたが、実はそうではないのでは?と冷めた所為であるのだろう。ヨーグルト・納豆が苦手な自分としては「なァ‼」という気分であるが。

 ごく最近「中国コロナの感染予防に効果がある」とするサプリメントが登場しているらしい。医学会を挙げて中国ウィルスの正体解明とワクチンの開発に血眼になっているが、多くの研究者に先んじて名もない企業(個人?)が世界に先立って「開発に成功」などは眉唾の極致であろうが、藁にも縋りたい心境を刺激すれば「それなり」に売れるのかも知れない。何を食べようが、何を飲もうが、はたまた「何のサプリ」に縋ろうが、本人の自由・自己責任であろうし、信じればイワシの頭も絶大な薬効を発揮するのだろう。当面サプリメントを利用する気はないが、万が一使用する場合にも「特保マーク」に限定しよう。


沖縄復帰記念日を思う

2020年05月15日 | 歴史

 沖縄(琉球諸島及び大東諸島)返還から、48年が経過した。

 沖縄は、1951(昭和26)年のサンフランシスコ講和条約でアメリカ合衆国の施政権下に置かれていたが、1971(昭和46)年に沖縄返還協定調印、1972(昭和47)年5月15日に施政権が日本に返還された。当時の佐藤栄作総理は、返還は「核抜き・本土並み」と説明したが、現実には米軍基地は存続・米軍人の一次裁判権は米国が保有した状態であり、後になって明らかにされたことであるが、密約で核兵器保管も容認されていた。しかしながら、返還当時にあっては、占領地域が外交交渉によって無血で返還されるのは世界史で稀有のことであり、その功績によって佐藤栄作氏はノーベル平和賞の栄誉に輝いている。返還以前にあって沖縄在住者が本土に渡航する場合にはアメリカ政府発行のパスポートが必要であり、甲子園大会に出場する選手もパスポートで入国していたし、乗組んでいた艦にもパスポートで入隊した沖縄出身者がいた。雲の上での出来事はさておき、乗組んでいた艦が沖縄の本土復帰のための現金輸送の護衛に従事したことを記憶している。当時は下級の機関兵であったために作戦の全貌は知る由もないが、現金は米軍から供与された揚陸艦に搭載され、護衛する艦はといえば、訓練(教練)ではない「合戦準備」が下令され、砲側には実弾を準備していた。これは、乗組んでいた艦の主(副)砲の、旋回・俯仰・装填の全てが手動であるために、弾薬は予め砲側の弾薬筐に準備しておかなければならなかったためである。現在、自衛艦の主砲は自動化されているために艦内の揚弾機に装填すれば事足りるのであるが、大戦末期から僅かに進歩した程度の兵装は未だ脆弱であった。弾を撃つことなく現金輸送は完了したが、自分が在籍していた間に乗組んだ艦で「真の合戦準備」が下令されたのは、この一度だけであった。北のスパイ戦追尾、ミグ戦闘機の亡命事件、海賊対処では「真の合戦準備」が下令されたであろうが、それらには参画できなかったし、参加したカンボディアPKOでは当時横行していた南シナ海の海賊対処のために上甲板に消火用ホースを準備しただけである。

 中国コロナの影響で、沖縄復帰の祝賀行事、米軍基地撤去の集会ともに実施されない平穏な復帰記念日になるらしいこととともに、沖縄県民の中でも本土復帰前後の屈辱感や期待感が風化してきたとも報じられている。しかしながら、徒に過去の屈辱感や期待感を持ち続けることが良いことだろうか。確かに在日米軍基地は沖縄に集中して、佐藤政権の「核抜き、本土並み」とは程遠い状態であるが、沖縄の地勢的意義や尖閣海域での中国海警局公船の横暴を考えれば、民政保護のためにも米軍基地と米軍戦闘力はこれまで以上に必要性を増しているように感じられる。あまりにも過去に拘泥することが、時代の変革に対しては阻害要因となることを韓国が現在進行形で示している。沖縄返還記念日に際して、冷静に天秤を注視するのも必要ではないだろうか。


食糧配給制度を考える

2020年05月14日 | 軍事

 アメリカの食糧配給拠点に並ぶ車列とされる写真を見た。

 英語に一丁字もないため、現在のアメリカの食糧配給の現状は判らないが、写真を見る限りではアメリカの一部の州で生活困窮者に対する無料配給を含めて何らかの食糧配給が行われているものと推測する。アメリカでは3月4.4%であった失業率が4月には14.7%に悪化し、世界恐慌時の25%を超えるとの悲観的な見方もある。日本の失業率は3月2.5%であるが、現在は2桁になっているのは確実ではなかろうか。これに農業生産の停滞や物流の滞りが加われば食糧の需給バランスは崩れ食料品は品薄・高騰し、我々が歴史としてしか知らないヤミ米列車や買い出し列車も絵空事ではなくなるだろう。こうなれば、政府は何らかの需給統制を行う必要が生じるが、2か月近くなるのに未だアベノマスクが届かない現状から考えてタイムリーな配給が実施できないだろうことは確実である。戦時中には食糧切符に依る配給制度があったとされるが、現在よりも通信・交通が遥かに劣っていた時代に、タイムリーな配給を如何にして行ったのだろうか。日本の人口は1920(昭和15)年に7200万人、2019(令和元)年は1億2500万人とされる。配給実施の基本単位は世帯であろうと考えて調べてみたが、現在の世帯数は5000万世帯と分かったものの戦前の世帯数は知ることができなかったが、戦前の子沢山や親子同居を考えて1世帯4人と仮定すると2000万世帯程度ではなかろうか。配給切符は隣組の組長が各戸に配布していたと聞いているので、仮に一人の組長が20戸を担当すれば100万人の組長をコントロールすることでスムーズな配給が可能となる。既にマスクが市場に出回り始めた状況にも拘らずアベノマスクが届かないのは、5000万世帯に戸別配給するとしたことも一因ではと考える。しかしながら、戸別配給に変えて戦前の隣組制度に似通った自治会を活用できるかと云えば、自治会は任意加入であるために未加入の世帯も少なくないとされるので、配給制度には活用できない。また自治会とオーバーラップする形で民生委員も置かれているが、個人情報の壁を思えば民生委員も全世帯の実状に通じてはいないだろうし、食糧配給の拠点と考えることは出来ないように思う。

 先日「中国コロナは真実を暴くウィルス」という社会学者の言葉を引用・紹介したが、わが国では国民の命を守る最後の砦であるべき「食糧の配給機能」が未整備の状態であるように思える。江戸時代では「お救い米」制度があった一方で「打ち壊し」や大塩平八郎の乱が起き、明治期にも富山県で起きた米騒動が瞬く間に全国に拡大したと習った。医療崩壊を懸念して「治に居て乱を忘れず」と平時からの医療体制整備の必要性が叫ばれているが、配給制度についても設計図を描いておく必要があるのではないだろうか。まして個人責任を本分とする強国アメリカでも、食糧の配給が済々と行われているらしいと思えば・・・。