今日ご紹介するのは府中の押立神社で、久しぶりにシブーイお年寄り風郷土史風記事です。この神社の由来ですが境内に由緒についての立て札があって、慶長の頃、京都の伏見稲荷を勧請したのがはじまりで、当初は多摩川沿いにあったが正保の大洪水で現在の場所に移った。明治になって押立神社と改名し有栖川親王殿下御染筆の額を下賜せられた、とありますので詳しいことにご興味の方は現地へドウゾ
ただ写真のように村の鎮守の神様的な雰囲気が濃厚で、シンボルカラーの赤もなくお稲荷さんムードはほとんどありません
それにしても以前にも書きましたが、多摩川沿いの寺社は洪水がきっかけで場所を移ったのが多いようで、そもそも「押立」の地名からして多摩川の洪水と関係があるらしいという説はバックナンバー記事の「府中の押立と多摩川の洪水」をご覧下さい
なお場所ですが多摩川に近いということは交通の便が良くないということですが、意外と言っては失礼だが府中市のコミュニティーバスの「押立神社」のバス停がすぐそばにあります
ご意見・お問い合わせは→ genyomikai@nifmail.jp
ただ写真のように村の鎮守の神様的な雰囲気が濃厚で、シンボルカラーの赤もなくお稲荷さんムードはほとんどありません
それにしても以前にも書きましたが、多摩川沿いの寺社は洪水がきっかけで場所を移ったのが多いようで、そもそも「押立」の地名からして多摩川の洪水と関係があるらしいという説はバックナンバー記事の「府中の押立と多摩川の洪水」をご覧下さい
なお場所ですが多摩川に近いということは交通の便が良くないということですが、意外と言っては失礼だが府中市のコミュニティーバスの「押立神社」のバス停がすぐそばにあります
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