自然と共生する生き方の理想みたいですが、縄文人はドングリを採集して食べていたそうです。
しかしドングリを集めて食べるために消費するエネルギーの方が、ドングリから得られるエネルギーより大きくないか?
現代よりはるかに大量にドングリが収穫できたのかもしれませんが、処理や貯蔵も含めれば相当の労力が必要では?
この消費カロリー>獲得カロリーの理屈、縄文人でなくても山菜取りにも当てはまり、サバイバルでヘビとかを捕まえて食べるというのもあるが、捕まえるにはかなりの体力を消費するぞ。
自然と共生し狩猟や採集で暮らすと気楽に聞こえますが、相手の自然はそんなに甘くない。
採集や加工のかなりのテクニックと何でも食べられる適応力がないと、それだけで食っていくのは難しいのでは?
しかしドングリを集めて食べるために消費するエネルギーの方が、ドングリから得られるエネルギーより大きくないか?
現代よりはるかに大量にドングリが収穫できたのかもしれませんが、処理や貯蔵も含めれば相当の労力が必要では?
この消費カロリー>獲得カロリーの理屈、縄文人でなくても山菜取りにも当てはまり、サバイバルでヘビとかを捕まえて食べるというのもあるが、捕まえるにはかなりの体力を消費するぞ。
自然と共生し狩猟や採集で暮らすと気楽に聞こえますが、相手の自然はそんなに甘くない。
採集や加工のかなりのテクニックと何でも食べられる適応力がないと、それだけで食っていくのは難しいのでは?