花鳥風月

生かされて行くもの達の美しさを見つめて,
ありのままの心で生きている日々の、
ふとした驚き、感動、希望、

タクシーの「お値段」

2012-02-02 01:56:02 | Weblog
昭和30年の頃
東京の実家の傍に

三ツ矢ハイヤーという会社の
大きなガレージがあった、

外車のベンツやシボレーや、
日産のセドリックや
トヨタの白い高級車や

一般的なコロナ、、、etc.
実にいろいろな車が用意されていた。

法事や、
父の大学の同級生や
同級生の教授の先生との会合などや

母がコンサートを開催する日なども
ステージをデザインする母校の後輩や
ゲストを迎えるときは

三ツ矢ハイヤーを呼んで
送り迎えを頼んだものだった。

ハイヤーの運転手さんは
白いカバーのついた制帽と白い手袋で
礼儀正しく高級感がスマートに思えた。

送り迎えには車から降りて
ドアを開けてスマイルがさわやかであった。

客がスムースに乗車できるまで
ホテルの訓練を受けたボーイさんのごとく
プロのサービスに徹していた。

3000円で山手線の直径以上走ってくれた。

品性と、マナーと、運転手である誇りと
何よりもプロとしてのサービスが気持ちよかった。
母は小さなミニ熨斗袋に1000円を入れて
「何かと気を使っていただいてありがとう。」
謝礼を包んでいたのを思い出す。

トランクに
沢山の花束など
何束もぎっしり積んでもらって
花を散らさないように気を使いながら
会場入り口で、
係りのものに花を引き渡した後
運転手さんは
「ハ!恐縮です!」と言って
受け取ってくださった。

いやな顔しないで、気持ちよく
丁寧な仕事振りには、頭が下がるわね、、、と。
母は其の日は気持ちよさそうな顔をしていた。



我が家は仕事上
セドリックと
クーペの2台の自家用車が有った。

50歳の頃
母は運転免許所に通い始め
横にばかりはんこを並べ
いっこう進級しないカリキュラムを
半年以上通って、
ようやく取得した。、、、が
怖くて人は乗せられないので
ハイヤーを呼んでいた。

長男専用のコロナが自家用として
使っていた、、、、が

当時、開業医療施設としては
2台まで、
税金が優遇措置を受けられた。

タクシーは
ご存知、「神風タクシー」が
世の風評のとおり
猛スピードで、すれ違い
乗客も、通行人も、、、
ヒヤーとしたものだった。

ドアも乱暴に開け閉めするし
運転席から降りてこないし
ワンピースの裾を
たくし上げる前にドアを閉めて
汚れた誇りがへばりついたり
ハイヤーとは
別の運搬業界に思えた。

一区間60円とか、80円とか
40円のもあったように記憶している。

**************

最近京都でタクシーに手を上げた、
ユックリトきたと思ったら、
スローモーな70過ぎの爺さんの運転手さんだ。

のろのろと、ふらふらと、蛇行する。
怖くなって、一区間でとりあえず降りました。

次に手を上げて乗ったタクシーの運転手さんは
日に焼けた50歳前後であった。
地元で20年、三重県、静岡でも
運転していたという。

帯広がタクシーの仕事の出発点とも言った。
関西に住むようになって
北海道には帰る気がしないという。

「振り返れば
雪の中で、シバレタ冬の凍りついた
スケートリンクみたいなところで
よく、、、運転してたなーと
我ながら寒心するよ!」と言って笑う。

京都では、名所旧跡回る観光客に
歴史や、建物のいわれなど聞かれるので
ガイドの出来る勉強に夢中になった時期もあるという。

「5千円で、走れるだけ、走ってみてくれる?」と
交渉したら、
「いいですよ、観光ロートには組み込まれないけど
京都には、地元にいて、ジワーと判ってくる名所って
有るんですよ!」

「任せたから1」というと、
見事な庭園の見える「茶室」に案内してくれた。

2畳しかない、武士の屋敷の茶室であった。
「ここはね。槍も、刀も使えない広さになっているんですよ!」

実に歴史にも詳しく、お茶も一服できて、
実に良い時間を過ごせた。

運転手という仕事は
本人の心がけ次第で
無限の可能性があると痛感させられた。

今日は札幌で6時という早朝に
タクシーを無線でコールした。
まもなく、女性のドライバーが来た。
車からは当然降りてこない。
ドアが開いたが、閉まらない。
「しまらないですね」と言うと
主人が乗ってしまったので、
私が外から半ドアにならないように思いっきり閉めた。
しかし!!!!ドアは閉まらない。

「しまらないわよ!」と言うと
運転席から振り返って、
「寒いからしまらないんです。走っているうち閉まるから
反対側のシートに腰掛けてください。」と言った。

主人は体をずらして反対側のシートに移った。
私は思いっきりドアを閉めたが、感触として浮いている。

30センチほど車が動くと
ドアはゆっくりと全開してきた。
「お父さん!降りて、早く降りて!」
主人が降りると、運転手の女性も降りてきた。

「ライターがあれば、あっためられて、閉まるんです。」と言う。

私は先日も、この会社のタクシーが来て
歩道から絶妙な中途半端な位置にタクシーを止めたとき、
老眼の主人は車の入り口に足を架けたつもりが、
10センチほど手前で踏み込んでしまい、

「あ!!!」と思って後ろから脇を抱えて起こしたが
私の力が、主人の体重を支えきれないで
入り口に斜めになっていたドアで、
目の上を怪我をした。

血が出て、歩道にひざをツイテシマったのです。
ひざはアオタンが出来て、こすれたざらざらの傷から
ズボンに血がしみているのに、

主人は起き上がって再び乗り込み
勤務先に行こうとしました。

私は、無理やり主人に降りてもらい
タクシーを返してしまいました。

家に入ってから
「落ち着きなさいよ!血が出てるわよ!」
、、、
「たいしたこと無いから、、、患者さんが待ってるし、、、!」
私は、すぐ職場に電話して、
「間に合わないから代理のDr、をお願いしてもらってください!」
主人は、痛みが感じてきたのか、私の進言に同意してくれました。
目の上の傷は深くて、
血が止まりません。
圧迫して、バンドエイドをガーゼの上から使って
押さえて止血しました。

膝は血がにじんだ両足とも
うがい用のイソジンンの原液で消毒し
包帯を巻いて、衣類は下着から取り替えました。

あったかいお湯でロキソニンをのんでもらい、
「すぐに仕事場に行くと言う主人を説得しました。」

医者の不養生とはよく言ったものね!

私は腹が立ってきた。
「いいから、!!!
私が本院の外科まで貴方を患者として
救急センターに連れてゆくからね!」

「たいした怪我じゃないから
患者さんの診療を終えてから自分で行くから!」

主人は。。。あほかと思ってしまう。

「いいから、乗んなさい!、、1時間かかって救急センターに
主人を運んだ。」

「先生!、、、これは縫わないといけませんね!」
救急外科のDr・に言われて、
初めて主人はおとなしく患者さんになった。

それでも、膝のことは隠し通して、自分で治療していた。

帰宅してから、無性に腹が立った。

職場に行く途中の怪我だから労災であるが、
あのタクシーが、中途半端な車道の真ん中に
入り口の反対サイドのタイヤがかかるような
変なとめ方をして、
客を見ないで
「7割ほどの中途半端なドアの開け方」をするから
ドアの上の薄い部分が、左目の上を切り裂いたのだと思うと、

老眼の主人のミスなのか、
よそ見して客を見ないで、適当なとまり方
適当なドアのあけ方が、盲点を突いたのか

際どい判断であった。

悔しいが、タクシー会社には
今度とめるときは、歩道から足が届く位置に
とめてくださいと注文だけつけた。

しかし、、、其の傷がまだ残っているのに、
今日は、、、ドアが閉まらないが
反対サイドのシートに腰掛ければ大丈夫と言う!
30センチも走ると
ドアは全開した。
運転手は、この段階で降りてきて、
「ライターがあれば、暖められるからドアは閉まるのですが、、、」
私は、乗り込んで、奥にずれた主人を、馬鹿!と思った。

いくら、勤務時間に遅れるからと言って、
ドアの閉まらない女性ドライバーの
プロ根性の足りない車に乗って、カーブで、ドアが全開して、
後ろの車がぶつかってきたら、90パーセントの確立で
遅刻でしょう!!!

「降りて、バスで行きましょう!早く!其のほうが確実よ!」

主人も、ようやく腹を決めて、マイナス8度の寒い道を
バスに向かって歩き始めた。

女性ドライバーは、無線で呼ばれたのに乗ってくれないので
不服そうでったが、

私は家に入ってすぐに無線の会社に電話をした。

女性社員が電話口に出た。

理由を話して、
「今度からは、きちんと暖めて、ドアの閉まるタクシーを
お願いします。」と言っておいた。

ふと、、、
京都で出会ったタクシーの運転手さんの言葉を思い出した。

北海道で育ったのだろう!この女性ドライバーは!
ドアが開いたままで営業すると言う度胸!
しかも、、、
反対側に座ればなんでもないですよ!、、と言う感覚!
スケートリンクのような今日の我が家の車庫前に
滑り止めの小砂利を蒔きながら、、、

私は「北海道人になりきれないと、、、苦笑いした。」

それにしても、、、タクシー会社協会でも
サービス業であって、人間と言う荷物ではないのであると
指導してほしいものである。