花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

無罪になってよかった!

2008-09-07 04:54:26 | Weblog
         産婦人科の問題が無罪になりました。


医療は、100パーセントということがないジャンルの仕事だけに、
「無罪は国民の医療への理解が得られる方向にベクトルが向いたと思います。」

20年ほど前、
ヨーロッパの医療施設や、歴史ある500年以上前から存在している病院や
日本から、留学したという高木先生(後に慈恵医科大学設立の先生)の事が
記録にある病院や、
パリ大学の図書館で「20人以上の別人?と思われるような
ヒポクラテスの顔の絵や、
大英博物館の地下で4キロ以上もある
「医学の歴史」という英語の本を買って担いで帰って来た
若かりし日を思い出します。

薬剤師の私は、当時としては
ヨーロッパは6年生になっている薬科大学が、日本の薬局と異なり、医薬分業も
しっかりと実現させて、社会の評価も高いヨーロッパに興味を持ったのが
始まりでした。
大学が先導する「医薬の歴史の研究の旅」に誘われて参加したのが始まりでした。

ノーベル賞を戴いたという教授の研究室や、研究設備がそのまま保存されて
教室に於いて説明を受けたり、日本の医療の座標を手探りできる旅でした。

医療博物館には「戦場の悲惨な野戦病院にキリストが現われている絵」なども
掲げられていました。パスツール研究所の入口の芝生には狂犬に襲われる
人間の像が立ち、有名な「口が下を向いたフラスコ」もありました。
何よりも
肩書きにこだわらず、
世界から研究者が純粋に研究のために集まり
「エーズ」の研究の成果なども説明してくれました。

夫人の財産がすべて研究所にサポートされていた事が感じられるほど、
パスツールは、
夫人という良き理解者があっての研究成果なのだと痛感しました。

医学も、もちろん研究も、
芸術やスポーツ同様、

    @@@@@@@@@@@

身内がボロボロになってサポートして、
はじめて成立していたことが伝わってくる
財閥に相当する夫人の姿、

夫人の豪華な調度品が
研究所を華やかに飾っておりました。

      *******

パリの露地をくねくねと歩き回りました。

教会の庭の中に病院があるのか?
病院の中に教会があるのか?、、、

救われない精神のために患者さんと
ともに病気を見つめ生きた医師と教会の
コラボレーションの姿もありました。
ある病院では、階段の下には「マリヤ様」の像がありました。
唯一の神を信じるという事に抵抗を感じる一方
歴史の中に、
「神」の存在が精神医療にかかわっていた事も伝わってきました。

「病気」とは医師が治し医師の良し悪しを追求するものではなく、
患者さん自身が
「治りたい!、、治ってみせる!先生見守ってください!一緒に病気と闘ってください!」そういう感じが伝わってきました。

ある病院では「行き場のない病人が収容されていた教会がそのまま病院になっていました。」

最後は、患者さまも医師も牧師も神頼み?になっていました。

医学は「100パーセント」治るという患者さんの期待を
大きく打ち消すものであり
「合併症」で死んでゆく姿も記録になっていました。

ホスピスも見て回りました。
また、
徘徊老人のために腰までしかない生垣を
迷路のように敷地内に張り巡らし、
どのように歩いても「広場に出れる」工夫された庭も見ました。

「患者様」という言葉が
「病気を治すのは患者さんが主役、」
医師も牧師も、挙句の果てに神頼み
も、
「患者さんの治癒力をサポート」している姿に思えました。

そして、
戦場の野戦病院では
薬も包帯もなく茫然と立ち尽くす医師のそばに
キリストが
現われている絵が物語るものは何だったのでしょうか?
軍医だった父が、幼い日に話してくれた光景が絵になって保存されていました。

ひたすら医療の僕のように
医学とともに歩む「一生学生」のような
勉強漬けの医師の妻という、置き去りになっている荷物運びのシェルパの私。

私の視点から見える「子供のように疲れを知らない仕事マン」の夫。
夫とは、海外旅行はまだ一度も同行したことのない40年です。

中には、「技」も「腕」も
医師としては神の域にある「神の手」を持ちながら、
当り前の社会人が体験する雑務を通じて体得する機会をはく奪されているような
専門職の医師という立場の盲点も見える。

「泥だらけの人生の体験が無い為に」
医師自身が「人間としての自分」が、
クジラのように巨大だが
哺乳類の持つ「手足」が使い物にならない退化を余儀なくされている場合も
無いとは言えない。

病気に対して持っているリーダーとしての指導の自信を、
そのまま人との付き合いの中にも持ち込み
態度が尊大になる先生がいらっしゃる。

医療の舞台以外の場所でも指導的に強く出てくる医師がいます。
一言も発さなくても「オ^ラー」が
医療以外の事でも中心的発言力を発揮し尊大に思われてしまいがちです。

そのような態度が、誤解を招きやすいこともあると思いました。
患者さんは「100パーセント」を期待する気持があるのが理解できるような
存在感が医師にはあります。
しかし、「体質」「個性」「精神」「遺伝」「ショック」「アレルギー」
「もろもろの免疫低下」「合併症」老化という治らない病気」などなど。。。
数え上げたらきりのないマイナーなファクターを持った患者さんに対して
「医療の100パーセントはあり得ない!」と断言できると思います。

診療で忙しく、自分自身では「視察」の時間も取れない医師の夫に、
ヨーロッパの病院ばかりを、36枚フイルム14本にまとめアルバムにして、
日本の医療社会の中枢にいる夫という一人の医師が、
何かを感じてくれれば、私のヨーロッパ旅行に使ったお金は
社会に「夫を経由して還元されてゆくことを」信じています。

これからも、夫唱婦随の結婚生活はあり得ない背中合わせの人生が続くでしょう。

でも、今回の「産婦人科事件の無罪」は、
人生丸ごと、「医師が医師を続けるためのサポート」に人生の時間をすべて
費やしても、足りない、日本の医師の皆さんの滅私奉公を裏から見ている
私の視点からは「無罪は国民にとっても、医療の理解に通じると思いました。」

若かりし頃、
技術を先輩医師から教わる初めての執刀の日、
妻の私は流産が始まりました。
極度な不規則な生活を耐えて医師の勉強優先の理想状態にすることで、
上司から、仲間に選んでもらえるようにと気負いがあり、
環境に適合できなくなり、妊娠のリスクを乗り越えられないひ弱さがありました。

執刀の朝、陣痛が始まりました。
主人はまだ国家免許を取ったばかりの臨床経験のない時代でもあり、
妻の流産が
どれほど深刻な状態か察知できず、
初めて教えてもらえる執刀の事で頭がいっぱいでした。

理屈は解っても、
「患者としての妻の私」は、新米医師の夫に対してのやりきれない
不満が残りました。
こうした「患者さん側の感情」を経験している私は、
無罪になったことを、
感情を越えて、よりよい医療につなげてゆきたいと願います。

医師は「100パーセントどころではない時代を多くの側近が支えて、医師という
行動を続けるためのサポートせねば、医療は成り立たない、、、と思います。

あの日以来、「一番の人生の目標」は、
「医師の免許を持ってからの、医師への無条件のサポートが、
世の中に役に立つ医療のできる医師を社会に送り出せることであると、
わが身の、流産の悔しさから、
良い医師を育て、治療ををサポートできる医師を育てる、ために、
自己の中の渦巻く不満をプラスに思考して行きました。
臍帯はく離などは「高い技術を習得した医師でも100パーセントではない」と
言われている。即座に子宮を守ろうとする感情は人間として当然という
矛盾に立たされる医師も気の毒である。

医師は、あくまで、サポートで、100パーセントの成果を目指して患者さまと
ともに「病気」と戦う治療に向かうスペシャルなお手伝いであり、今回のように
「逮捕」という権力の出番とは次元を異にする存在であることを、
患者さん側も、認識を変えることが、「医師の専門の力を上手に引き出せる
治療への主体である」患者さまの賢明な姿勢であると感じました。

今回の「無罪」が一人でも多くの産婦人科の医師の誕生につながることを
祈ります。

ただでさえ、
少子化で国力が年々減っている日本のお産が
「安心してお産できない医療体制」になってしまっては、

自滅する国家を促すような事にもなりかねません。

「出産入院こそ人生の花園」という「命」そのものとの出会いの時です。
女の人生のご褒美の期間になるように「安心」を下さい。
よりよい 条件で出産することが、
がんばれる力の源になることも多いはずです。
後々来る育児に、
集中して価値を見出し、
社会と連帯して良い子を育てる
母親の花も実もある豊かさが
子供を健全に導ける「愛」の原動力ではなかろうか?